孫子を読む(2/3)

/東洋の思想

第六 虚実篇

そんいわく、およさきせんりててきものいっし、おくれてせんりてたたかいにおもむものろうす。ゆえたたかものは、ひといたしてひといたされず。敵人てきじんをしてみずかいたらしむるは、これすればなり。敵人てきじんをしていたるをざらしむるは、これがいすればなり。ゆえてきいっすればこれろうし、けばこれえしめ、やすんずればこれうごかす。

孫子は言った。先に戦場に着いて敵を待つのは楽であるが、後から戦場に着いて戦うのは大変である。戦の巧みな者は、敵を思い通りにするが、敵の思い通りにされることはない。敵が自分から出てくるようにできるのは、敵の利益になることを示しているからであり、敵が出てこれないようにできるのは、敵の損害になることを示しているからだ。だから、敵が休息していれば疲労させ、充足していれば欠乏させ、停留していれば誘い出すことができる。

おもむかざるところで、おもわざるところおもむく。せんきてろうせざるは、じんけばなり。めてかならるは、まもらざるところむればなり。まもりてかならかたきは、めざるところまもればなり。ゆえむるものには、てきまもところらず。まもものは、てきむるところらず。なるかななるかな、けいいたる。しんなるかなしんなるかな、せいいたる。ゆえてきめいす。

敵が出てくるような所に出向き、敵の思いもしない所に赴き、長い道程を進んでも疲れないのは、敵のいない土地を行軍するからである。攻めて必ず奪い取れるのは、敵が守っていない所を攻めるからであり、守って必ず破られないのは、敵が攻めていない所を守るからである。そのため、攻撃の巧みな者は、敵はどこを守ったらよいか分からず、守備が巧みな者は、敵はどこを攻めたらよいか分からない。微細にして形はなく、神秘にして音もなく、敵の命運を握る者となる。

すすみてふせからざるは、きょけばなり。退しりぞきてからざるは、すみやかにしておよからざればなり。ゆえわれたたかわんとほっすれば、てきるいたかくしこうふかくすといえども、われたたかわざるをざるは、かならすくところむればなり。われたたかいをほっせざれば、かくしてこれまもるも、てきわれたたかうをざるは、ところそむけばなり。

進軍しても敵が防げないのは、敵の隙を突いているからであり、後退しても敵が追撃しないのは、速くて敵が追いつけないからである。こちらが戦いたいときは、敵が壁を高くし、堀を深くしていても、戦わざる得なくなるのは、敵が助けを求めるところを攻めるからである。こちらが戦いたくないときには、土地を区切って守るだけで、戦うことができないのは、敵の進路を混乱させているからである。

ゆえひとかたちせしめてわれかたちなければ、すなわわれあつまりててきは分かる。われあつまりていつり、てきかれてじゅうらば、じゅうもっいつむるなり。すなわわれおおくしててきすくなし。しゅうもってば、すなわわれともたたかところものやくなり。ともたたかところからず。からざれば、すなわてきそなうるところものおおし。てきそなうるところものおおければ、すなわともたたかところものすくなし。ゆえまえそなうればすなわうしすくなく、うしろにそなうればすなわまえすくなく、ひだりそなうればすなわみぎすくなく、みぎそなうればすなわひだりすくなし。そなえざるところければ、すなわすくなからざるところし。

だから、敵に布陣を取らせて、自軍の布陣を隠せば、自軍は敵に集中することができるが、敵は分散してしまう。自軍は集中して一つとなり、敵軍が十に分散してしまえば、自軍の十で敵の一を攻めることになる。つまり、自軍は大勢であり、敵は小勢である。大勢で小勢を攻撃できるから、戦う相手は弱小である。こちらが戦う場所や時期が敵に分からなければ、敵が守らなければいけない場所は多くなる。敵が守る場所が多くなれば、敵は小勢になる。だから、前方を備えれば後方は小勢になり、後方を備えれば前方が小勢になる、左を備えれば右が小勢になり、右を備えれば左が小勢になり、全ての場所に備えれば全て場所が小勢になる。

すくなきはひとそなうるものなり。おおきはひとをしておのれそなえしむるものなり。ゆえたたかいのり、たたかいのれば、すなわせんにして会戦かいせんし。たたかいのらず、たたかいのらざれば、すなわひだりみぎすくうことあたわず、みぎひだりすくうことあたわず、まえうしろをすくうことあたわず、うしろはまえすくうことあたわず。しかるをいわんやとおきはすうじゅうちかきはすうなるをや。われもっこれはかるに、越人えつひとへいおおしといえども、なんしょうはいえきあらん。ゆえいわく、かちきなり。てきおおしといえども、たたかうことからしむし。

