古事記を読む(上巻4~5)

/神道

大國主神

因幡の白兎

かれ大国主神おほくにぬしのかみ兄弟あにおと八十神やそかみいまし、しかるに皆の国は大国主神おほくにぬしのかみいてやらひきやらひし所以ゆえは、其の八十神やそかみおのおの稲羽いなば八上比売やがみひめよばはむとねがひしの心有り、共に稲羽いなばに行かむとせし時、大穴牟遅神おほなむちのかみに於いて袋をほし従者つかひひとの為に率往ひきいて行きき、於是ここにおいて気多けたさきに到りし時、あかはだかうさぎ伏しき也

この大国主神(おおくにぬしのかみ、以下、オオクニヌシ)には、多くの兄弟(八十神)がいました。その兄弟たちは、オオクニヌシを国から追い出そうとしていました。その理由は、兄たちが皆そろって、因幡(いなば)の八上比売(やがみひめ)という美しい姫に求婚しようと考えていたからです。
そこで、皆で因幡に向かいましたが、オオクニヌシは彼らの荷物を背負う従者のような役目のめ連れて行かれました。一行が気多(けた、今の鳥取県の辺り)に差しかかった時、そこに裸のウサギが横たわっていました。

ここ八十神やそかみうさぎひしく、いましまさむとすることはの海のしほを浴び、風の吹くに当たりて、しかるに高き山のの上に伏せと云ひき、かれ其の菟は八十神ののりまにまに、而るに伏して爾に其の鹽るるまにまに、其の身の皮ことごと風に吹かれ見てけし、ゆえに痛く苦しく泣き伏せば最後いやはてこれ来し、大穴牟遅神おおあなむぢのかみ其の菟を見て言ひしく、何由いかなるゆえに汝は泣き伏すや

それを見た兄弟たちは、ウサギにこう言いました。
「お前が元の姿に戻りたいなら、この海水に入って体を洗い、そのあと風に当たって高い山の尾根に横たわるといいぞ」
そこでウサギはその言葉に従って海水で体を洗い、風に吹かれるように高い山の尾根に伏しました。しかし、海水が乾くにつれて体の皮膚はどんどん裂けてしまい、ウサギは激しい痛みに耐えながら泣き伏していました。
そこに兄弟たちのあとをついてやってきオオクニヌシは、そのウサギの姿を見てこう尋ねました。
「どうしてお前は泣き伏しているのか」

うさぎ答へて言ひしくやつかれ淤岐おきの嶋にり、いへどの地にわたらむとおもへど度り無く、因故かによりて海の和邇わにあざむきて言はく、あれいましきほひてうがらの多かるか小なかるか計るをる、かれなれうがら在るをしたがことごと率い来て、此の嶋気多けた前于においおのおのつらね伏せわたせ、ここに吾は其の上を踏み走りつつ読み度り、於是ここにおいて吾がうがらいづれの多かるかを知らむとすと、此如このごとく言へばあざむかえ見て、しかるにつらねて伏ししの時

ウサギが答えて言った。
「私は淤岐嶋(おきのしま)にいましたが、この地へ渡りたいと思っても、渡る手段がありませんでした。そこで、海にいたサメ(和邇)たちにこう言って騙したのです。
『私はあなたたちと、どちらの一族が多いかを比べたい。だから、あなたたちは一族全員を、この島から気多(けた)の前まで、一列に並んで伏してくれ。そうすれば、私はその上を踏みながら走って渡って数えるから、それでどちらが多いかわかる』
こう言ってところ、サメたちは本当に一列に並びました。

あれの上を踏み読みわたり来たり、今まさつちに下りむとせし時、あれはくいましあれあざむかえ見ぬと言ひへて、即ち伏ししもとはし和邇わに我を捕へ、衣服きぬことごとぎき、りて泣きわづらへば、先に行きし八十神之命やそかみのみことをしりしことをもちいて海のしをを浴び風に当たり伏しき、かれのりごとれば、我が身ことごとやぶれき

私はその背中の上を踏んで渡ってきましたが、最後に陸地へ降りようとした時に、こう言ってしまったのです。
『実は私は、お前たちを騙して利用したのだよ』
そう言った途端、一番端にいたサメに捕まってしまい、毛皮を剥ぎ取られたのです。それでこのように傷つき、泣いているのです。そして、先ほどの神たちは私にこう教えてくれました。
『海水に浸かり、風に当たっていればよい』
その言葉に従ったところ、体中が痛んでこんな有様になってしまいました」

於是ここにおいて大穴牟遅神おおあなむぢのかみうさぎをしたまふ、今急ぎ水門みとき水をもちが身を洗へ、すなはち其の水門の蒲黄かまのはなを取り敷き散らして、しかるに其の上をめぐまろべばが身はもとごときにはだ必ずゆ、かれをしへが如くれば其の身は本の如し也、此が稲羽いなば素菟しろうさぎは也、今にいてはうさぎの神とふ也、かれ其のうさぎ大穴牟遅神おおあなむぢのかみまをさく、此の八十神やそかみは必ず八上比売やがみひめ不得えじ、袋をほせといへどみことこれべし

そこで、オオクニヌシはウサギにこう教えました。
「すぐにこの近くの入り江へ行きなさい。そこで体を水で洗い、すぐにその水辺に生えている蒲(がま)の穂を取って敷き、その上に転がってごらんなさい。そうすれば、お前の体は元どおりの皮膚に戻って、必ず良くなるはずだ」
ウサギはオオクニヌシの教えのとおりにしてみました。その結果、本当に体は元のとおりに回復しました。このウサギこそが、因幡の素兎(しろうさぎ)であり、今では兎(ウサギ)神として祀られています。この白ウサギは、オオクニヌシにこう言いました。
「あなたの兄たちは、決して八上比売(やがみひめ、以下、ヤカミヒメ)を手に入れることはできません。あなたは袋を背負って従者として来ていますが、本当に結ばれるのは、あなた様です」

於是ここにおいて八上比売やがみひめ八十神やそがみに答へて言ひしく、あれ汝等いましらこと不聞きかず、まさ大穴牟遅おほあなむちの神にはむ、故ここ八十神やそがみ怒りて大穴牟遅おほあなむちの神を殺さむとおもひて共にはかりて、しかるに伯伎ほうきの国の手間山てまやまもとに至りて云はく、赤きの山にゆえ和礼われどもが追ひとさば、なれ待ちて取れし待ちて取ららば必ず将にいましを殺さむと云ひて、而るに火をもちて焼き大きいはを猪にせて、而るにまろばし落としきここに追ひ下り取りし時、すなはの石にいて焼かるる所いちしりくして、而るに死にせり

ヤカミヒメはオオクニヌシの兄たちにこう答えました。
「私は、あなた方の誰の申し出も聞き入れません。私はオオクニヌシと結婚します」
この言葉を聞いて、兄たちは激しく怒り、オオクニヌシを殺そうと相談します。そして伯耆(ほうき)の国の手間(たづま)山の麓で来て、こう言いました。
「この山に赤いイノシシがいる。だから、我々が追い落とすから、お前はそれを待ち構えて捕まえろ。もし捕まえられなければ、お前を殺すぞ」
こう言って、彼らは火で焼いた大きな石をイノシシに見せかけて山から転がし落としました。それを本物のイノシシと思ってオオクニヌシが取りに行ったところ、焼けた石に押しつぶされて死んでしまいました。

ここ御祖命みおやのみことわづらひて、しかるにあめおい参上まひのぼ神産巣日之命かむむすびのみことひし時、すなは貝比売きさぎひめ蛤貝比売うむぎひめとをつかはしめて、すなは貝比売きさがひひめ岐佐宜きさげ集めて、而るに蛤貝比売うみがひひめ持ちけて、而るに母の乳汁ちしるを塗りしかばうるはし壮夫をとこりて、而るにあそばきき

