論語の話

/東洋の思想

論語とは

論語は、儒教の始祖である孔子の言行録です。孔子の弟子により書き留められ、編纂されました。内容が簡潔であるため、儒教の入門書として広く普及しており、朱子学の四書の1つとしても数えられています。

論語の話

学而第一
子し曰いわく、学まなびて時ときに之これを習ならう、亦また説よろこばしからずや。朋とも有あり、遠方えんぽうより来きたる、亦また楽たのしからずや。

知識を学びそれを実践する、何と楽しいことか。友人が遠くから訪ねてくる、何と楽しいことか。

其その人ひとと為なりや、孝弟こうていにして上かみを犯おかすを好このむ者ものは鮮すくなし。上かみを犯おかすことを好このまずして乱らんを作なすを好このむ者ものは、未いまだ之これ有あらざるなり。君くん子しは本もとを務つとむ。本もと立たちて道みち生しょうず。孝弟こうていなる者ものは、其それ仁じんの本もと為たるか。

親孝行で兄弟仲がよい人間が、上の者に逆らうことは滅多にない。上の者に逆らわない人間は、秩序を乱すこともない。君子は根本を大切にする。根本が定まれば、道理もそれに伴い生まれる。親兄弟を大切にすることは、仁の根本である。

巧言こうげん令れい色しょく、鮮すくなし仁じん。

巧みな言葉や媚びるような表情は仁ではない。

吾われ日ひに三みたび吾わが身みを省かえりみる、人ひとの為ために謀はかりて忠ちゅうならざるか、朋友ほうゆうと交まじわりて信しんならざるか、習ならわざるを伝つたうるか。

私は一日に三度反省する、人に親切にしたか、友人に信義をつくしたか、教えは身についているか。

千せん乗じょうの国くにを道おさむるには、事ことを敬けいして信しんあり、用ようを節せっして人ひとを愛あいし、民たみを使つかうに時ときを以もってす。

大国の政治は慎重に行い、人民の信頼を得るようにし、財政の無駄をなくし、人民の負担を軽くし、労役を課するのは農閑期に限るようにする。

弟てい子し入いりては則すなわち孝こう、出いでては則すなわち弟てい、謹つつしみて信しんあり、汎ひろく衆しゅうを愛あいして仁じんに親したしみ、行おこないて余よ力りょく有あれば、則すなわち以もって文ぶんを学まなべ。

年少者のなすべきことは、家では親によく仕え、外では目上の者を敬い、謹み深く誠実であり、誰とも分け隔てなく付き合い、徳を具えた人と親しくし、なお余力があれば学問に努めよ。

君くん子し重おもからざれば則すなわち威いあらず。学まなべば則すなわち固こならず。忠ちゅう信しんを主しゅとし、己おのれに如しかざる者ものを友ともとすること無なかれ。過あやまちては則すなわち改あらたむるに憚はばかること勿なかれ。

君子は重々しくないと、人から心服されない。学んだことも身につかない。忠実と信義を旨とし、自分より劣った人を友としてはいけない。過ちに気付いたら、ためらうことなく改めよ。

終おわりを慎つつしみ遠とおきを追おえば、民たみの徳とく厚あつきに帰きせん。

親の葬儀を心を込めて行い、祖先に対する祭祀を怠らなければ、人民の徳も厚くなる。

人ひとの己おのれを知しらざるを患うれえず、人ひとを知しらざるを患うれうるなり。

人が自分を認めないことを悩まず、自分が人の長所を認めないことを悩むべきだ。

為政第二
政まつりごとを為なすに徳とくを以もってするは、譬たとえば北辰ほくしんの其その所ところに居いて、衆しゅう星せいの之これに共むかうが如ごとし。

国を治めるには徳によって治める。例えば、北極星は北の空にあって、他の星がその周りを運行しているようなものだ。

之これを道みちびくに政まつりごとを以もってし、之これを斉ととのうるに刑けいを以もってすれば、民たみ免まぬかれて恥はじ無なし。之これを道みちびくに徳とくを以もってし、之これを斉ととのうるに礼れいを以もってすれば、恥はじ有ありて且かつ格ただし。

国を治めるのに法律と刑罰をもってすれば、人民は抜け道を探して恥を知らなくなる。国を治めるのに徳と礼節をもってすれば、人民は恥を知り正しい方向に向かう。

吾十五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑まどわず、五十にして天命を知しる、六十にして耳従みみしたう、七十にして心の欲っする所に従いて矩のりを踰こえず。

15歳で学問を志し、30歳で自立し、40歳で迷いが無くなり、50歳で天命を知り、60歳で人の言うことが素直に理解できるようになり、70歳で自分のやりたいことをそのままやっても道を外れなくなった。

今いまの孝こうは、是これ能よく養やしなうを謂いう。犬けん馬ばに至いたるまで、皆みな能よく養やしなうこと有あり。敬けいせずんば何なにを以もって別わかたんや。

最近は親を養うことを親孝行だと思っている。犬や馬でも養われている。敬愛の心がなければ、犬や馬を養うのと何が違うのか?

温故知新おんこちしん
故ふるきを温たずねて新あたらしきを知しれば、以もって師し為たる可べし。

昔のことを学んで、そこから新しい知識や見解を得る。これが教師の資格である。

先まず其その言げんを行おこない、而しかる後のちに之これに従したがう。

君子は発言する前に行動し、行動した後に発言する。

君くん子しは周しゅうして比ひせず。小しょう人じんは比ひして周しゅうせず。

君子は友好的であるが、依怙ひいきはしない。小人は依怙ひいきはするが、友好的でない。

学まなびて思おもわざれば則すなわち罔くらし。思おもいて学まなばざれば則すなわち殆あやうし。

本を読んで考えなければ、理解することはできない。考えるだけで本を読まなければ、独断になってしまう。

異い端たんを攻おさむるは、斯これ害がいあるのみ。

正統でない学問は、有害なだけである。

女なんじに之これを知しるを誨おしえんか。之これを知しるを之これを知しると為なし、知しらざるを知しらずと為なす。是これ知しるなり。

知るとはどういうことか教えよう。知っていることは知っていると言い、知らないことは知らないと言う。これが知るということである。

八佾第三
君くん子しは争あらそう所ところ無なし。必かならずや射しゃか。揖ゆう譲じょうして升しょう下かし、而しこうして飲のましむ。其その争あらそいや君くん子しなり。

君子は争うことをしない。争うとすれば弓の試合くらいだ。譲り合って射場に登り、終わると共に酒を飲む。これこそ君子の争いである。

太たい廟びょうに入いりて、事毎ことごとに問とう。或あるひと曰いわく、孰たれか鄹人すうひとの子こを礼れいを知しると謂いうか。太たい廟びょうに入いりて、事毎ことごとに問とう。子し之これを聞ききて曰いわく、是これ礼れいなり。

大廟の祭典に参加した孔子は、式について一つ一つ質問した。これを人は、礼について詳しいどころか何も知らないと言った。それを聞い孔子は、知ったかぶりしないことが礼なのだと答えた。