小勢になるのは相手に備える立場だからで、大勢になるのは相手に備えさせる立場だからである。戦う場所と日時を分かったのなら、長い距離でも進軍して戦うべきである。戦う場所や日時が分からなければ、たとえ戦をしても、左軍は右軍を助けることができず、右軍は左軍を助けることができず、前方の軍は後方を助けることができず、後方の軍は前方を助けることができない。だから、遠い場所で数十里、近い場所で数里先であっても同様である。私が思うに、兵士の数がどんなに多くても勝利には関係ない。敵がいくら大勢でも、戦えないようにすればよいのだ。

ゆえこれはかりて得失とくしつけいり、これおこして動静どうせいり、これあらわしてせいり、これれてゆうそくところる。ゆえへいあらわすのきょくは、けいいたる。けいなれば、すなわ深間しんかんうかがうことあたわず、しゃはかることあたわず。かたちりてかちしゅうくも、しゅうることあたわず。ひとみな所以ゆえんかたちるも、かちせいする所以ゆえんかたちることし。ゆえたたかつやふたたびせずして、かたちきゅうおうず。

そこで、戦の前に敵情を調べて戦いの結果を測り、敵軍を動かしてその行動の規準を知り、敵の態勢を把握して敵軍の死活に関わる場所を知り、敵と小競り合いをして、敵軍の優勢な場所と手薄な場所を知るのである。だから、軍の究極の態勢は無形であることだ。無形であれば、自軍に潜入した間諜も探ることができず、智謀のある者でも見抜くことができない。相手の形勢が分かれば勝利を得ることができるが、一般の人々にはそれが分からない。人々は勝利した時の形勢については分かるが、勝利を決定した原因は分からない。だから、戦いの勝ち方に同じものはなく、敵の形勢に応じて無限に変化するのである。

へいかたちみずかたどる。みずかたちたかきをけてひくきにおもむき、へいかたちじつけてきょつ。みずりてながれをせいし、へいてきりてちをせいす。ゆえへいじょうせいく、みずじょうけいし。てきりてへんしてかちものこれしんう。ゆえぎょう常勝じょうしょうく、しいじょうく、たんちょうり、つきせいり。

軍の形勢は水に似ている。水は高い所を避けて低い所へ流れる。軍の形勢も敵が充実した所を避けて手薄な所を攻撃する。水は地形によって流れを決めるが、軍は敵情によって勝利を決める。だから、軍には一定の形勢というものはなく、水にも一定した形というものがない。敵情に応じて変化して勝つことができる。これが神妙な兵法である。だから、陰陽五行にも常に勝つことはなく、四季は止まることがなく、日の長さには長短があり、月には満ち欠けというものがある。

第七 軍争篇

そんいわく、およへいもちうるのほうは、しょうめいきみよりけ、ぐんがっしゅうあつめ、まじえてとどまるに、軍争ぐんそうよりかたきはし。軍争ぐんそうかたきは、もっちょくし、かんもっす。ゆえみちにして、これさそうにもってし、ひとおくれてはっし、ひとさきんじていたる。ちょくけいものなり。

孫子は言った。戦の原則は、将軍が君主からの命令を受けて、軍を統率し兵を集め、敵と対峙するまでに機先を制そうとする軍争ほど難しいものはない。軍争の難しさは、曲がった道をまっ直ぐな道に変え、不利を有利に変えるところにある。だから、遠回りを見せかけ、敵を利益でおびき出し、敵より遅れて出発して、敵より先に到着するのである。これが、遠回りを近道にする計略を知る者である。

ゆえ軍争ぐんそうたり、軍争ぐんそうたり。ぐんげてあらそえばすなわおよばず、ぐんててあらそえばすなわちょうてらる。ゆえこうきてはしり、にちらず、みちばいして兼行けんこうし、ひゃくにしてあらそえば、すなわさんしょうぐんとりこにせらる。つよものさきだち、つかるるものおくれ、ほうじゅうにしていちいたる。じゅうにしてあらそえば、すなわじょうしょうぐんたおす。ほうなかいたる。さんじゅうにしてあらそえば、すなわ三分さんぶんいたる。