すると、オオクニヌシの母神(御祖命=みおやのみこと)は激しく悲しんで天に昇り、神産巣日神(かみむすひのかみ)に助けを求めました。神産巣日神は、貝の神である𧏛貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)を派遣しました。
𧏛貝比売が貝殻を組み合わせ、蛤貝比売がその処置を引き受け、母乳のような薬を塗ると、オオクニヌシはたちまち立派な若者となって元気に歩き出しました。

根の国訪問

於是これにおいて八十神やそかみまたあざむき山にあどもひ入れて、しかるにおほを切り伏せ矢をめて、の木を打ち立て其の中にめて、すなはち其の氷目矢ひめやを打ち離ちて、而るにたたき殺しきなりここまた其の御祖命みおやのみことつつ求むれば見得ゆ、即ち其の木をきて、而るに取りいでいけて其の子にたまひしく、いましの間にらばつひに八十神にたるる所とらむ、すなはたがへ木の国の大屋毘古神おほやびこのかみ御所みところいて、りき爾に八十神ぎて追ひいたりて、而るに矢刺やざししの時木のまたきて逃げて、而るにはく、須佐能男命すさのをのみこといませしの所根堅州国ねのかたすくに参り向かひ、必ず其の大神おほかみはかし也

その後、兄たちはまたオオクニヌシを騙し、山へ連れて行きました。そして、大きな木を切り倒して割り、中をくり抜いて矢を煮て、その木にオオクニヌシを入れ、氷のように固い矢で木を強く打ち割り、その力で彼を押し潰して殺そうとしました。
しかしまた、オオクニヌシの母神は泣きながら彼を探し回り、ようやく見つけ出すと、その木を割って彼を救い出し、命を取り戻させました。母神は息子にこう告げました。
「あなたがこのままここにいるならば、兄たちに殺されてしまうでしょう。いますぐ逃げなさい」
そして彼を木の国(紀伊国)の神である大屋毘古神(おおやびこのかみ)の宮に逃がしました。しかし兄たちは、再びオオクニヌシを追いかけてきて、弓矢で彼を射ようとしました。そのとき彼は、木俣(きのまた)から逃れ、言いました。
「私は、スサノオがいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参ります。きっとあの大神が、私を助けてくれるはずです」

かれ詔命おほせことまにまにして、しかるに須佐之男命すさのをのみこと御所みところ参到まいたれば、むすめ須勢理毘売すせりびめで見て目合まぐはひて、而るにあひよば還入かへりき其の父にまをし言はく、いとうるはし神来たりここ大神おほかみ出見いみて、而るにの者にらまはくこれ葦原色許男あしはらしこをなりとふ、すなはび入れて、而るに其のへみめき、於是ここにおいて其の妻須勢理毘売命すせりびめのみことへみ比礼ひれち、其のつまさづけてはく、其のへみまさまむとせば比礼ひれもちて三たびき打ちてをさめよ、かれのりごとくすれば、へみおのずからしづみき故たひらいねいで

こうして、オオクニヌシは命に従って、スサノオの住む御殿に参上しました。すると、その娘の須勢理毘売命(すせりびめのみこと、以下、スセリヒメ)が出てきて、オオクニヌシと目を合わせ、互いに惹かれ合って結ばれました。彼女は屋内へ戻って父スサノオに告げました。
「とても麗しい神がいらっしゃいました」
スサノオは外に出てその神を見て、
「この者こそ、葦原の中つ国を治める神、葦原色許男(あしはらしこを)であるな」
と言い、彼を呼び入れ、蛇の部屋に寝させました。そのとき、妻となったスセリヒメは、夫に蛇避けの魔除けの布(比礼)を授けて言いました。
「もし蛇が噛みつこうとしたら、この比礼を三度振って追い払ってください」
オオクニヌシは教えの通りにすると、蛇たちはおとなしくなり、無事に一夜を過ごして部屋から出ることができました。

また日夜ひるよるの来たれば吳公むかてはちとのむろに入りき、また吳公蜂むかてはち比礼ひれさづさきごとをしへて、かれたひらぎていでき、亦鳴鏑なりかぶら大野おほの入れしの中に、の矢をめ、かれ其の野に入りし時すなはち火をもちて、其の野をもとほして焼きき於是ここにおいてづる所を不知しらざりしのねすみの来て云ひしく、内は富良富良ほらほら、外は須夫須夫すぶすぶ如此かく言ひしゆえに其のところを踏めば落ち隠り入りしの間は焼き過ぎぬ、ここに其のねすみ、其の鳴鏑なりかぶらくはへ持ち出で来て、しかるにたてまつりきなり、其の矢羽やばねは其の鼠の子皆喫くらはえぬ也

また次の日の夜には、オオクニヌシはムカデと蜂の部屋に入れられました。しかしそのときも、スセリヒメは、ムカデや蜂から身を守るための魔除けの布(比礼)を授けて、以前と同じように教えました。その教えの通りにしたので、オオクニヌシは無事に部屋を出ることができました。
また別の日、スサノオは矢(鳴鏑)を広い野原に射込み、「あの矢を取って来い」と命じました。そこでオオクノヌシが野に入るとスサノオはその野に火を放ち、四方から燃やしました。出口が分からず困っていると、一匹のネズミがやって来て言いました。
「土が柔らかい場所があるよ」
その言葉を聞いてその場所を踏むと、そこに穴があり、オオクニヌシは中へ落ちて火を避けることができました。火が通り過ぎたあと、先ほどのネズミが矢を持ってきて差し出しました。しかも、その矢の羽の部分は、ネズミの子たちが食べていました。

於是ここにおいての妻須世理毘売すせりびめ喪具ものそなへを持ちて、しかるにきつつ来たり其の父大神おほかみすでに死せりと思ほし、つひに其の野にいでて立たしき、ここに其の矢を持ちてもちたてまつりしの時いへあどもひ入れて、而るに八田間やたま大室おほむろび入れて、而るに其の頭のしらみを取らめたまひき、故爾それゆえ其の頭を見れば呉公むかてさはりき、於是ここにおいて其のつま牟久むくの木の実と赤土を取り其のつまさづけき、かれ其の木の実をみ破り赤土をふふみてつはいづれば、其の大神呉公むかてみ破りて唾き出ると以為おもほして、而るに心にいてしく思ほして而るにいねにけり

そのとき、妻のスセリヒメは、喪の道具を持って泣きながらやって来ました。彼女の父であるスサノオは、オオクノヌシがすでに死んでしまったと思い、野原まで出向いていたのです。ところが、オオクノヌシが矢を持って戻ってくると、スサノオは彼を家へ連れて入り、広い部屋に呼び入れ、自分の頭のシラミを取れと命じました。
そこで頭を見てみると、なんとそこにはムカデ(呉公)がたくさんいました。するとスセリヒメが、牟久木(むくのき)の実と赤土を持ってきて手渡しました。オオクニヌシはそれを噛み砕いて、赤土を口に含んでは一緒に吐き出しました。
スサノオはそれを見て、ムカデを噛み砕いて吐き出しているのだと勘違いし、感心して彼を気に入り、眠ってしまいました。

ここの神の髪を握り、其のたるきごと結著ゆひつけて、しかるに五百引石いほびきのいはにて、其の室戸やどを取りへ、其の妻須世理毘売すせりびめひ、すなはち其の大神おほかみいく大刀たちいく弓矢とまた、其の天詔琴あめののりごとを取り持ちて、而るに逃げいでしの時、其の天詔琴あめののりごとを払ひて、而るにつちとよみ鳴りし、ゆえ其のところいねたる大神聞き驚きて、而るに其のを引きたふしき、しかるにたるきむすはれし髮をきしの遠く逃げき