告朔こくさくの餼き羊ようを去さらんと欲ほっす。子し曰いわく、賜しや、爾なんじは其その羊ひつじを愛おしむ。我われは其その礼れいを愛おしむ。

弟子が儀式に供える羊を止めようとした。孔子は言った。お前は羊が惜しいだけだ。私は礼が廃れるのを惜しむ。

定公ていこう問とう、君きみ、臣しんを使つかい、臣しん、君きみに事つかうるには、之これを如何いかんせん。孔こう子し対こたえて曰いわく、君きみ、臣しんを使つかうに礼れいを以もってし、臣しん、君きみに事つかうるに忠ちゅうを以もってす。

定公が尋ねた。君子が臣下を使い、臣下が君子に仕えるにはどうすればよいか。孔子は言った。君子は臣下を礼遇し、臣下は忠誠をもって仕えることだ。

成せい事じは説とかず、遂すい事じは諫いさめず、既き往おうは咎とがめず。

出来てものを言っても仕方がない、済んだことを諫めても仕方がない、過ぎたことを咎めても仕方がない。

里仁第四
子し曰いわく、里りは仁じんなるを美よしと為なす。択えらんで仁じんに処おらずんば、焉いずくんぞ知ちなるを得えん。

人間は仁のある場所に住んだ方がよい。仁のある場所を選ばないようでは知者とは言えない。

子し曰いわく、不ふ仁者じんしゃは以もって久ひさしく約やくに処おる可べからず。以もって長ながく楽らくに処おる可べからず。仁者じんしゃは仁じんに安やすんじ、知ち者しゃは仁じんを利りす。

仁のない者は逆境に長く耐えられなし、恵まれた環境にも耐えられない。仁者は仁に安住することを楽しみ、知者は仁を利用しようとする。

子し曰いわく、唯ただ仁者じんしゃのみ能よく人ひとを好このみ、能よく人ひとを悪にくむ。

ただ仁者のみが正しく人を愛し、正しく人を憎むことができる。

子し曰いわく、苟いやしくも仁じんに志こころざせば、悪あしきこと無なきなり。

もし仁を志せば、悪を行うことはない。

朝あしたに道を聞かば夕ゆうべに死すとも可なり。

朝に道(真理)を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも後悔しない。

子し曰いわく、士し、道みちに志こころざして、悪あく衣い悪あく食しょくを恥はずる者ものは、未いまだ与ともに議はかるに足たらざるなり

道(真理)を志す者は、粗末な衣服や食事を恥じる者とは共に道を論ずることはできない。

子し曰いわく、君くん子しの天てん下かに於おけるや、適てきも無なく、莫ばくも無なし。義ぎと之これ与ともに比ひす。

君子は主観的な好悪をも持たない。必ず義を拠り所とする。

子し曰いわく、利りに放よりて行おこなえば、怨うらみ多おおし。

何事も利益本位で行うと、多くの人から怨みを買うことになる。

子し曰いわく、位くらい無なきを患うれえず、立たつ所以ゆえんを患うれう。己おのれを知しる莫なきを患うれえず、知しらる可べきを為なすを求もとむるなり。

地位のないことより、自分の実力不足を嘆くべきだ。自分が世間に認められないことより、自分にそれだけの価値がないことを嘆くべきだ。

子し曰いわく、君くん子しは義ぎに喩さとり、小しょう人じんは利りに喩さとる。

君子はまず義を考えるが、小人はまず利益を考える。

子し曰いわく、賢けんを見みては斉ひとしからんことを思おもい、不ふ賢けんを見みては内うちに自みずから省かえりみるなり。

賢者を見たら、自分もそうありたいと思い、不賢者を見たら、自分はどうだろうかと反省せよ。

子し曰いわく、父母ふぼ在いませば、遠とおく遊あそばず。遊あそぶに必かならず方ほう有あり。

父母の存命中は遠出を避けよ、やむを得ず遠出する場合は行先を明らかにせよ。

子し曰いわく、古者いにしえ、言げんの出いださざるは、躬みの逮およばざるを恥はずればなり。

昔の人が軽々しく発言しなかったのは、実行が伴わないのを恥じたからだ。

子し曰いわく、徳とくは孤こならず、必かならず隣となり有あり。

徳のある人は決して孤立することはなく、必ず理解し協力する人が出てくる。

公冶長第五
子し、子し貢こうに謂いいて曰いわく、女なんじと回かいと孰いずれか愈まされる。対こたえて曰いわく、賜しや何なんぞ敢あえて回かいを望のぞまん。回かいや一いちを聞きいて以もって十じゅうを知しる。賜しや一いちを聞きいて以もって二にを知しるのみ。子し曰いわく、如しかざるなり。吾われと女なんじと如しかざるなり。

孔子が子貢に言った。「お前と回かいとは、どちらがすぐれていると思うか」
子貢が答えて言った。「私は回には及びません。回は一を聞いて十を知ることができますが、私は一を聞いて二を知るにすぎません」
孔子は言った。「その通りだ。私もお前も回には及ばない」

  • 一を聞いて十を知る[回也聞一以知十]
    一部分を聞いただけで、すぐにその全体を理解することができることで、非常に賢いことを表しています。
宰さい予よ、昼ひる寝いぬ。子し曰いわく、朽きゅう木ぼくは雕える可べからず。糞ふん土どの牆しょうは、杇ぬる可べからず。予よに於おいてか何なんぞ誅せめん。子し曰いわく、始はじめ吾われ、人ひとに於おけるや、其その言げんを聴ききて其その行おこないを信しんぜり。今いま吾われ、人ひとに於おけるや、其その言げんを聴ききて其その行おこないを観みる。予よに於おいてか是これを改あらたむ。

宰予が昼寝をしていると、孔子が言った。「腐った木は彫刻はできないし、ボロボロの壁は施しようがない。このような怠け者を叱っても仕方がない」「これまで私は、人は言う通りのことを行っていると信じてきた。しかし、言うことと行なうことが一致しているか、確かめなければ信用できない。これからは改めるようにする」

子し曰いわく、吾われ未いまだ剛者ごうしゃを見みず。或あるひと対こたえて曰いわく、申棖しんとうあり。子し曰いわく、棖とうや慾よくあり。焉いずくんぞ剛ごうなるを得えん。

孔子「私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない」
ある人が言った「申棖という人物がいます」
孔子「棖は欲が深く、剛者にはなれない」

子し貢こう問といて曰いわく、孔こう文ぶん子しは何なにを以もって之これを文ぶんと謂いうや。子し曰いわく、敏びんにして学がくを好このみ、下か問もんを恥はじず。是ここを以もって之これを文ぶんと謂いうなり。

子貢「孔文子はどうして『文』という贈り名をされたのでしょうか」
孔子「生まれつき聡明で学問を好み、目下の者に教わることを恥としなかった。だからそのような贈り名をされたのだ」

子し、子し産さんを謂いう、君くん子しの道みち、四よつ有あり。其その己おのれを行おこなうや恭きょう。其その上かみに事つかうるや敬けい。其その民たみを養やしなうや恵けい。其その民たみを使つかうや義ぎ。