だから、軍争は利益をもたらすが危険ももたらす。全軍で有利な地に取ろうとすれば敵に遅れてしまい、軍の陣形を無視すれば、補給部隊が置き去りにされてしまう。そのため甲冑を外して走り、昼夜も休まず急ぎ、倍の道程を進み、百里先の利益を争えば、三軍の将軍が捕虜にされるだろう。体力のある者が先行し、疲れた兵士が取り残され、十人に一人しか到達できないからである。五十里先の利益を争えば、先行する将軍が倒れ、半分の兵士しか到達できない。三十里先の利益を争えば、三分の二の兵士が到達できる。

ゆえぐんちょうければすなわほろび、糧食りょうしょくければすなわほろび、委積いしければすなわほろぶ。ゆえ諸候しょこうはかりごとらざるものは、あらかじまじわることあたわず。山林さんりんけんたくかたちらざるものは、ぐんることあたわず。きょうどうもちいざるものは、ることあたわず。

そのため、補給部隊がなければ敗北し、食料がなければ敗北し、財貨がなければ敗北する。敵国の策略を知らない者は、事前に同盟を結ぶことができず、山林・険しい山・沼沢などの地形を知らない者は、軍を進めることはできない。その土地の案内人を使わない者は、地の利を得ることができない。

ゆえへいもっち、もっうごき、分合ぶんごうもっへんものなり。ゆえはやきことかぜごとく、しずかなることはやしごとく、しんりゃくすることごとく、うごかざることやまごとく、がたきこといんごとく、うごくこと雷震らいしんごとく、きょうかすめてしゅうかち、ひろめてかち、けんけてうごく。ちょくけいものつ。軍争ぐんそうほうなり。

戦は謀略によって成り立ち、利益を求めて動き、分散と統合により変化するものである。だから軍は、風のように迅く進み、林のように静かに潜み、火のように激しく攻め、山のように構えて動かず、暗闇のように存在が知れず、雷のように激しく動く。村落を奪うときは軍を分散し、領土を拡げるときは味方に利益を配分し、利害を考えて動く。遠回りを近道に変える計略を知っている者が勝つ。これが、軍争の原則である。

軍政ぐんせいいわく、うともあいこえず、ゆえきんつくる。しめすともあいまみえず、ゆえせいつくる、と。きんせいは、ひともくいつにする所以ゆえんなり。ひとすで専一せんいつなれば、すなわ勇者ゆうしゃひとすすむことをず、きょうしゃひと退しりぞくことをず。しゅうもちうるのほうなり。ゆえせん火鼓かこおおく、昼戦ちゅうせんせいおおきは、ひともくうる所以ゆえんなり。

古い兵法書では、「口で言っても聞こえないから、鍾や太鼓を作り、示しても見えないから、旗や幟(のぼり)を作り」とある。鍾や旗は兵士の耳目を統制するためにある。兵士が統制されていれば、勇敢な者でも勝手に進むことはできず、臆病な者でも勝手に退くことはできない。これが大軍を動かす原則である。だから、夜の戦いには篝火(かがりび)や太鼓が多く、昼の戦いには旗や幟が多いのは、兵士の注意を向けさせるためである。

ゆえ三軍さんぐんにはうばく、しょうぐんにはこころうばし。ゆえあさえいひるれのゆえへいもちうるものは、鋭気えいきけて、惰帰だきつ。おさむるものなり。もっらんち、せいもっつ。こころおさむるものなり。ちかきをもっとおきをち、いつもっろうち、ほうもっつ。ちからおさむるものなり。正々せいせいはたむかうることかれ、堂々どうどうじんつことかれ。へんおさむるものなり。

だから、敵軍の士気を奪い取り、敵将の心を奪い取ることができる。朝は気力が鋭く、昼は気力が緩み、夜は気力が尽きてしまう。戦の巧みな者は、敵の気力が鋭い時を避けて、気力が緩んでいる時を撃つが、これは敵兵の気力を知っているからである。統制された状態で雑然とした敵を撃ち、冷静な状態で混乱した敵を討つが、これは敵兵の心理を知っているからである。戦場の近くで遠方からの敵を待ち受け、十分に休養した状態で疲労した敵を待ち受け、十分に補給した状態で飢えた敵を待ち受ける。旗や幟が整然とした敵とは戦わず、堂々とした陣形の敵は攻めないが、これは敵軍の変化を知っているからである。

第八 九変篇

そんいわく、故にへいもちうるのほうは、こうりょうにはかうかれ、きゅうにするにはむかかれ、いつわぐるにはしたがかれ、鋭卒えいそつにはむるかれ、へいにはらうかれ、帰師きしにはとどむるかれ、囲師いしにはかならき、きゅうこうにはせまかれ。へいもちうるのほうなり。