すると、オオクニヌシは、スサノオの髪を束ねて、寝室の棟木(むなぎ)ごとに結びつけ、
さらに大きな岩(五百引の石)で戸口を塞ぎました。そしてスセリヒメを背負い、スサノオが持っていた生(いく)の大刀、生の弓矢、天の詔琴(あまののりごと)を取り、逃げ出しました。
逃げる途中で、その天の詔琴が木に触れて音を立て、大地が揺れるほど鳴り響きました。それを聞いて、寝ていたスサノオは驚き、急いで起き上がって部屋から出ようとしましたが、髪が棟木に結ばれていたため、髪を解いているうちに、オオクニヌシは遠くへ逃げ去りました。

故爾しかるゆえ追ひ黄泉比良坂よもつひらさかに至り、はるけく望み大穴牟遅神おほむちのかみに呼びりていはく、が持ちしのところいく大刀たちいく弓矢とをもちて、しかるにまま兄弟あにおとは坂の御尾みをに追ひ伏せ、またかはの瀬に追ひをさめて、而るに意礼おれ大国主おほくにぬしの神とり、また宇都志国玉うつしくにたまの神とりて、而るに其れむすめ須世理毘売すせりびめ嫡妻こなみて、而るに宇迦能うかの山の山本にいて底津石根そこついはねいて、宮柱みやばしら布刀斯理ふとしり高天原たかあまはらに於いて、氷椽ひき多迦斯理たかしりて、而るに是奴也これやつなりかれ其の大刀弓を持ち、其の八十神やそかみを追ひやらひしの時、坂の御尾みをごとに追ひ伏せかはの瀬ごとに追ひをさめ始めて国を作りき也

こうして、スサノオは黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけて来て、遠くからオオクノヌシに向かって呼びかけて言いました。
「お前が今持っている生(いく)の大刀や生の弓矢を使って、お前の兄たちを、坂の尾根で打ち伏せ、川の瀬で追い払え。そして、大国主神(おおくにぬしのかみ)として、また宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)として国を治めよ。
また、わが娘のスセリヒメを妻とし、宇迦の山のふもと、底の石の根に、宮の柱を太くしっかりと立て、高天原を貫くように棟木を高々と渡して、そこに住むがよい。これがそなたの役割である」
そして、オオクノヌシはその大刀と弓を持ち、兄たちを坂ごとに追い伏せ、川ごとに追い払って、国造りを始めました。

かれ八上比売やがみひめは先にごとし、美刀阿多波志都みとあたはしつかれ八上比売やがみひめて来たれども嫡妻こなみ須世理毘売すせりびめかしこみて、しかるに其の生まれしところ子は木俣このまたに刺しはさみて、而るにかへりしゆえ其の子に名づけ木俣の神とひ、またの名は御井みいの神となり

こうして、ヤカミヒメ(八上比売)は、オオクニヌシと以前に約束していたようにやってきました。しかし、ヤカミヒメは連れられて来たものの、正妻であるスセリヒメを恐れて、自分が産んだ子を木の股(また)に挟んでそのまま帰ってしまいました。
そのため、この子の名を木俣神(きまたのかみ)といい、またの名を御井神(みいのかみ)ともいいます。

沼河比売への求婚

八千矛やちほこの神、まさ高志こしの国の沼河比売ぬなかはひめよばはむとして幸行みゆきしたまひしの時、沼河比売ぬなかはひめいへに到りてうたひていは

このオオクノヌシは、高志の国に住む沼河比売(以下、ヌナカワヒメ)を妻にしようと思い、その地へ出かけました。そして、ヌナカワヒメの家に着いたとき、このように歌いました。

夜知富許能やちほこの迦微能美許登波かみのみことは夜斯麻久爾やしまくに都麻麻岐迦泥弖つままぎかねて登富登富斯とほとほし
故志能久邇邇こしのくにに佐加志賣遠さかしめを阿理登岐加志弖ありときかして久波志賣遠くはしめを阿理登伎許志弖ありときこして
佐用婆比爾さよばひに阿理多多斯ありたたし用婆比邇よばひに阿理加用婆勢ありかよばせ多知賀遠母たちがをも
伊麻陀登加受弖いまだとかずて淤須比遠母おすひをも伊麻陀登加泥婆いまだとかねば遠登賣能那須夜をとめのなすや伊多斗遠いたとを
淤曾夫良比おそふらひ和何多多勢禮婆わがたたせれば比許豆良比ひこづらひ和何多多勢禮婆わがたたせれば阿遠夜麻邇あをやまに
奴延波那伎奴ぬえはなきぬ佐怒都登理さぬつとり岐藝斯波登與牟きぎしはとよむ爾波都登理にはつとり迦祁波那久かけはなく
宇禮多久母うれたくも那久那留登理加なくなるとりか許能登理母このとりも宇知夜米許世泥うちやめこせね伊斯多布夜いしたふや
阿麻波勢豆加比あまはせづかひ許登能加多理ことのかたり其登母許遠婆そともこをば

「夜の霧が立ちこめる神の御殿から、私はわざわざ出かけて来た。
遠い遠い越(こし)の国の清らかな乙女よ、あなたに逢いたくて来たのだ。
美しい乙女よ、あなたに恋しくて来たのだ。
さあその袖を、私にたたんでくれ。
その着物の裾を、私に差し出してくれ。
けれど、今すぐとは言わない。
今すぐ寝ようとも思わない。
遠くにいる乙女よ、何と私は嘆いてきたことか。
遠い道のりを越えてここまでやってきたのだ。
葦の茂る山を越え、水の川を渡り、何日も歩き続けた。
(それなのに)あなたの心が私を拒むなら、この恋しさをどうしたらよいのか。
この愛しさを、どこに捨てればよいのか。
ああ、私の思いは夜の山に消え、ぬばたまの闇に包まれてしまう。
けれどあなたが私を迎えてくれるなら、きっとこの心は天にも昇るほどの幸せを感じるだろう。
あなたの心がどうか私に向いてくれますように」

爾其それ沼河比売ぬなかはひめ戸をあけず、うちうたいは

すると、ヌナカワヒメはまだ戸を開けず、家の中から自ら歌ってこう言いました。

夜知富許能やちほこの迦微能美許等かみのみこと奴延久佐能ぬえくさの賣邇志阿禮婆めにしあれば和何許許呂わがこころ
宇良須能登理叙うらすのとりぞ伊麻許曾婆いまこそば和杼理邇阿良米わどりにあらめ能知波のちは杼理爾阿良牟遠などりにあらむを
伊能知波いのちは那志勢多麻比曾なしせたまひそ伊斯多布夜いしたふや阿麻波世豆迦比あまはせづかひ
許登能加多理碁登母ことのかたりごとも許遠婆こをば阿遠夜麻邇あをやまに比賀迦久良婆ひがかくらば奴婆多麻能ぬばたまの
用波伊傳那牟よはいでなむ阿佐比能あさひの惠美佐加延岐弖えみさかえきて多久豆怒能たくづのの斯路岐多陀牟岐しろきただむき
阿和由岐能あわゆきの和加夜流牟泥遠わかやるむねを曾陀多岐そだたき多多岐麻那賀理たたきまながり麻多麻傳多麻傳またまでたまで
佐斯麻岐さしまき毛毛那賀爾ももなかに伊波那佐牟遠いはなさむを阿夜爾あやに那古斐支許志なこひしきし夜知富許能やちほこの
迦微能美許登かみのみこと許登能迦多理碁登母ことのかたりごとも許遠婆こをば