子産には君子にふさわしい四つの行いがある。第一に行動が慎重で、第二に上に敬意を払い、第三に人民に恩恵を施し、第四に人民の使い方が公正である。

子し曰いわく、伯はく夷い・叔しゅく斉せいは、旧きゅう悪あくを念おもわず。怨うらみ是ここを用もって希まれなり。

伯夷と叔斉は人から受けた仕打ちを恨むことはなかったので、人に恨まれることもなかった。

子し曰いわく、巧言こうげん・令れい色しょく・足すう恭きょうなるは、左さ丘きゅう明めい之これを恥はず。丘きゅうも亦また之これを恥はず。怨うらみを匿かくして其その人ひとを友ともとするは、左さ丘きゅう明めい之これを恥はず。丘きゅうも亦また之これを恥はず。

お世辞やご機嫌取り、卑屈な態度を左丘明は恥じていたが、私もそれを恥じる。嫌いなくせに友人のように振舞うのを左丘明は恥じていたが、私もそれを恥じる。

顔淵がんえん・季路きろ侍じす。子し曰いわく、盍なんぞ各〻おのおの爾なんじの志こころざしを言いわざる。子路しろ曰いわく、願ねがわくは車しゃ馬ば衣い軽けい裘きゅう、朋友ほうゆうと共ともにし、之これを敝やぶりて憾うらみ無なからん。顔淵がんえん曰いわく、願ねがわくは善ぜんに伐ほこること無なく、労ろうを施ほどこすこと無なからん。子路しろ曰いわく、願ねがわくは子しの志こころざしを聞きかん。子し曰いわく、老者ろうしゃは之これを安やすんじ、朋友ほうゆうは之これを信しんじ、少者しょうしゃは之これを懐なつけん。

孔子「お前たちの理想を語ってろ」
子路「馬も車も毛皮の着物も共用にして、それが壊れても気に止めない。そういう友人になりたいと思います」
顔淵「自分の長所の誇らず、面倒を押し付けない。そのようになりたい」
子路「先生の理想も聞かせてください」
孔子「年長者から頼もしがられ、友人から信頼され、年少者から慕われる。そう願っている」

子し曰いわく、已やんぬるかな。吾われ未いまだ能よく其その過あやまちを見みて、内うちに自みずから訟せむる者ものを見みざるなり。

なんとも嘆かわしい。自分の過ちを認めて、自ら責める者を見たことがない。

子し曰いわく、十室じっしつの邑ゆう、必かならず忠ちゅう信しん丘きゅうの如ごとき者もの有あらん。丘きゅうの学がくを好このむに如しかざるなり。

十戸ほどの小さな村にも、私ぐらいな誠実な者はいるだろう。だが、私以上に学問を愛している者はいないだろう。

雍也第六
哀公あいこう問とう、弟てい子し、孰たれか学がくを好このむと為なす。孔こう子し対こたえて曰いわく、顔回がんかいなる者もの有あり、学がくを好このむ。怒いかりを遷うつさず、過あやまちを弐ふたたびせず。不ふ幸こう短命たんめいにして死しせり。今いまや則すなわち亡なし。未いまだ学がくを好このむ者ものを聞きかざるなり。

哀公「弟子の中で一番学問が好きなのは誰か」
孔子「顔回という者が学問が好きでした。怒りを出さない、過ちを繰り返さない、ということは、なかなかできることではありませんが、それが顔回にはできたのでございます。しかし、不幸にして短命で、もうこの世にはおりません。あれほど学問が好きな者はもう出ないでしょう」

子し曰いわく、賢けんなるかな回かいや。一簞いったんの食し、一いっ瓢ぴょうの飲いん、陋巷ろうこうに在あり。人ひとは其その憂うれいに堪たえず。回かいや其その楽たのしみを改あらためず。賢けんなるかな回かいや。

顔回はなんという賢者だろう。一膳のごはん、一杯の水、狭い家という生活は他の者であれば耐えられないだろうが、顔回は平気でただ道を楽しんでいる。顔回はなんという賢者だろう。

子し曰いわく、質しつ、文ぶんに勝かてば則すなわち野やなり。文ぶん、質しつに勝かてば則すなわち史しなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、然しかる後のちに君くん子しなり。

生地が飾りに勝れば田舎くさいし、飾りが生地に勝れば派手になる。生地(中身)と飾り(外観)が調和した者を君子というのだ。

子し曰いわく、之これを知しる者ものは之これを好このむ者ものに如しかず。之これを好このむ者ものは之これを楽たのしむ者ものに如しかず。

(学問を)知る者は(学問を)好む者に及ばない。(学問を)好む者は(学問を)楽しむ者に及ばない。

子し曰いわく、知ち者しゃは水みずを楽たのしみ、仁者じんしゃは山やまを楽たのしむ。知ち者しゃは動うごき、仁者じんしゃは静しずかなり。知ち者しゃは楽たのしみ、仁者じんしゃは寿いのちながし。

知者は水の流れを好み、仁者は山の大きさを好む。知者は動を好み、仁者は静を好む。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠の中に在る。

子し曰いわく、君くん子しは博ひろく文ぶんを学まなび、之これを約やくするに礼れいを以もってせば、亦また以もって畔そむかざる可べきか。

君子は広く教養を身に着け、これを礼として実践する。こうすれば道から外れることはない。

子し貢こう曰いわく、如もし博ひろく民たみに施ほどこして、能よく衆しゅうを済すくうもの有あらば、何如いかん。仁じんと謂いう可べきか。子し曰いわく、何なんぞ仁じんを事こととせん。必かならずや聖せいか。堯舜ぎょうしゅんも其それ猶なお諸これを病やめり。夫それ仁者じんしゃは己おのれ立たたんと欲ほっして人ひとを立たて、己おのれ達たっせんと欲ほっして人ひとを達たっす。能よく近ちかく譬たとえを取とる。仁じんの方ほうと謂いう可べきのみ。

子貢「広く恵みを施し人々を救うことができたら、そういう人は仁者と言えるでしょうか」
孔子「それは仁者どころか、聖人と言えるだろう。堯や舜でさえ、それができず悩んでいた。自分の身を立てたいと思えば、他人の身を立ててやる。他人の立場を考えてやる。それが仁者なのだ」