孫子は言った。ゆえに用兵の原則は、高い丘にいる敵を攻めてはならなず、丘を背に攻めてくる敵を迎え撃ってはならず、偽りの退却を追ってはならず、士気の高い敵を攻めてはならず、囮の敵兵に食い付いてはならず、母国に退却する敵軍を引き止めてはならない。包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地の敵軍を追い詰めてはならない。これが戦いの原則である。

およへいもちうるのほうは、しょうめいきみけ、ぐんがっしゅうあつめ、圮地ひちにはやどることく、衢地くちにはまじわりがっし、ぜっにはとどまることく、囲地いちにはすなわはかり、死地しちにはすなわたたかう。みちらざるところり、ぐんたざるところり、しろめざるところり、あらそわざるところり、君命くんめいけざるところり。

戦争の原則は、将軍が君主からの命令を受けて、軍を統率して兵士を集めて、難しい土地には軍を進ませず、重要な要衝には軍を進ませて、険しい地形には軍を留まらせず、敵に囲まれている地では謀略を仕掛け、絶体絶命の死地では懸命に戦うべきだ。道にも通ってはいけない所があり、敵軍にも撃っていけない所があり、城にも攻めてはいけない所があり、土地にも奪ってはいけない所があり、君主の命令にも従ってはいけない場合がある。

ゆえしょうきゅうへんつうずれば、へいもちうることをる。しょうきゅうへんつうぜざれば、けいるといえども、ることあたわず。へいおさめてきゅうへんじゅつらざれば、五利ごりるといえども、ひとようることあたわず。

だから、九通りの変化(九変)を利用できる将軍は、用兵を知っている者であり、九変を利用できない将軍は、たとえ戦場の地形を知っていても、地の利を得ることができない。軍を率いるのに九通りの変化を知らなければ、五つの対応を知っていても、兵達を上手く用いることができない。

ゆえしゃりょは、かならがいまじう。まじえて、つときなり。がいまじえて、うれきなり。ゆえ諸侯しょこうくっするものがいもってし、諸侯しょこうえきするものぎょうもってし、諸侯しょこうはしらすものもってす。ゆえへいもちうるのほうは、きたらざるをたのく、われもっるをたのむなり。めざるをたのく、われからざるところるをたのむなり。

智者が考えるときは必ず利害の両面を考える。利益について考える時は、害についても考えるので戦は上手くいくだろう。害について考える時は、利益についても考えるので不安も解消される。このため、諸外国を屈服させるには害になることを仕向け、諸外国を使うには共同事業を与え、諸外国を奔走させるには利益を与えて仕向ける。だから戦の原則は、敵が来ないことを当てにするのではなくて、自軍の十分な備えを頼りにすべきである。敵が攻撃しないことを頼りにするのではなくて、自軍に攻撃されない備えがあることを頼りにすべきである。

ゆえしょう五危ごきり。ひっころさるく、必生ひっせいとりことすく、忿速ふんそくあなどく、廉潔れんけつはずかしむく、愛民あいみんわずらわすし。およしゃしょうあやまちなり、へいもちうるのわざわいなり。ぐんくつがえしょうころすは、かなら五危ごきもってす。さっせざるからざるなり。

将軍には五つの危険がある。必死の覚悟である者は殺され、生きることに執着のある者は捕虜にされ、短気な者は罠には嵌められ、高潔な者は辱められ、兵士に気を使う者は苦労する。この五つの危険は、将軍の過失であり、戦にとっては害になる。軍が全滅して将軍が殺されるのは、必ずこの五つの危険によるもので、十分に注意しなければならない。

第九 行軍篇

そんいわく、およぐんき、てきるに、やまわたればたにり、せいたかきにり、たかきにたたかうにのぼることかれ。やまるのぐんなり。みずわたればかならみずよりとおざかる。かくみずわたりてきたらば、これみずうちむかうることく、なかわたらしめてこれつはあり。たたかわんとほっするものは、みずきてかくむかうることかれ。

孫子は言った。軍の駐留と敵情を視察について、山越えをする時は谷沿いを進み、高い場所に陣取り、高い場所にいる敵と戦ってはならない。これは山地に陣取る軍についてである。川を渡った後は必ずその川から遠ざかり、敵軍が川を渡って攻めてきた時は、川の中では迎え撃たずに、敵に半分渡らせてから攻撃するのが利に適っている。戦う場合は、水際で敵を迎え撃ってはならない。