「夜の霧に包まれた、神の御殿からはるばるお越しになったあなた。
けれども、私の心はまだ迷っていて簡単にはあなたのもとへ行けません。
もしも今、あなたが扉を開けて入ってきてもそれはすぐには、私の本当の気持ちとはならないでしょう。
なぜなら私は、あなたの心が本当に私を愛してくれるのか知りたいのです。
夜の闇のように、心が定まらず天の影に包まれているような気持ちです。
(けれども)あなたが高く尊い山のようにしっかりとした思いでいてくださるなら、私もその思いに応えて一緒に行くでしょう。
あなたが愛の歌を歌ったように、私もこの返歌でその思いを受けとめましょう。
夜の霧に包まれた神の御殿から来たあなた、その思いのままに、どうぞお進みください。
あなたが求めたなら、私もそれに応えましょう」

ゆえの夜は不合あはざりて、しかるに明日あくるひ夜に御合まぐはひき也

その夜は結婚が叶わず、翌日の夜に夫婦の契りを交わすこととなった。

の神の嫡后きさき須勢理毘売命すせりびめのみこといと嫉妬し、ゆえ其の日子遅ひこちの神和備弖わびて出雲いづもまさやまとの国に上りさむとして、しかるに束裝よそひて立たし時、片御手かたみて御馬みむまくらつなぎ、片御足かたみあし其の御鐙みあぶみに踏み入れて、而るに歌ひいは

ところが、オオクニヌシの正妻であるスセリヒメ(須勢理毘売命)は、これをひどく妬んだ。そのためオオクニヌシは、和備弖(わびて)という仮の名を使って、出雲を出発し、倭国へ向かおうとした。
旅立ちの支度を整えたとき、片手で馬の鞍をつなぎ、片足で鐙に足をかけて、次のような歌を詠んだ。

奴婆多麻能ぬばたまの久路岐美祁斯遠くろきみけしを麻都夫佐爾まつぶさに登理與曾比とりよそひ淤岐都登理おきつとり
牟那美流登岐むなみるとき波多多藝母はたたぎも許禮婆布佐波受これはふさはず幣都那美曾邇へつなみそに奴棄宇弖ぬぎうて
蘇邇杼理能そにどりの阿遠岐美祁斯遠あをきみけしを麻都夫佐邇まつぶさに登理與曾比とりよそひ於岐都登理おきつとり
牟那美流登岐むなみるとき波多多藝母はたたぎも許母布佐波受こもふさはず幣都那美曾邇へつなみそに奴棄宇弖ぬきうて
夜麻賀多爾麻岐斯やまがたにまきし阿多泥都岐あたねつき曾米紀賀斯流邇そめきがしるに斯米許呂母遠しめころもを麻都夫佐邇まつぶさに
登理與曾比とりよそひ淤岐都登理おきつとり牟那美流登岐むなみるとき波多多藝母はたたぎも許斯與呂志こしよろし
伊刀古夜能いとこやの伊毛能美許等いものみこと牟良登理能むらとりの和賀牟禮伊那婆わがむれいなば比氣登理能ひけとりの
和賀比氣伊那婆わがひけいなば那迦士登波なかじとは那波伊布登母なはいふとも夜麻登能やまとの比登母登須須岐ひともとすすき
宇那加夫斯うなかぶし那賀那加佐麻久ながなかさまく阿佐阿米能疑理邇あさあめのぎりに多多牟叙たたむぞ和加久佐能わかくさの
都麻能美許登つまのみこと許登能加多理碁登母ことのかたりごとも許遠婆こをば

「ぬばたまの、黒い髪を結い上げたあの方よ、
まつぶさ(大切な)に、通い続けてきた沖へ通って、
港へ帰るその船のように、幾度も通い続けたが、
とうとう今夜は、別れを告げる夜となった、
あの丘の上に立っている、青々とした木のように、
あなたの姿は美しかった。

まつぶさに、通ってきた沖へ通って、
港に帰る船のように、幾度も通い詰めたが、
とうとう今夜は、あなたと別れて旅立つ夜だ。

山の端に、昇った月のように、薄明かりの中、別れの道を急いでいる、
寂しくて悲しい、心もすべて持っていかれるようである。

まつぶさに、通った沖へ通って、
港に戻る船のように、幾度も通い来たが、
とうとう今夜は別れだ。

いとしき人よ、その愛しい姿、
むらとり(群れの中で飛ぶ鳥)のように、
私が迎えに行ったならば、
ひけどり(引き止める人)のように、あなたが来てくれたならば、
中洲のように、波に揺れる私の心は、
山との境の、人の境のようにゆれ動いている。

うなかぶし(川の中州)に、流れる流れの中の、
朝雨の、霧のようなこの想い、我が妻の、あの美しい人
その戸を、固く閉ざしてしまったのか」

すなはきさき大御酒坏おほみさかづきを取らし立ちげ、しかるに歌ひいは

すると后のスセリヒメ(須勢理毘売命)は、大きな酒杯を取り、立って指を折りながら次のように歌った。

夜知富許能やちほこの加微能美許登夜かみのみことや阿賀淤富久邇奴斯あがおほくにぬし那許曾波なこそは遠邇伊麻世婆をにいませば
宇知微流斯麻能うちみるしまの佐岐耶岐加岐微流さきやきかきみる伊蘇能佐岐淤知受いそのさきおちず和加久佐能わかくさの
都麻母多勢良米つまもたせらめ阿波母與あはもよ賣邇斯阿禮婆めにしあれば那遠岐弖なをきて遠波那志をはなし那遠岐弖なをきて
都麻波那斯つまはなし阿夜加岐能あやかきの布波夜賀斯多爾ふはやがしたに牟斯夫須麻むしぶすま爾古夜賀斯多爾にこやがしたに
多久夫須麻たくぶすま佐夜具賀斯多爾さやぐがしたに阿和由岐能あわゆきの和加夜流牟泥遠わかやるむねを多久豆怒能たくづのの
斯路岐多陀牟岐しろきただむき曾陀多岐そだたき多多岐麻那賀理たたきまながり麻多麻傳多麻傳またまでたまで佐斯麻岐さしまき
毛毛那賀邇ももながに伊遠斯那世いをしなせ登與美岐とよみき多弖麻都良世たてまつらせ

「八千矛の神の御命よ、わが愛しいオオクニヌシよ、
あなたはまるで鬼のように、島々の先にまで目を向けて、
岸の先にまで垣を立てて(=よその女にまで心を寄せて)、
磯の先の女にまで気を向けているではありませんか。

私という正妻を放っておいて、
ああ、それなのに私はあなたを愛しく思っております。
あなたの噂を耳にすれば、妻を放っているあなたの名を聞けば、
心が痛み、胸がふさがれます。

あやしく築いた垣根のように、ふわふわとした薄衣のように、
むしろのように、垂れ幕のように、たくさんの妻がいるけれど、
私の降る雪のように清らかな心で思う胸の中を、

たくさんの布のように白くただむき、
それを育て、たたき、たたき、真っ直ぐに織った布のように、
また巻いて、また巻いて、宝の帯のように、
百重にも長く長くあなたを思い続けております。