述而第七
子し曰いわく、述のべて作つくらず。信しんじて古いにしえを好このむ。窃ひそかに我わが老彭ろうほうに比ひす。

過去のものは伝えるが、新しいものは創らない。よいものをよいと信じて愛する。この私の姿勢は老彭に比べられるかもしれない。

子し曰いわく、黙もくして之これを識しり、学まなびて厭いとわず、人ひとを誨おしえて倦うまず。何なにか我われに有あらんや。

黙って知識を吸収し、飽きることなく学ぶ。熱心に人に教える。そういうことであれば私にもできる。

子し曰いわく、徳とくの脩おさまらざる、学がくの講こうぜざる、義ぎを聞ききて徙うつる能あたわざる、不ふ善ぜんの改あらたむる能あたわざる、是これ吾わが憂うれいなり。

徳を積んでいないか、学問に熱心でないか、道理を知っても実践しなかったか、善くない行いを改めることができたか。これが私の気がかりなことだ。

子し曰いわく、甚はなはだしいかな、吾わが衰おとろえたるや。久ひさしいかな、吾われ復また夢ゆめに周しゅう公こうを見みず。

私も老いたものだ。長いこと周公の夢も見なくなってしまった。

子し曰いわく、道みちに志こころざし、徳とくに拠より、仁じんに依より、芸げいに游あそぶ。

道を志し、徳を拠り所とし、仁に依存し、教養を身に着けたい。

子し曰いわく、束そく脩しゅうを行おこなうより以い上じょうは、吾われ未いまだ嘗かつて誨おしうること無なくんばあらず。

どんな人でも礼をもって教えを乞えば、私はその人を入門させなかったことはない。

子し曰いわく、憤ふんせずんば啓けいせず、悱ひせずんば発はっせず。一隅いちぐうを挙あげて、三隅さんぐうを以もって反かえさざれば、則すなわち復ふたたびせざるなり。

まず自分で考え苦しむほどでなければ、手引きを与えてやらない。上手く言えなくてもどかしがっているほどにならなければ、助けてやらない。一隅を示してやって、あとの三隅を自分で類推できなくては、教えようとは思わない。

  • 啓発
    人を教え導き、その目を開いて、物事を明らかにさせること。
子し曰いわく、富とみにして求もとむ可べくんば、執鞭しつべんの士しと雖いえども、吾われ亦また之これを為なさん。如もし求もとむ可べからずんば、吾わが好このむ所ところに従したがわん。

富が人間として求むべきものなら、御者のような仕事でもやってみよう。だが、それが求むべきものでないなら、私は私の好む道を選びたい。

子し曰いわく、疏食そしを飯くらい水みずを飲のみ、肱ひじを曲まげて之これを枕まくらとす。楽たのしみ亦また其その中うちに在あり。不義ふぎにして富とみ且かつ貴たっときは、我われに於おいて浮ふ雲うんの如ごとし。

粗末な飯を食べ、水を飲み、肱を枕にして寝るような貧しい暮らしでも結構楽しい。不義により得た富や位は、私にとっては空に浮かぶ雲のようなものだ。

子し曰いわく、我われは生うまれながらにして之これを知しる者ものに非あらず。古いにしえを好このみ、敏びんにして以もって之これを求もとめし者ものなり。

私は生れながらにして知識があったわけではない。先人の書物を読み、絶えず探求してきただけだ。

子し曰いわく、三人さんにん行おこなえば、必かならず我わが師し有あり。其その善よき者ものを択えらびて之これに従したがい、其その善よからざる者ものにして之これを改あらたむ。

三人で道を行けば、そこに私の先生となる人が必ずいる。長所があれば見習うことができるし、短所があれば人の振り見て我が振りを直すことができる。

子し、釣つりして綱こうせず。弋よくして宿しゅくを射いず。

孔子は釣りはしたが、綱は使わなかった。鳥を射ることはあったが、巣で休んでいる鳥を射ることはなかった。

子し曰いわく、奢しゃなれば則すなわち不ふ孫そん、倹けんなれば則すなわち固こなり。其その不ふ孫そんならんよりは、寧むしろ固こなれ。

贅沢は人を不遜にするが、倹約は人を窮屈にする。不遜であるよりは、まだ窮屈な方がいい。

子し曰いわく、君くん子しは坦たんとして蕩蕩とうとうたり。小しょう人じんは長とこしなえに戚戚せきせきたり。

君子は穏やかでのびのびとしているが、小人はいつもびくびくしている。

泰伯第八
曾そう子し、疾やまい有あり。孟敬もうけい子し之これを問とう。曾そう子し言いいて曰いわく、鳥とりの将まさに死しなんとする、其その鳴なくや哀かなし。人ひとの将まさに死しなんとする、其その言げんや善よし。君くん子しの道みちに貴たっとぶ所ところの者もの三さんあり。容貌ようぼうを動うごかしては、斯ここに暴慢ぼうまんに遠とおざかる。顔がん色しょくを正ただしては、斯ここに信しんに近ちかづく。辞気じきを出いだしては、斯ここに鄙ひ倍ばいに遠とおざかる。籩豆へんとうの事ことは、則すなわち有ゆう司し存そんす。

病床にある曾子は、見舞いに来た孟敬子に言った。
「鳥は死ぬ前に悲しげな声で鳴き、人は死ぬ前に優れた言葉を吐く。君子が尊重すべきことは三つある。一つに、態度を謹んで粗暴怠慢にならないこと、二つに、表情を正しくして信頼されること、三つに、言葉を丁重にして野卑不合理にならないことだ。祭典の器の並べ方など係の役人に任せればよい」

曾そう子し曰いわく、士しは以もって弘こう毅きならざる可べからず。任にん重おもくして道みち遠とおし。仁じん以もって己おのが任にんと為なす。亦また重おもからずや。死しして後のち已やむ。亦また遠とおからずや。

人は包容力があり、意思が強くなければいけない。その使命は重く、道は遠いからである。仁をもって自分の任務とする、なんと重い使命ではないか。それは死ぬまで続く、なんと遠い道ではないか。

子し曰いわく、学がくは及およばざるが如ごとくするも、猶なお之これを失うしなわんことを恐おそる。

学問は追いかけも追いつくことができない。学んだと思っても見失しなってしまう。

子罕第九
子し、罕まれに利りと命めいと仁じんとを言いう。

孔子は利益と命と仁について滅多に語ることはなかった。それは利益は利己的で、命は奥深く、仁は遠大であるからだ。

子し、四しを絶たつ。意い毋なく、必ひつ毋なく、固こ毋なく、我が毋なし。

孔子は四つの欠点がなかった。それは、独善、執着、固辞、利己である。

子し、川かわの上ほとりに在ありて曰いわく、逝ゆく者ものは斯かくの如ごときか、昼ちゅう夜やを舎おかず。

川上に在りてこう言った。世の中はこのように流れていく、昼も夜も止むことなく。

後生ごうせい畏るべし。

自分より年若い者であっても、努力次第でどんなにも優れた人物になる可能性があるから、決して見下してはいけない。

子し曰いわく、三軍さんぐんも帥すいを奪うばう可べきなり。匹ひっ夫ぷも志こころざしを奪うばう可べからざるなり。

大軍の将でも、それを捕虜にできないことはない。しかし、どのような凡人でも、その人の自由な意志を奪うことはできない。

子し曰いわく、知ち者しゃは惑まどわず。仁者じんしゃは憂うれえず。勇者ゆうしゃは懼おそれず。

知者には迷いがなく、仁者には憂いがなく、勇者には怖れがない。

郷党第十
厩うまや焚やけたり。子し、朝ちょうより退しりぞく。曰いわく、人ひとを傷そこなえるかと。馬うまを問とわず。

孔子の馬屋が火事になった。朝廷から戻るとけが人はなかったかと聞き、馬のことは聞かなかった。

先進第十一
季路きろ、鬼き神しんに事つかうることを問とう。子し曰いわく、未いまだ人ひとに事つかうること能あたわず、焉いずくんぞ能よく鬼きに事つかえん。曰いわく、敢あえて死しを問とう。曰いわく、未いまだ生せいを知しらず、焉いずくんぞ死しを知しらん。

