老子の話

/東洋の思想

老子とは

老子とは、紀元前6世紀頃(春秋戦国時代)の中国の哲学者で、「老子(老子道徳経)」を書いたとされていますが、その履歴には不明な部分も多くあります。後に生まれた道教では、老子を始祖と置いています。

老子は、「無為の治」(自然に任せること)を理想の政治とし、「小国寡民」(小さな国で少ない民)を理想の国として説いています。

老子のことば

上篇(道経)

【一】道の道とすべきは、常の道に非ず[道可道、非常道]

巻頭のことばであり、真の道は絶対不変の固定した道ではないという意味です。万物は一瞬も止まることなく変化しており、変化こそ宇宙の本質であり、事物を常に変化において捉えなくてはならないとしています。

【三】無為を為せば、則ち治まらざる無し[爲無爲、則無不治]

支配者が特別なことを行わなくても、自然に任せれば国はうまく治まると説いており、老子の考える理想の政治を表しています。

【八】上善は水のごとし[上善若水]

水は万物を育てながら、自ら主張せず低きへ下る。変化に柔軟に応じ、その働きに無理はない。この水のように、人に遜(へりくだ)り争わない姿勢こそが、最上の善であると説きます。

【十八】大道廃れて仁義あり[大道廢、有仁義]

無為自然の大道が無くなってしまったから、仁義(道徳)というものが大切にされるようになった。理想的な治世においては道徳は必要なく、道徳は作為的なものと考えています。

【二十】学を絶てば憂いなし[絶學無憂]

虚偽が生まれたのは、人間の賢(さか)しさが横行するようになったからと考えており、学問や知識を重視する風潮を批判しています。

【三十七】常に道は無為にして為さざるなし[道常無爲、而無不爲]

万物は自ら行為する意思を持たず、しかし全てを成し遂げる。これが自然の法則であり、この法則を人間社会にも適用し、無為の姿勢が大切であると説きます。

下篇(徳経)

【四十一】大器晩成(たいきばんせい)

本当の大人物は、若いころには才能を現さず、人より遅れて頭角を現すという例えで、優れた人物が出来上がるには時間が掛かるという意味を持ちます。

【四十五】大功は拙なるがごとし[大巧若拙]

真実なるものは全て作為を捨てて自然のままであるから、返って真実とは捉えにくいということの例えで、大事を志す人間が他人に警戒されないように、愚鈍を装う場合にも使われます。

【五十六】和光同塵(わこうどうじん)[和其光、同其塵]

凡庸として掴みどころのない有様の形容で、どう見たらよいか判断の手掛かりを与えない人間が、最も偉大であると説きます。

【五十七】無為にして化す[我無爲而民自化]

倫理や道徳などはあらためて説かなくても、自然にしておれば、人民を感化することができる。無為だからこそ、人を感化することができると説きます。

【六十】大国を治るは、小鮮を煮るがごとし[治大國、若烹小鮮]

大国を治めるには、小魚を煮るように、あれこれ手を加えない方が良い。人民が支配者の存在を意識しないような、そのような統治が最善であると説きます。

【六十三】怨みに報ゆるに徳をもってす[報怨以德]

過去の怨み(個人的な思い)ではなく、徳(人為を超えた道)をもって人と接すること。限りなく変化する自然と自分を一体化させるよう説いています。

【七十八】柔よく剛を制す[柔之勝剛]

この世で水ほど弱く柔らかいものはない。しかし、時により水ほど、堅くて強いものに対し威力を発揮するものはない。最も柔軟なものが、最も強固なものに打ち勝つことができると説きます。

【八十】小国寡民(しょうこくかみん)

国は小さく人口も少なく、舟にも車にも乗る必要が無く、武器も使い道がない。文字を書く必要もなく、隣の国と往来する必要もない。これが、老子の説く理想郷とされています。

 

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