いとおしいあなたよ、どうか私の気持ちをわかっていただき、
どうかお受け取りくださいませ」

の歌のごとすなは宇伎由比うきゆひて、しかる宇那賀気理弖うながけりて至今いままでしづまりなりはく、これ神語かむかたり也

このように歌ったことにより、神が感応し鎮まり、神の和ぎがもたらされました。それゆえ、このことを神語(かむがたり)と言います。

かれ大国主おほくにぬしの神、胸形むなかた奧津宮おきつみや神多紀理毘売たきりひめみことめあはみこ阿遅あぢ鉏高日子根すきたかひこねの神、次にいも高比売命たかひめのみことまたの名は下光比売命したてるひめのみことを生みたまひき、此の阿遅鉏高日子根あぢすきたかひこねの神は今に迦毛大御神かものおほみかみなり大国主おほくにぬしの神、亦神屋楯比売命かむやたてひめのみことめあはせしみこ事代主ことしろぬしの神を生みたまひき、亦八嶋牟遅能神やしまむぢのかみむすめ鳥耳とりみみの神をめあはせましみこ鳥鳴海とりなるみの神を生みたまひき、此(こ)の神日名照額田毘道男伊許知邇(ひなてりぬかたびちをいこちに)の神を娶(めあは)せまし子(みこ)国忍富(くにおしとみ)の神を生みたまひき、此(こ)の神葦那陀迦(あしなだか)の神、亦(また)の名は八河江比売(やかはえひめ)を娶(めあは)せまし子(みこ)速甕之多気佐波夜遅奴美(はやみかのたけさはやぢぬみ)の神、此(こ)の神天之甕主(あめのみかぬし)の神之(の)女(むすめ)前玉比売(さきたまひめ)を娶(めあは)せまし子(みこ)甕主日子(みかぬしひこ)の神を生みたまひき、此(こ)の神淤加美(おかみ)の神之(の)女(むすめ)比那良志毘売(ひならしびめ)を娶(めあは)せまし子(みこ)多比理岐志麻流美(たひりきしまるみ)の神を生みたまひき、此(こ)の神比比羅木之其花麻豆美(ひひらぎのはなまづみ)の神之(の)女(むすめ)活玉前玉比売(いくたまさきたまひめ)の神を娶(めあは)せまし子(みこ)美呂浪(みろなみ)の神を生みたまひき、此(こ)の神敷山主(しきやまぬし)の神之(の)女(むすめ)青沼馬沼押比売(あをぬまぬおしひめ)を娶(めあは)せまし子(みこ)布忍富鳥鳴海(ぬのしとみとりなるみ)の神を生みたまひき、此(こ)の神若尽女(わかつくしめ)の神を娶(めあは)せまし子(みこ)天日腹大科度美(あめのひはらおほしなどみ)の神を娶(めあは)せまし、此(こ)の神天狭霧(あめのさぎり)の神之(の)女(むすめ)遠津待根(とほつまちね)の神を娶(めあは)せまし子(みこ)遠津山岬多良斯(とほつやまさきたらし)の神を生みたまひき、右の件(くだり)八嶋士奴美(やしまじぬみ)の神自(よ)り以下(しもつかた)遠津山岬帯(とほつやまさきたらし)の神を以前(さきつかた)を十七世(とをよあまりななよ)の神と称(なづ)く
故、此大國主神、娶坐胸形奧津宮神・多紀理毘賣命、生子、阿遲鉏高日子根神、次妹高比賣命、亦名・下光比賣命、此之阿遲鉏高日子根神者、今謂迦毛大御神者也。大國主神、亦娶神屋楯比賣命、生子、事代主神。亦娶八嶋牟遲能神之女・鳥耳神、生子、鳥鳴海神。此神、娶日名照額田毘道男伊許知邇神、生子、國忍富神。此神、娶葦那陀迦神亦名・八河江比賣、生子、速甕之多氣佐波夜遲奴美神。此神、娶天之甕主神之女・前玉比賣、生子、甕主日子神。此神、娶淤加美神之女・比那良志毘賣生子、多比理岐志麻流美神。此神、娶比比羅木之其花麻豆美神、之女・活玉前玉比賣神、生子、美呂浪神。此神、娶敷山主神之女・青沼馬沼押比賣、生子、布忍富鳥鳴海神。此神、娶若盡女神、生子、天日腹大科度美神。此神、娶天狹霧神之女・遠津待根神、生子、遠津山岬多良斯神。

こうして、オオクニヌシは胸形の奥津宮の神である多紀理毘売命を妻に迎え、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)と、その妹である高比売命を生みました。またの名を下光比売命と言います。
この神は、現在では迦毛大御神(かものおおみかみ)と呼ばれています。
また、オオクニヌシは神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を妻に迎え、事代主神(ことしろぬしのかみ)を生みました。
また、オオクニヌシは八嶋牟遅能神の娘である鳥耳神(とりみみのかみ)を妻に迎え、鳥鳴海神(とりなるみのかみ)を生みました。
この神は、日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてるぬかたびぢおいこちにのかみ)の娘を妻に迎え、国忍富神(くにおしとみのかみ)を生みました。
この神は、葦那陀迦神(あしなだかのかみ)、またの名を八河江比売(やかわえひめ)を妻に迎え、速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)を生みました。
この神は、天の甕主神(あまのみかぬしのかみ)の娘、前玉比売(さきたまひめ)を妻に迎え、甕主日子神(みかぬしひこのかみ)を生みました。
この神は、淤加美神(おかみのかみ)の娘、比那良志毘売(ひならしびめ)を妻に迎え、多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)を生みました。
この神は、比比羅木の其花麻豆美神(ひひらきのそのはなまづみのかみ)の娘、活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)を妻に迎え、美呂浪神(みろなみのかみ)を生みました。
この神は、敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘、青沼馬沼押比売(あおぬままぬまおしひめ)を妻に迎え、布忍富鳥鳴海神(ふのおしとみとりなるみのかみ)を生みました。
この神は、若尽女神(わかつくしのめがみ)を妻に迎え、天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)を生みました。
この神は、天狭霧神(あまのさぎりのかみ)の娘、遠津待根神(とおつまちねのかみ)を妻に迎え、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)を生みました。

右の件(くだり)八嶋士奴美(やしまじぬみ)の神自(よ)り以下(しもつかた)遠津山岬帯(とほつやまさきたらし)の神を以前(さきつかた)を十七世(とをよあまりななよ)の神と称(なづ)く
右件自八嶋士奴美神以下、遠津山岬帶神以前、稱十七世神。

以上、八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)から、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)までの神々を、十七代の神と称します。

二神の国造り

故、大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、內剥鵝皮剥爲衣服、有歸來神。爾雖問其名不答、且雖問所從之諸神、皆白不知。爾多邇具久白言「此者、久延毘古必知之」。卽召久延毘古問時、答白「此者神產巢日神之御子、少名毘古那神」。故爾、白上於神產巢日御祖命者、答告「此者、實我子也。於子之中、自我手俣久岐斯子也。故、與汝葦原色許男命、爲兄弟而、作堅其國」

あるとき、オオクニヌシが出雲の御大の御前(みおおのみまえ)に行ったとき、海辺の波の上から、天の羅摩(かがみ)の船に乗って、鵞鳥の皮を内側に剥いで作った服をまとった神が、どこからともなくやってきました。
その神に名を尋ねても何も答えず、付き従っている神々にどこから来たのかを聞いても、「分かりません」と言うばかり。
そこで多邇具久(たにぐく)が申しました。
「この神については、久延毘古(くえびこ)ならば必ず知っているでしょう」
そこで久延毘古を呼んで尋ねたところ、次のように答えました。
「この神は、神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子で、少名毘古那神(すくなびこなのかみ、以下、スクナビコ)です」
そこでオオクニヌシは、このことを神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと)に言うと、
「まさしくそれは私の子である。多くの子の中でも、とりわけ私が自分の手の間から生まれた、特別な子である。だから、オオクニヌシと兄弟となって、この国をしっかりと作り上げよ」

故自爾、大穴牟遲與少名毘古那、二柱神相並、作堅此國。然後者、其少名毘古那神者、度于常世國也。故顯白其少名毘古那神、所謂久延毘古者、於今者山田之曾富騰者也、此神者、足雖不行、盡知天下之事神也。

こうして以来、オオクニヌシとスクナビコの二柱の神は、並び立ってこの国を築いていきました。しかしその後、少名毘古那神は常世の国(異界)へと渡って行きました。
この少名毘古那神について知らせた神――すなわち久延毘古(くえびこ)とは、今でいう「山田に立つかかし」であり、この神は、足は動かないけれども天下のすべてのことを知っている神です。