せいたかきにり、すいりゅうむかうることかれ。すいじょうるのぐんなり。斥沢せきたくわたれば、すみやかにりてとどまることかれ。ぐん斥沢せきたくうちまじうれば、かなら水草すいそうりてしゅうじゅはいにせよ。斥沢せきたくるのぐんなり。平陸へいりくにはやすきにりて、たかきを右背ゆうはいにし、まえにしてせいうしろにす。平陸へいりくるのぐんなり。およぐんは、黄帝こうていていちし所以ゆえんなり。

高い場所に陣取り、川の下流から上流の敵を迎え撃っていならない。これは川辺に陣取る軍についてである。沼沢地を越える時には、速く通り過ぎなければならない。もし沼沢地で戦う場合には、必ず飲み水と飼料の草がある森林を背にすべきである。これは沼沢地に陣取る軍についてである。平地では平らな場所に陣取って、高地を右手と背後にし、前方を戦場とし、後方を安全な場所とする。これは平地に陣取る軍についてである。この四つの軍の駐留方法が、黄帝が四人の帝王に勝つことができた理由である。

およぐんたかきをこのみてひくきをにくみ、ようたっとびていんいやしみ、せいやしないてじつる。ぐんひゃくしつくんば、これひっしょうう。丘陵きゅうりょう隄防ていぼうには、かならようりて、これ右背ゆうはいにす。へいたすけなり。

軍を駐留させるには高地はよいが低地は悪く、日当たりよい場所を選び日当たりの悪い場所は避けるべきである。草木などが生えた豊かな土地に居り、疫病が蔓延しなければ、これが必勝の軍である。丘陵や堤防などでは必ずその東南に位置し、それを右手の背後にする。これが戦が有利になる地形を利用した陣取りである。

かみあめふりて、水沫すいまついたらば、わたらんとほっするものは、さだまるをて。およに、絶澗ぜっかん天井てんせい天牢てんろうてん天陥てんかん天隙てんげきらば、かならすみやかにこれりて、ちかづくことかれ。われこれとおざかり、てきこれちかづかせ、われこれむかえ、てきこれうしろにせしめよ。軍行ぐんこうけん潢井こうせい葭葦かい山林さんりん翳薈えいわいれば、かならつつしんでこれ覆索ふくさくせよ。伏姦ふくかんところなり。

上流で雨が降って川の水嵩が増えている時に、川を渡ろうとするならば、川の流れが落ち着くまで待ったほうがよい。地形には絶壁の谷間、天然の井戸、天然の牢獄、天然の捕獲網、天然の落とし穴、天然の隙間があるときは、必ず速く立ち去って、近づいてはならない。自軍はそこから遠ざかり、敵軍をそこに近づくように仕向け、自軍はそれを迎え撃ち、そこを敵軍の背後にさせるのがよい。行軍の先に険しい地形や池、窪地、葦の原、山林、草木の繁茂した場所があれば、必ず慎重に探索せよ。これらに伏兵や斥候が隠れやすい場所である。

てきちかくしてしずかなるは、けんたのむなり。とおくしてたたかいをいどむは、ひとすすむをほっするなり。ところやすきは、あるなり。しゅうじゅうごくは、きたるなり。しゅうそうしょうおおきは、なり。とりつは、ふくなり。けものおどろくは、ふくなり。ちりたかくしてするどきは、くるまきたるなり。ひくくしてひろきは、きたるなり。さんじてじょうたつするは、しょうさいするなり。すくなくして往来おうらいするは、ぐんいとなむなり。

敵が近くに居るのに静かなのは、その地形の険しさに頼っているからである。遠くに居ながら戦いを仕掛けるのは、こちらの進撃を求めているからである。敵が平地に陣を構えるのは、こちらを誘い出そうとしているからである。樹々がざわめくのは、敵が攻めて来たからで、草が積み重ねてあるのは、伏兵が居るように見せかけるためである。鳥が飛び立つのは、そこに伏兵がいるからで、獣が驚いて走るのは、奇襲の兆しである。埃が高く舞い上がるのは、戦車が攻めてくるからで、低く広がっているのは、歩兵が攻めてくるからで、いくつも細い筋のようにあるのは、薪を取っているからで、少し動いているのは、軍が陣を設営しているからである。