季路が鬼神に仕える道を師に尋ねた。
孔子「まだ人に仕える道も分からないのに、鬼神に仕える道までは分からない」
季路「では、死について教えてください」
孔子「まだ生についても分からないのに、死についてまでは分からない」

子し貢こう問とう、師しと商しょうと孰いずれか賢まされる。子し曰いわく、師しや過すぎたり。商しょうや及およばず。曰いわく、然しからば則すなわち師し愈まされるか。子し曰いわく、過すぎたるは猶なお及およばざるがごとし。

子貢「子張と子夏はどちらが優れているでしょうか」
孔子「子張はやり過ぎており、子夏はもの足りない」
子貢「では、子張の方が勝っているでしょうか」
孔子「やり過ぎるのともの足りないのは同じことだ」

  • 過ぎたるは及ばざるがごとし
    何事もやり過ぎることは、やり足りないのと同じように良くないと諭しています。
柴さいや愚ぐ、参しんや魯ろ、師しや辟へき、由ゆうや喭がんなり。

高柴は愚かで、曹参はのろく、子張は我が強く、子路は粗暴だ。

子路しろ・曾晳そうせき・冉有ぜんゆう・公西こうせい華か侍坐じざす。子し曰いわく、吾われ一日いちじつ爾なんじより長ちょうぜるを以もって、吾われを以もってすること毋なかれ。居おりては則すなわち曰いわく、吾われを知しらざるなり、と。如もし或あるいは爾なんじを知しらば、則すなわち何なにを以もってせんや

私がお前たちより年長だからといって、遠慮することはない。自分を認めて用いてくれる人がないと言っているが、もし用いてくれる人がいたら、どんな仕事がしたいのか。

  • 一日の長
    他者より少し年齢が上であることを表し、それが転じて、知識や技能が他の者より少し優れていることの例えとなっています。
顔淵第十二
顔淵がんえん仁じんを問とう。子し曰いわく、己おのれに克かちて礼れいに復かえるを仁じんと為なす。一日いちじつ己おのれに克かちて礼れいに復かえれば、天てん下か仁じんに帰きせん。仁じんを為なすは己おのれに由よる。而しこうして人ひとに由よらんや。顔淵がんえん曰いわく、其その目もくを請こい問とう。子し曰いわく、非ひ礼れいは視みること勿なかれ、非ひ礼れいは聴きくこと勿なかれ、非ひ礼れいは言いうこと勿なかれ、非ひ礼れいは動うごくこと勿なかれ。顔淵がんえん曰いわく、回かい不ふ敏びんなりと雖いえども、請こう斯この語ごを事こととせん。

顔淵が仁の意義をたずねた。
孔子「己に克ち、私欲を抑えて、礼に基づくのが仁である。それができれば、天下の人心も仁に戻るであろう。仁の自身の行為によるもので、他人から与えられるものではない」
顔淵「具体的に何をすればよいでしょうか」
孔子「非礼なことは見ない、非礼なことは聞かない、非礼なことは口にしない、非礼なことは行なわない」
顔淵「至らぬ者ではありますが、それを守っていきたいと思います」

仲弓ちゅうきゅう、仁じんを問とう。子し曰いわく、門もんを出いでては大賓たいひんを見みるが如ごとくし、民たみを使つかうには大祭たいさいを承うくるが如ごとくす。己おのれの欲ほっせざる所ところは、人ひとに施ほどこすこと勿なかれ。邦くにに在ありても怨うらみ無なく、家いえに在ありても怨うらみ無なし。仲弓ちゅうきゅう曰いわく、雍よう、不ふ敏びんなりと雖いえども、請こう斯この語ごを事こととせん。

仲弓が仁について尋ねた。
孔子「外に出たら貴賓に会うように礼を尽くせ。人民を使うときは祭祀を行うように気を配れ。自分が欲しないことを、人に施してはならない。それができれば、国に仕えても、家にあっても、恨まれることはないだろう」
仲弓「至らぬ者ではありますが、それを守っていきたいと思います」

  • 己の欲せざる所は人に施すこと勿れ[己所不欲、勿施於人]
    自分が好まないことは、他人に対しても行ってはならないという戒めです。
司馬しば牛ぎゅう憂うれえて曰いわく、人ひと皆みな兄弟けいてい有あり。我われ独ひとり亡なし。子夏しか曰いわく、商しょう之これを聞きく。死し生せい命めい有あり、富ふう貴き天てんに在あり。君くん子し敬けいして失うしなう無なく、人ひとと与まじわるに恭うやうやしくして礼れい有あらば、四し海かいの内うち、皆みな兄弟けいていなり。君くん子し何なんぞ兄弟けいてい無なきを患うれえんや。

司馬牛「皆兄弟があるのに、私だけにはない」
子夏「生き死にや富は天命だと聞いている。交友を大切にし、礼を尽くせば、人は全て兄弟になる。兄弟がいないことを気にする必要はない」

子し貢こう、政まつりごとを問とう。子し曰いわく、食しょくを足たらしめ、兵へいを足たらしめ、民たみ之これを信しんず。子し貢こう曰いわく、必かならず已やむを得えずして去さらば、斯この三者さんしゃに於おいて何なにをか先さきにせん。曰いわく、兵へいを去さらん。子し貢こう曰いわく、必かならず已やむを得えずして去さらば、斯この二に者しゃに於おいて何なにをか先さきにせん。曰いわく、食しょくを去さらん。古いにしえより皆みな死し有あり、民たみ、信しん無なくんば立たたず。

子貢が政治の要諦について尋ねた。
孔子「食糧を充実させ、軍備を完成させ、信頼ある政治を行う、この三つだ」
子貢「その三つのうち、止む無く一つを断念する場合、それは何か」
孔子「軍備だ」
子貢「その次に断念するのは何か」
孔子「食糧だ。人はいつか死ぬが、信頼を失えば、もはや国は成り立たない」

子し曰いわく、君くん子しは人ひとの美びを成なし、人ひとの悪あくを成なさず。小しょう人じんは是これに反はんす。

君子は人の長所を見つけて伸ばしてやるが、小人はその反対をやる。

季き康こう子し、政まつりごとを孔こう子しに問とう。孔こう子し対こたえて曰いわく、政せいは正せいなり。子し、帥ひきいるに正せいを以もってせば、孰たれか敢あえて正ただしからざらん。