於是大國主神、愁而告「吾獨何能得作此國、孰神與吾能相作此國耶」。是時有光海依來之神、其神言「能治我前者、吾能共與相作成。若不然者、國難成」。爾大國主神曰「然者、治奉之狀奈何。」答言「吾者、伊都岐奉于倭之青垣東山上」。此者、坐御諸山上神也。

そこでオオクニヌシは悩みながら言いました。
「私一人の力でどうしてこの国を完成させることができようか。誰の神が私と一緒にこの国を造りあげてくれるだろうか」
すると、その時に海の彼方から光を放ってやって来た神が現れ、言いました。
「私を正しく祀ることができるのなら、あなたとともに国を造りあげよう。しかしそうでなければ、この国を完成させることは難しい」
それに対してオオクニヌシが尋ねました。
「それならば、あなたをお祀りするには、どのようにすればよいのか」
神は答えました。
「私は、倭(やまと)の青垣(あおがき)の東の山に祀られたい」
この神こそが、現在御諸山(三輪山)に鎮座している神(大物主神)です。

故、其大年神、娶神活須毘神之女、伊怒比賣、生子、大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神。又娶香用比賣生子、大香山戸臣神、次御年神。又娶天知迦流美豆比賣、生子、奧津日子神、次奧津比賣命、亦名、大戸比賣神、此者諸人以拜竈神者也、次大山上咋神、亦名、山末之大主神、此神者、坐近淡海國之日枝山、亦坐葛野之松尾、用鳴鏑神者也、次庭津日神、次阿須波神、次波比岐神、次香山戸臣神、次羽山戸神、次庭高津日神、次大土神、亦名、土之御祖神。九神。
上件大年神之子、自大國御魂神以下、大土神以前、幷十六神。

この神は、神活須毘神(かむいくすびのかみ)の娘の伊怒比売(いぬひめ)を妻に迎え、生んだ子は、大国御魂神(おおくにみたまのかみ)、次に韓神(からのかみ)、次に曽富理神(そほりのかみ)、次に白日神(しらひのかみ)、次に聖神(ひじりのかみ)です。
また香用比売(かぐもちひめ)を娶って生んだ子は、大香山戸臣神(おおかぐやまとおみのかみ)、次に御年神(みとしのかみ)です。
また、天知迦流美豆比売(あましるかるみづひめ)を娶って生んだ子は、奥津日子神(おきつひこのかみ)、次に奥津比売命(おきつひめのみこと)、またの名を大戸比売神(おおべひめのかみ)です。この神は人々がかまどの神として拝む神です。
次に大山上咋神(おおやまのうえくいのかみ)、またの名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)という。この神は、近江国の日枝山や、葛野の松尾におられる鳴鏑神(なりかぶらのかみ)です。
次に庭津日神(にわつひのかみ)、次に阿須波神(あすはのかみ)、次に波比岐神(はひきのかみ)、次に香山戸臣神(かぐやまとおみのかみ)、次に羽山戸神(はやまとのかみ)、次に庭高津日神(にわたかつひのかみ)、次に大土神(おおつちのかみ)、またの名を土之御祖神(つちのみおやのかみ)といいます。以上の九柱です。
よって、大年神の子として、大国御魂神から大土神まで、合計十六柱の神々が生まれました。

羽山戸神、娶大氣都比賣神、生子、若山咋神、次若年神、次妹若沙那賣神、次彌豆麻岐神、次夏高津日神、亦名、夏之賣神、次秋毘賣神、次久久年神、次久久紀若室葛根神。
上件羽山之子以下、若室葛根以前、幷八神。

羽山戸神(はやまとのかみ)は、大気都比売神(おおげつひめのかみ)を妻に迎え、生んだ神々は、若山咋神(わかやまくいのかみ)、若年神(わかとしのかみ)、妹の若沙那売神(わかさなめのかみ)、彌豆麻岐神(みづまきのかみ)、夏高津日神(なつたかつひのかみ)、またの名を夏之売神(なつのめのかみ)、秋毘売神(あきびめのかみ)、久久年神(くくとしのかみ)、久久紀若室葛根神(くくきのわかむろくずねのかみ)の八柱です。
以上、羽山戸神の子として生まれた神々は、若室葛根神まであわせて八柱です。

葦原中國の平定

天菩比神

天照大御神之命以「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國」。言因賜而天降也。於是、天忍穗耳命、於天浮橋多多志而詔之「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、伊多久佐夜藝弖有那理」。告而、更還上、請于天照大神。

オマテラスは次のように言いました。
「豊葦原の千秋長五百秋(いほあき)の水穂(みずほ)の国(日本)は、我が御子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひのあめのおしほみみのみこと)が治めるべき国です」
こう言って、天から地上へ遣わそうとされました。ところが、天忍穂耳命は、天の浮橋に立って下界を見下ろして言いました。
「この水穂の国は、何とも乱れていて、騒がしく治まっていないようです」
そう告げて、いったん高天原へ戻り、アマテラスにその旨を伝えました。

爾高御產巢日神・天照大御神之命以、於天安河之河原、神集八百萬神集而、思金神令思而詔「此葦原中國者、我御子之所知國、言依所賜之國也。故、以爲於此國道速振荒振國神等之多在。是使何神而、將言趣」。爾思金神及八百萬神、議白之「天菩比神、是可遣」。故、遣天菩比神者、乃媚附大國主神、至于三年、不復奏。

そこで、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)とアマテラスは、天安河(あまのやすかわ)の河原に八百万の神々を集めて会議を開き、思金神(おもいかねのかみ)に考えさせて、こう言いました。
「この葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の国)は、我が御子が統治すべき国であると、言葉を受けて譲り与えた国である。
しかしながら、この国には道理を無視して勝手気ままに振る舞う荒ぶる神々が多くいる。
そこで、この国に言葉をもって事の趣旨を伝えに行かせるのに、どの神を使者として遣わすべきか」
この問いに、思金神と八百万の神々は協議し答えました。
「天菩比神(あめのほひのかみ)がよいでしょう」
そこで、この神を地上に遣わしましたが、彼はオオクニヌシに媚びへつらってしまい、三年経っても一度も報告に戻ることはありませんでした。

天若日子

是以、高御產巢日神・天照大御神、亦問諸神等「所遣葦原中國之天菩比神、久不復奏。亦使何神之吉」。爾思金神答白「可遣天津國玉神之子、天若日子」。故爾、以天之麻迦古弓・天之波波矢、賜天若日子而遣。於是、天若日子、降到其國、卽娶大國主神之女、下照比賣、亦慮獲其國、至于八年、不復奏。

こうして、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)とアマテラスは再び神々に問いました。
「先に地上の国へ遣わした天菩比神(あめのほひのかみ)は、長い間戻って報告してこない。では、次には誰を遣わすのがよいだろうか」
この問いに対して、思金神(おもいかねのかみ)が答えました。
「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の御子である天若日子(あめのわかひこ)がよいでしょう」
そこで、天の麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天の波波矢(あめのははや)という神聖な弓矢を天若日子に授けて、地上へ送りました。
ところが、天若日子は地上に降りると、オオクニヌシの娘の下照比売(したてるひめ)を妻に迎え、さらに国を奪おうとする気持ちを持っていました。そして、八年が過ぎても、天界に報告を一切行わなかったのです。

故爾、天照大御神・高御產巢日神、亦問諸神等「天若日子、久不復奏。又遣曷神以問天若日子之淹留所由」。於是諸神及思金神、答白「可遣雉名鳴女」時、詔之「汝、行問天若日子狀者、汝所以使葦原中國者、言趣和其國之荒振神等之者也、何至于八年不復奏」