ひくくしてそなえをすは、すすむなり。つよくしてしんするは、退しりぞくなり。軽車けいしゃさきでて、かたわらるは、じんするなり。やくくしてうは、はかるなり。奔走ほんそうして兵車へいしゃつらぬるは、するなり。半進はんしん半退はんたいするは、さそうなり。

敵の使者の言葉が謙虚で、防御に専念しているように見えるのは、逆に進撃してくる兆しである。敵の使者の言葉が強気で、進撃してくるように見えるのは、逆に退却する兆しである。戦闘用の軽車を前に出して両側に構えているのは、陣を立て直しているのである。困窮していないのに和解を申し出るのは謀略である。慌ただしく軍を編成しているのは、決戦の準備である。中途半端に前進したり後退したりするのは、こちらを誘い出そうとしている。

つえつきてつは、うるなり。みてむは、かつするなり。すすまざるは、つかるるなり。とりあつまるは、むなしきなり。よるぶは、おそるるなり。ぐんみだるるは、しょうおもからざるなり。せいうごくは、みだるるなり。いかるは、みたるなり。うまぞくしてにくしょくし、ぐんくることく、しゃかえらざるは、きゅうこうなり。

兵士が杖をついているのは、軍が飢えているからで、水汲みが真っ先に水を飲んでいるのは、軍が水不足だからで、好機なのに進軍しないのは、軍が疲れているからである。鳥が群がっているのは、陣が空なのである。夜に呼び交わす声がするのは、軍が怯えているからで、軍が騒がしいのは、将軍に威厳がないからで、旗が揺れ動いているのは、陣が乱れているからで、役人が怒っているのは、軍が疲弊しているからである。馬が兵糧米を食べ、兵士が肉を食い、陣に鍋釜がなく、幕舎に戻ろうとしないのは、軍が窮地なのである。

諄諄翕翕じゅんじゅんきゅうきゅうとして、おもむろひとうは、しゅううしなうなり。数〻しばしばしょうするは、くるしむなり。数〻しばしばばっするは、くるしむなり。さきぼうにしてのちしゅうおそるるは、せいいたりなり。きたりて委謝いしゃするは、きゅうそくほっするなり。へいいかりてあいむかえ、ひさしくしてがっせず、またあいらざるは、かならつつしみてこれさっせよ。

将軍が控えめな口調で話をしているのは、兵士の信頼を失っており、度々褒賞を与えるのは、士気の低下に苦慮しており、度々懲罰を与えるのは、統制を失い困惑しているのである。初めに兵を乱暴に扱っておきながら、後で兵の離反を恐れるのは、最も配慮ができていない軍である。わざわざ出向いてきて贈り物を渡して謝罪するのは、軍を暫く休養させたいのである。敵が攻撃を仕掛けて来ながら、しばらく合戦をせず、しかし撤退もしない場合ば、必ず慎重に敵の真意に観察せよ。

へいおおきをえきとするにあらざるなり。しんすることく、もっちからあわせて、てきはかるにらば、ひとらんのみ。おもんぱかくしててきあなどものは、かならひととりこにせらる。そついましんせざるにしかこればっすれば、すなわふくせず。ふくせざれば、すなわもちがたきなり。

戦は兵の数が多いほど有利というものではない。軍を猛進させないようにして、味方の戦力を集中させ、敵情を考え計っていけば、十分に勝利できる。しかし、よく考えず敵を侮ると、必ず敵の捕虜にされるだろう。兵がまだ将軍を信頼していないのに、懲罰を行えば兵は心服せず、心服しなければ用いることは難しい。

そつすでしんせるにしかばつおこなわれざれば、すなわもちからざるなり。ゆえこれれいするにぶんもってし、これととのうるにもってす。これ必取ひっしゅう。れいもとよりおこなわれてもったみおしうれば、すなわたみふくす。れいもとよりおこなわれずしてもったみおしうれば、すなわたみふくせず。れいもとよりおこなわるるものは、しゅうあいるなり。

兵がすでに将軍を心服しているのに懲罰を行わなければ、逆に十分に活用することができない。だから、軍では褒賞により心服させ、懲罰により統制するが、これが必勝の軍なのである。普段から法令が守られていれば、兵は命令に従うが、法令が守られていなければ、命令しても従わない。普段から法令を守る者が、兵士の信頼を得られるのである。

 

孫子を読む(1/3)
紀元前500年頃の中国の軍事思想家である孫武の作とされる兵法書。第一 計篇、第二 作戦篇、第三 謀攻篇、第四 形篇、第五 勢篇
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