季康子が政治について尋ねた。
孔子「政治の政は正道である。あなたが正道に立って行なえば、誰が不正を行うだろうか」

子し貢こう友ともを問とう。子し曰いわく、忠ちゅう告こくして之これを善道ぜんどうし、不可ふかなれば則すなわち止やむ。自みずから辱はずかしめらるること毋なかれ。

子貢が交友の道をたずねた。先師はこたえられた。――
「真心こめて忠告しあい、善導しあうのが友人の道だ。しかし、忠告善導が駄目だったら、やめるがいい。無理をして自分を辱しめるような破目はめになってはならない」

子路第十三
子路しろ政まつりごとを問とう。子し曰いわく、之これに先さきんじ、之これを労ねぎらう。益まさんことを請こう。曰いわく、倦うむこと無なかれ。

子路が政治について尋ねた。
孔子「人民の先頭に立ち、人民を労わることだ」
子路「もう少しお話をお願いします」
孔子「それを飽きないで行うことだ」

子し曰いわく、其その身み正ただしければ、令れいせずして行おこなわる。其その身み正ただしからざれば、令れいすと雖いえども従したがわれず。

自分の行いが正しければ、命令を下さないでも、人は行うようになる。自分の行いが正しくなければ、どんなに命令を下しても、人は従おうとしない。

子し曰いわく、苟いやしくも其その身みを正ただしくせば、政まつりごとに従したがうに於おいて何なにか有あらん。其その身みを正ただしくする能あたわずんば、人ひとを正ただしくするを如何いかんせん。

行いが正しい者には国を治めることは容易い。行いが正しくない者は、どうして人を導けるだろうか。

子夏しか、莒きょ父ほの宰さいと為なり、政まつりごとを問とう。子し曰いわく、速すみやかならんことを欲ほっする無なかれ。小しょう利りを見みること無なかれ。速すみやかならんことを欲ほっすれば、則すなわち達たっせず。小しょう利りを見みれば、則すなわち大だい事じ成ならず。

子夏が代官となった時、政治について尋ねた。
孔子「功を焦せるな、小利に囚われるな。焦ると任務を全うできないし、小利に囚われると大事業を成し遂げることができない」

樊はん遅ち仁じんを問とう。子し曰いわく、居処きょしょするに恭うやうやしく、事ことを執とるに敬つつしみ、人ひとに与まじわりて忠ちゅうならば、夷い狄てきに之ゆくと雖いえども、棄すつ可べからざるなり。

樊遅が仁について尋ねた。
孔子「生活は控えめにし、仕事を大切にし、対人関係は誠実であること。この三つを守れば、野蛮な地に行っても見捨てられることはない」

子し曰いわく、君くん子しは和わして同どうぜず、小しょう人じんは同どうじて和わせず。

君子は協調性はあるが、やたらに妥協しない。小人は徒党を組むが、協調性はない。

  • 和して同ぜず[和而不同]
    他の人たちと協力はするが、むやみと同調はしないという意味です。
子し曰いわく、君くん子しは泰ゆたかにして驕きょうならず。小しょう人じんは驕きょうにして泰ゆたかならず。

君子は泰然としているが、放漫ではない。小人は放漫だが、泰然たるところがない。

憲問第十四
憲けん、恥はじを問とう。子し曰いわく、邦くに、道みち有あれば穀こくす。邦くに、道みち無なくして穀こくするは、恥はじなり。

憲が恥について尋ねた。
孔子「国に道が行なわれている時に禄(ろく)を食(は)むのは恥ずべきことではないが、国に道が行なわれていない時に、禄を食むのは恥ずべきである」

子し曰いわく、貧ひんにして怨うらむこと無なきは難かたく、富とみて驕おごること無なきは易やすし。

貧乏でも怨むことはない、これは難しい。金持ちでも驕らない、これは容易いことだ。

子路しろ、成人せいじんを問とう。子し曰いわく、臧ぞう武ぶ仲ちゅうの知ち、公こう綽しゃくの不ふ欲よく、卞べん荘そう子しの勇ゆう、冉ぜん求きゅうの芸げいの若ごとき、之これを文かざるに礼楽れいがくを以もってせば、亦また以もって成人せいじんと為なす可べし。曰いわく、今いまの成人せいじんなる者ものは何なんぞ必かならずしも然しからん。利りを見みては義ぎを思おもい、危あやうきを見みては命めいを授さずけ、久きゅう要ように平生へいぜいの言げんを忘わすれざれば、亦また以もって成人せいじんと為なす可べし。

子路が成人について尋ねた。
孔子「臧武仲の知恵、公綽の無欲さ、卞荘子の勇気、冉求の教養、さらに礼よ楽を持ち合わせれば成人と言ってよいだろう。そこまでならずとも、利益を前にしても道義を考え、危険を前にしても命を顧みず、約束したことを忘れなければ成人と言ってよいだろう」

子し曰いわく、其それ之これを言いいて怍はじざれば、則すなわち之これを為なすや難かたし。

恥ずかしくもなく偉そうなことを言う者に限って、その行いは怪しいものだ。

子し曰いわく、古いにしえの学者がくしゃは己おのれの為ためにし、今いまの学者がくしゃは人ひとの為ためにす。

昔の人は自分を高めるために学問をした。今の人は他人に見せるために学問をしている。

子し曰いわく、君くん子しは其その言げんの其その行おこないに過すぐるを恥はず。

君子は言葉が過大になることは恥じるが、実践が過大になるように努める。

子し貢こう人ひとを方くらぶ。子し曰いわく、賜しや賢けんなるかな。夫それ我われは則すなわち暇いとまあらず。

子貢が人物の論評をしていた。
孔子「子貢はずいぶん偉いのだな、私にはそのような暇はない」

子し曰いわく、驥きは其その力ちからを称しょうせず。其その徳とくを称しょうするなり。

名馬はその脚力ではなく、その徳性が称えられている。

或あるひと曰いわく、徳とくを以もって怨うらみに報むくゆるは、何如いかん。子し曰いわく、何なにを以もって徳とくに報むくいん。直なおきを以もって怨うらみに報むくい、徳とくを以もって徳とくに報むくいん。

「怨みに対し、徳で報いるのは如何でしょうか」
孔子「それでは徳に対して何で報いるのか。怨みには正しさをもって報い、徳には徳をもって報いるのがよい」

子し曰いわく、我われを知しること莫なきかな。子し貢こう曰いわく、何なん為すれぞ其それ子しを知しる莫なからんや。子し曰いわく、天てんを怨うらみず、人ひとを尤とがめず、下か学がくして上じょう達たつす。我われを知しる者ものは其それ天てんか。

孔子「誰も私を知る者はいない」
子貢「どうして先生のような方が世に知られないことがあり得ましょう」
孔子「私は天を怨むことも、人を責めることもしない。私はただ簡単なことから学び始め、徐々に上達した。私のことを知っているのは天だけであろう」

子路しろ石門せきもんに宿しゅくす。晨門しんもん曰いわく、奚いずれ自よりする。子路しろ曰いわく、孔こう氏し自よりす。曰いわく、是これ其その不可ふかなるを知しりて、之これを為なす者ものか。