そこで、アマテラスと高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は、再び神々に問いました。
「天若日子(あめのわかひこ)は、長い間まったく報告をしてこない。では、誰を遣わして、天若日子がなぜ留まっているのかを問い正せばよいだろうか」
これに対して、神々と思金神(おもいかねのかみ)が答えました。
「雉の鳴女(きじのなきめ)がよいでしょう」
アマテラスは鳴女にこう命じました。
「お前は行って、天若日子の様子を問いなさい。お前が地上の国に送るのは、国を荒らしている神々を鎮めるためであった。それなのに、なぜ八年ものあいだ報告をしてこないのかを問い正しなさい」

故爾鳴女、自天降到、居天若日子之門湯津楓上而、言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣此三字以音聞此鳥言而、語天若日子言「此鳥者、其鳴音甚惡。故、可射殺」。云進、卽天若日子、持天神所賜天之波士弓・天之加久矢、射殺其雉。爾其矢、自雉胸通而、逆射上、逮坐天安河之河原、天照大御神・高木神之御所。是高木神者、高御產巢日神之別名。

すると雉名鳴女(きじのなきめ)は、天から地上に降り、天若日子(あめのわかひこ)の門の前の湯津楓(神聖な楓の木)の上に留まり、アマテラスからの言葉を、丁寧に伝えました。このとき、天若日子の妻である天佐具売(あめのさぐめ)がこの鳥の声を聞いて、天若日子にこう言いました。
「この鳥の鳴き声はとても不吉です。だから、射殺してしまいなさい」
そう進言したので、天若日子は、天神から授けられていた天の波士弓(はじゆみ)と天の加久矢(かくや)を手に取り、その雉を射殺しました。
すると、その矢は雉の胸を貫いて飛び抜けてしまい、逆さに天へと昇り、天安河(あまのやすかわ)の河原にいるアマテラスと高御産巣日神の所にまで届きました。

故、高木神、取其矢見者、血著其矢羽。於是、高木神告之「此矢者、所賜天若日子之矢」。卽示諸神等、詔者「或天若日子、不誤命、爲射惡神之矢之至者、不中天若日子。或有邪心者、天若日子、於此矢麻賀禮」。云而、取其矢、自其矢穴衝返下者、中天若日子寢朝床之高胸坂以死。亦其雉不還、故於今諺曰「雉之頓使」是也。

すると高木神(たかぎのかみ、以下、タカギノカミ)は、その矢を取り上げて見たところ、矢羽に血がついていました。タカギノカミは言いました。
「この矢は、天若日子に授けた矢である」
そして、集まっていた神々にその矢を示してこう言いました。
「もし天若日子が、命(みこと)に背かずに、悪しき神を射たためにこの矢が戻ってきたのならば、その矢は彼を射ることはない。だが、もし彼に邪な心があったならば、この矢が彼を討つであろう」
そう言って、その矢を再び天から地に向けて撃ち返すと、矢はまっすぐ落ちて、朝の床で寝ていた天若日子の胸のあたりのを射貫き、彼は死にました。また、使いに出された雉も戻ってこなかったことから、雉の頓使(使いに行ったきり戻らない者)という言葉が諺として残っています。

故、天若日子之妻・下照比賣之哭聲、與風響到天。於是在天、天若日子之父・天津國玉神、及其妻子聞而、降來哭悲、乃於其處作喪屋而、河雁爲岐佐理持、鷺爲掃持、翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、如此行定而、日八日夜八夜遊也。

すると、天若日子の妻である下照比売(したてるひめ)の泣き声が、風に乗って天まで響き渡りました。これを天で聞いた、天若日子の父・天津国玉神(あまつくにたまのかみ)と、その妻子たちは、深く悲しんで天から降りてきました。
そして、その場に喪屋(葬儀の場)を建て、河雁(かわがり)を岐佐理持(棺の取手持ち)、鷺(さぎ)を掃持(掃除役)、翡翠(かわせみ)を御食人(食事係)、雀(すずめ)を碓女(穀物を搗く女性)、雉(きじ)を哭女(葬儀で泣く役)のように、鳥たちを役割につけて儀式を整え、昼も夜も八日間ほど儀礼を続けました。

此時、阿遲志貴高日子根神到而、弔天若日子之喪時、自天降到天若日子之父、亦其妻、皆哭云「我子者不死有祁理」。「我君者不死坐祁理」。云、取懸手足而哭悲也。其過所以者、此二柱神之容姿、甚能相似、故是以過也。於是阿遲志貴高日子根神、大怒曰「我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人」。云而、拔所御佩之十掬劒、切伏其喪屋、以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上、喪山之者也。其持所切大刀名、謂大量、亦名謂神度劒。故、阿治志貴高日子根神者、忿而飛去之時、其伊呂妹高比賣命、思顯其御名、故歌曰、

このとき、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)がやって来て、天若日子(あめのわかひこ)の喪に参列しました。すると、天から降りてきた天若日子の父の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)とその妻は、泣きながらこう言いました。
「我が子は、死んでなんかいない」「我が君は、死んでいないのだ」
そう言って、遺体の手足にすがって悲しみ嘆きました。この取り違いが起きた理由は、阿遅志貴高日子根神と天若日子の容姿が非常によく似ていたためです。これに対して、阿遅志貴高日子根神は激怒して言いました。
「私は親しい友を弔うために来ただけだ。どうして私を、穢れた死人と間違えるとは」
そう叫んで、身に帯びていた十掬の剣(とつかのつるぎ)を抜き、喪屋を切り倒し、足で蹴り倒して立ち去ってしまいました。
この出来事のあった場所は、美濃国(現在の岐阜県)の藍見川の河上にある喪山(もやま)という場所とされています。このとき彼が使った刀の名は大量(おおばかり)、またの名を神度剣(かむたちのつるぎ)といいます。
そして、阿遅志貴高日子根神が怒りを抱いて飛び去ったとき、彼の異母妹である高比売命(たかひめのみこと)は、兄の正体を明かそうと思い、歌を詠みました。

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也
此歌者、夷振也。

「天におられる神よ。
織女(たなばた)の川を渡って、結び合わせた珠の連なりのように、
その玉を連ねた紐のように、ああなんと尊く、
美しい谷を二つ越えて来られる。
阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)であられるぞ」
この歌は、夷(えびす)の節まわしです。

建御雷神

於是天照大御神詔之「亦遣曷神者吉」。爾思金神及諸神白之「坐天安河河上之天石屋、名伊都之尾羽張神、是可遣。若亦非此神者、其神之子、建御雷之男神、此應遣。且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水而、塞道居故、他神不得行。故、別遣天迦久神可問」。故爾使天迦久神、問天尾羽張神之時、答白「恐之。仕奉。然於此道者、僕子、建御雷神可遣」。乃貢進。爾天鳥船神、副建御雷神而遣。

するとアマテラスは言いました。
「では、次にどの神を送るのが良いだろうか」
これに対して、思金神(おもいかねのかみ)と八百万の神々は言いました。
「天の安河の川上にある天石屋に坐しておられる神、名を伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)と言います。この神を送るのがよいでしょう。もしこの神がふさわしくないなら、その御子である建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)を送るのが良いでしょう。
ただし、この天尾羽張神は、天の安河の流れを逆さにせき止めて、道をふさいでおられるため、他の神々は通ることができません。それ故、まず天迦久神(あめのかくのかみ)を使って、事情をお尋ねするのがよいでしょう」
こうして、天迦久神を遣わして天尾羽張神に問いただすと、天尾羽張神は答えて言いました。
「畏れ多いことでございます。ですが、この道に関しては、私の子である建御雷神(たけみかづちのかみ、以下、タケミカヅチ)をお遣わしください」
こうして、タケミカヅチが進み出されました。そして、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を副えて、タケミカヅチを地上の国へと遣わしました。