子路が石門で一夜を明かした。
門番「どこから来たか」
子路「孔家のものだ」
門番「だめなことが分かっていながら、まだやっている人のところだな」

原げん壌じょう夷いして俟まつ。子し曰いわく、幼ようにして孫弟そんていならず、長ちょうじて述のぶること無なく、老おいて死しせず。是これを賊ぞくと為なすと。杖つえを以もって其その脛すねを叩たたく。

原壌が、座ったまま孔子を迎えた。
孔子「お前は子供の頃は言うことを聞かず、大人になっても何のとりえはないが、老いてもまだ生き永らえているならず者だ」
そう言って杖で彼の脛を叩いた。

衛霊公第十五
子し曰いわく、直ちょくなるかな史し魚ぎょ。邦くにに道みち有あれば矢やの如ごとく、邦くにに道みち無なきも矢やの如ごとし。君くん子しなるかな蘧きょ伯はく玉ぎょく、邦くにに道みち有あれば則すなわち仕つかえ、邦くにに道みち無なければ則すなわち巻まきて之これを懐ふところにす可べし。

史魚は真っ直ぐな人物だ。国が治まっている時は矢のように真っ直ぐに仕え、国が乱れた時も矢のように真っ直ぐだ。蘧伯玉は君子のような人物だ。国が治まっている時は仕え、国が乱れた時はさっさと引退した。

子し曰いわく、与ともに言いう可べくして、之これと言いわざれば、人ひとを失うしなう。与ともに言いう可べからずして、之これと言いえば、言げんを失うしなう。知ち者しゃは人ひとを失うしなわず、亦また言げんを失うしなわず。

語り合える人物と語り合わないのは、友を失うことになる。語るに足りない人物とばかり語り合うのは、言葉を失うことになる。知者は友を失わないし、言葉を失わない。

子し貢こう、仁じんを為なすことを問とう。子し曰いわく、工こう、其その事ことを善よくせんと欲ほっすれば、必かならず先まず其その器きを利りにす。是この邦くにに居おるや、其その大たい夫ふの賢者けんじゃに事つかえ、其その士しの仁者じんしゃを友ともとす。

職人がよい仕事をするためには、まず道具を磨く。どこの国に行こうと、人物を選んで仕え、徳ある人物と交友するがよい。

子し曰いわく、人ひと遠とおき慮おもんぱかり無なければ、必かならず近ちかき憂うれい有あり。

将来のことを考えない人間には、必ず間近かに不運が待っている。

子し曰いわく、群居ぐんきょ終しゅう日じつ、言げん、義ぎに及およばず、好このんで小しょう慧けいを行おこなう。難かたいかな。

大勢が一日中、道義の話しには触れず、自慢話ばかりしている。見込みなしだ。

子し曰いわく、君くん子しは言げんを以もって人ひとを挙あげず、人ひとを以もって言げんを廃はいせず。

君子は、話しが上手いからといって、その人を推薦しない。行いが良くないからといって、その人の善い言葉を無視しない。

子し貢こう問といて曰いわく、一言いちげんにして以もって終しゅう身しん之これを行おこなう可べき者もの有ありや。子し曰いわく、其それ恕じょか。己おのれの欲ほっせざる所ところは、人ひとに施ほどこすこと勿なかれ。

子貢「生涯の行為を律すべき一言はあるでしょうか」
孔子「それは恕だろう。自分が好まないことを人にも行なわないということだ」

子し曰いわく、巧言こうげんは徳とくを乱みだる。小しょうを忍しのばざれば、則すなわち大謀たいぼうを乱みだる。

口が上手いのは徳の妨げになり、小さな忍耐がないようでは大きな事を誤まる。

子し曰いわく、衆しゅう之これを悪にくむも必かならず察さっし、衆しゅう之これを好このむも必かならず察さっす。

多数の人が悪いという人物でも、必ず自分で見ることだ。多数の人が良いという人物でも、必ず自分で見ることだ。

子し曰いわく、人ひと能よく道みちを弘ひろむ。道みちの人ひとを弘ひろむるに非あらず。

人が道を広めるのであって、道が人を広めるのではない。

子し曰いわく、過あやまちて改あらためざる、是これを過あやまちと謂いう。

過ちを犯しても改めないこと過ちという。

子し曰いわく、吾われ嘗かつて終しゅう日じつ食くらわず、終しゅう夜や寝いねず、以もって思おもう。益えき無なし。学まなぶに如しかざるなり。

かつて一日中何も食べず、夜も寝ないで思索に耽ったが、何も得るところもなかった。やはり地道に学ぶのが良い。

子し曰いわく、仁じんに当あたりては、師しにも譲ゆずらず。

仁に関することなら、師にも遠慮する必要はない。

子し曰いわく、君くん子しは貞ていにして諒りょうならず。

君子は正しいことは守るが、小さな事には拘らない。

季氏第十六
孔こう子し曰いわく、益者えきしゃ三友さんゆう、損者そんしゃ三友さんゆうあり。直ちょくを友ともとし、諒りょうを友ともとし、多た聞ぶんを友ともとするは、益えきなり。便辟べんぺきを友ともとし、善ぜん柔じゅうを友ともとし、便佞べんねいを友ともとするは、損そんなり。

為になる友人が三人、為にならない友人が三人いる。正直な者、誠実な者、博学な者は付き合えば為になる。形式だけの者、盲従する者、口先だけの者は付き合っても為にならない。

孔こう子し曰いわく、生うまれながらにして之これを知しる者ものは上じょうなり。学まなびて之これを知しる者ものは次つぎなり。困くるしみて之これを学まなぶは又また其その次つぎなり。困くるしみて学まなばざるは、民たみにして斯これを下げと為なす。

生れながら知性のある者は最上である。学んで知性を得る者はその次である。必要とされて学ぶ者はその次である。必要とされても学ばない者は下の人間だ。

孔こう子し曰いわく、君くん子しに九きゅう思し有あり。視みるには明めいを思おもい、聴きくには聡そうを思おもい、色いろは温おんを思おもい、貌かたちは恭きょうを思おもい、言げんは忠ちゅうを思おもい、事ことは敬けいを思おもい、疑うたがいには問とうを思おもい、忿いかりには難なんを思おもい、得うるを見みては義ぎを思おもう。

君子には九つの思いがある。見るときはよく視て、聞くときはよく聴き、表情は温和にし、態度は謙虚にし、言葉は誠実にし、仕事は丁寧に行い、疑問は問い質し、怒りは害を知り、利得を見ては正義を思う。

誠まことに富とみを以もってせず、亦また祇まさに異いを以もってす。

「人を見るに富を尺度にしない。行為を尺度にする」(詩経)

孔こう子し曰いわく、君くん子しに三戒さんかい有あり。少わかき時ときは、血けっ気き未いまだ定さだまらず、之これを戒いましむること色いろに在あり。其その壮そうなるに及およびてや、血けっ気き方まさに剛ごうなり、之これを戒いましむること闘とうに在あり。其その老おいるに及およびてや、血けっ気き既すでに衰おとろう、之これを戒いましむること得うるに在あり。

君子に戒むべきことが三つある。青年ときは血気が定まらないから、戒むべきは性慾である。壮年のときは血気が盛んであるから、戒むべきは喧嘩である。老年のときは血気が衰えるから、戒むべきは物欲である。

陽貨第十七
子し曰いわく、性せい相あい近ちかし、習ならい相あい遠とおし。

人間は生れつきは似たものであるが、習うことにより差は大きくなる。

子し曰いわく、由ゆうや、女なんじ六言りくげん六蔽りくへいを聞きけるか。対こたえて曰いわく、未いまだし。居おれ、吾われ女なんじに語かたらん。仁じんを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや愚ぐ。知ちを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや蕩とう。信しんを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや賊ぞく。直ちょくを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや絞こう。勇ゆうを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや乱らん。剛ごうを好このみて学がくを好このまざれば、其その蔽へいや狂きょうなり。

孔子「美徳には弊害が伴うことを聞いたことがあるか」
子路「まだ聞いていません」
孔子「仁を好んで学問を好まないのはお人好し。知を好んで学問を好まないのはでたらめ。信を好んで学問を好まないと騙される。直を好んで学問を好まないと融通が利かず。勇を好んで学問を好まないと秩序を乱す。剛を好んで学問を好まないと偏屈になる」

子し曰いわく、色いろ厲はげしくして内うち荏やわらかなるは、諸これを小しょう人じんに譬たとうれば、其それ猶なお穿せん窬ゆの盗とうのごときか。

見かけは威厳があるが、実態は臆病だ。これを小人に例えるなら、コソ泥のようなものだ。

子し曰いわく、郷きょう原げんは徳とくの賊ぞくなり。

偽善は徳に対する冒涜だ。

子し曰いわく、道みちに聴ききて塗みちに説とくは、徳とくを之これ棄すつるなり。

聞きかじったことをすぐに人にいって聞かせる。それでは徳を棄てるようなものだ

子し曰いわく、鄙夫ひふは与ともに君きみに事つかう可べけんや。其その未いまだ之これを得えざるや、之これを得えんことを患うれう。既すでに之これを得うれば、之これを失うしなわんことを患うれう。苟いやしくも之これを失うしなわんことを患うれうれば、至いたらざる所ところ無なし。

卑しい人間とは一緒に仕えることができない。まだ地位を得ないうちは、それを得たいと焦り、一旦それを得ると、それを失うまいと焦る。失うまいと焦ると、どんなことでもやりかねない。

子し曰いわく、紫むらさきの朱しゅを奪うばうを悪にくむ。鄭声ていせいの雅が楽がくを乱みだるを悪にくむ。利り口こうの邦ほう家かを覆くつがえす者ものを悪にくむ。

紫色が朱色に代わって流行ることを懸念する。低俗な音楽が伝統的な音楽に代わって流行ることを懸念する。口上手な人が国家を危くしていることを懸念する。

孺じゅ悲ひ、孔こう子しに見まみえんと欲ほっす。孔こう子し辞じするに疾しつを以もってす。命めいを将おこなう者もの戸こを出いづ。瑟しつを取とりて歌うたい、之これをして之これを聞きかしむ。

孺悲が孔子に面会を求めた。孔子は病気だといって会わなかったが、取次の者がそれを伝えて部屋を出ると、すぐ歌をうたって、孺悲にそれが聞こえるようにした。

子し曰いわく、飽あくまで食くらいて日ひを終おえ、心こころを用もちうる所ところ無なきは、難かたいかな。博弈ばくえきなる者もの有あらずや。之これを為なすは猶なお已やむに賢まされり。

終日食べてばかりで何も考えない人間は始末におえない。何も考えないより、双六や碁をやっている人間の方がまだましだ。

子し曰いわく、唯ただ女じょ子しと小しょう人じんとは養やしない難がたしと為なす。之これを近ちかづくれば則すなわち不ふ孫そんなり。之これを遠とおざくれば則すなわち怨うらむ。

女と身分の低い人間は扱いにくい。近づけると馴れ馴れしいし、遠ざけると怨むのだから。

子し曰いわく、年とし四し十じゅうにして悪にくまる、其それ終おわらんのみ。

人間が四十歳にもなっても嫌われるようなら、もう見込みはない。

子張第十九
子し張ちょう曰いわく、士しは危あやうきを見みては命めいを致いたし、得うるを見みては義ぎを思おもい、祭まつりには敬けいを思おもい、喪もには哀あいを思おもう。其それ可かなるのみ。

いざとなれば命を惜しまず、金を出されてもみだりに受け取らず、祭事には敬虔に行い、喪には心から哀悼する。これができれば士と称することができる。

子夏しか曰いわく、日ひに其その亡なき所ところを知しり、月つきに其その能よくする所ところを忘わするること無なきは、学がくを好このむと謂いう可べきのみ。

毎日自分の知らないことを知り、毎月知り得たことを忘れないように努める。これなら学問好きと言えるだろう。

子夏しか曰いわく、博ひろく学まなびて篤あつく志こころざし、切せつに問といて近ちかく思おもう。仁じん其その中うちに在あり。

広く学んで、志をしっかり持ち続け、疑問が生じたら教えを乞い、身近なことから考えるならば、仁はおのずから身に付くだろう。

子夏しか曰いわく、君くん子しに三変さんぺん有あり。之これを望のぞめば儼然げんぜんたり。之これに即つくや温おんなり。其その言げんを聴きくや厲はげし。

君子に接すると三つの変化が見られる。遠くから望むと厳然があり、近づいて見ると温かみがあり、その言葉を聞くとは厳しく公正である。

子夏しか曰いわく、君くん子しは信しんぜられて而しかる後のちに其その民たみを労ろうす。未いまだ信しんぜられざれば、則すなわち以もって己おのれを厲なやますと為なすなり。信しんぜられて而しかる後のちに諫いさむ。未いまだ信しんぜられざれば、則すなわち以もって己おのれを謗そしると為なすなり。

君子はまず人民の信頼を得てから彼らを働かせる。信頼を得ないで働かせると、彼らは搾取されたと思うだろう。君子はまず君主の信頼を得てから君主を諫める。信頼を得ないで諫めると、君主は自分が誹られていると思うだろう。

子夏しか曰いわく、大徳だいとくは閑のりを踰こえざれば、小しょう徳とくは出入しゅつにゅうすとも可かなり。

大きな事で枠を越えなければ、小さな事は多少踏み外してもよい。

子夏しか曰いわく、仕つかえて優ゆうなれば則すなわち学まなび、学まなびて優ゆうなれば則すなわち仕つかう。

公務に仕えて余力があったら学問に励み、学問をして余力があったら、公務に仕えるのがよい。

堯曰第二十
孔こう子し曰いわく、命めいを知しらざれば、以もって君くん子しと為なす無なきなり。礼れいを知しらざれば、以もって立たつ無なきなり。言げんを知しらざれば、以もって人ひとを知しる無なきなり。

天命を知らないでは君子ではない、礼を知らないでは世に立てない、言葉を知らないでは人を知ることができない。

 

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