是以、此二神降到出雲國伊那佐之小濱而、拔十掬劒、逆刺立于浪穗、趺坐其劒前、問其大國主神言「天照大御神・高木神之命以問使之。汝之宇志波祁流葦原中國者、我御子之所知國、言依賜。故、汝心奈何」。爾答白之「僕者不得白、我子八重言代主神是可白。然、爲鳥遊取魚而往御大之前、未還來」。故爾、遣天鳥船神、徵來八重事代主神而、問賜之時、語其父大神言「恐之。此國者、立奉天神之御子」。卽蹈傾其船而、天逆手矣、於青柴垣打成而隱也。

こうして、タケミカヅチと天鳥船神の二柱の神は、出雲の国の伊那佐の小浜に降り立ちました。
そして、十掬(とつか)の剣を抜き、波打ち際に刃を上に向けて突き立て、その剣の前に膝を折って座りました。そして、オオクニヌシにこう問いかけました。
「アマテラスと高木神の命令によって、使いとして参りました。あなたが治めているこの地上の国は、我が御子が治めるべき国として、譲り頂くよう命じられています。あなたのご意思はいかがでしょうか」
これに対し、オオクニヌシはこう答えました。
「私一人ではお答えできません。私の子の八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)が答えるべきです。しかし、彼は今、海に鳥遊(とりあそび)して魚を取っており、まだ御殿に戻っておりません」
そこで、天鳥船神を遣わして、八重言代主神を呼び戻し、彼に天神の命について尋ねました。すると、言代主神は父であるオオクニヌシに言いました。
「畏れ多いことです。この国は、天つ神の御子に差し上げるべき国でございます」
そう言うや否や、彼は自分の船を蹴って傾け、天逆手(降伏のしぐさ)をして、青柴垣(あおふしがき)を打ち築き、その中に隠れてしまいました。

国譲り

故爾問其大國主神「今汝子、事代主神、如此白訖。亦有可白子乎」。於是亦白之「亦我子有建御名方神、除此者無也」。如此白之間、其建御名方神、千引石擎手末而來、言「誰來我國而、忍忍如此物言。然欲爲力競。故、我先欲取其御手」。故令取其御手者、卽取成立氷、亦取成劒刄、故爾懼而退居。爾欲取其建御名方神之手乞歸而取者、如取若葦搤批而投離者、卽逃去。故追往而、迫到科野國之州羽海、將殺時、建御名方神白「恐、莫殺我。除此地者、不行他處。亦不違我父大國主神之命。不違八重事代主神之言。此葦原中國者、隨天神御子之命獻」

そこでタケミカヅチは、オオクニヌシにさらに問いました。
「今、お子の事代主神は天つ神に国をお譲りする旨を申しました。ほかに、意見を述べるべきお子はおられますか」
すると、オオクニヌシはこう答えました。
「もう一人、建御名方神(たけみなかたのかみ)という子がいます。この子以外には、意見を述べる者はおりません」
そう言っている間に、建御名方神が現れました。千人がかりで引くような巨石を片手で持ち上げながらやって来て言いました。
「誰だ、この我が国に来て、こそこそとそんなことを申すのは。よい、力比べ(ちからくらべ)をしようではないか。まず、そちらの手を取ってみよう」
そこで、建御名方神はタケミカヅチの手を掴もうとしましたが、その手は瞬時に氷となり、さらに剣の刃に変化しました。これに驚いた建御名方神は、恐れて退きました。
次に、タケミカヅチが建御名方神の手を取ってみると、その手はまるで若い葦をつかんで引き裂くように簡単にへし折られ、建御名方神は恐れて逃げ出しました。
タケミカヅチはそれを追いかけ、科野(信濃国)の州羽(すわ)の海まで追い詰め、まさに殺そうとしたとき、建御名方神は命乞いをしてこう言いました。
「どうか、命だけはお助けください。この地(科野)からは一歩も外へ出ません。また、父であるオオクニヌシのご命令にも、兄である事代主神の言葉にも背きません。この葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)は、天つ神の御子にお譲りいたします」

故、更且還來、問其大國主神「汝子等、事代主神・建御名方神二神者、隨天神御子之命、勿違白訖。故、汝心奈何」。爾答白之「僕子等二神隨白、僕之不違。此葦原中國者、隨命既獻也。唯僕住所者、如天神御子之天津日繼所知之登陀流、天之御巢而、於底津石根宮柱布斗斯理、於高天原氷木多迦斯理而、治賜者、僕者於百不足八十坰手隱而侍。亦僕子等百八十神者、卽八重事代主神爲神之御尾前而仕奉者、違神者非也」

そこで、再びタケミカヅチは戻って、オオクニヌシにこう問いました。
「あなたの子、事代主神と建御名方神の二柱の神は、いずれも天つ神の御子の命に従って、異議なく従うと答えました。では、あなたご自身の気持ちはどうですか」
それに対して、オオクニヌシは答えました。
「私の子ら二柱が従うと申し上げた以上、私自身も逆らうつもりはありません。この地上の国は、すでに命に従って差し上げました。
ただし、私の住む場所については、天つ神の御子が天津日継(天皇家)の御子として治める場所のように、天上の御殿のごとき立派な御殿を、地の底の岩根にまで柱を深く立て、高天原の天井に届くほど高く椽(たるき)を渡して建ててくださるのならば、私はその御殿の百足らず八十の曲り角(まがりづま)にひそかに仕えましょう。
また、私の子である百八十柱の神々も、事代主神を神の御前に仕える神として頂点とし、天つ神の御子に仕えるつもりでおります。これに背く者は、もはや神とは申せません」

如此之白而、於出雲國之多藝志之小濱、造天之御舍而、水戸神之孫・櫛八玉神、爲膳夫、獻天御饗之時、禱白而、櫛八玉神、化鵜入海底、咋出底之波邇、作天八十毘良迦而、鎌海布之柄、作燧臼、以海蓴之柄、作燧杵而、鑽出火云、

このように国を譲ることを申し述べたのち、出雲国の多芸志(たぎし)の小浜(おばま)において、天の御殿(天之御舎)を造営し、水戸神の孫である櫛八玉神(くしやたまのかみ)が、料理係(膳夫)となって、天つ神に御饗(供物)を献じました。
このとき、櫛八玉神は祈りながら申し上げ、鵜(海鳥)に姿を変えて海の底へ潜り、海底の波邇(粘土)をくわえて海上に出てきて、それを用いて天八十毘良迦(あまのやそひらか」を作り、さらに、鎌海布(海藻)の茎を使って火臼(ひうす)を作り、海蓴(海藻)の茎を使って火杵(ひきね)を作り、それらを用いて火を起こしたといいます。

是我所燧火者、於高天原者、神產巢日御祖命之、登陀流天之新巢之凝烟之、八拳垂摩弖燒擧、地下者、於底津石根燒凝而、𣑥繩之、千尋繩打延、爲釣海人之、口大之尾翼鱸、佐和佐和邇、控依騰而、打竹之、登遠遠登遠遠邇、獻天之眞魚咋也。
故、建御雷神、返參上、復奏言向和平葦原中國之狀。

これは、私が起こした神聖な火です。その高天原においては、神産巣日(かみむすひ)の御祖命が、新たに設けられた天の巣(神殿)から立ちのぼる煙を、八拳(やつこぶし)も垂れ下げるほど燃やしあげていた。
また、地上においては、底の深い岩根で火が凝り固まり、海中で延びる縄のように千尋(ちひろ)もの長さに打ち延ばされ、それが釣りをする海人(あま)のように、大きな口と尾ひれをもつスズキ(鱸)を、サワサワと引き寄せて、竹を打つようにしてと響かせながら、神への真魚(神に供える神聖な魚)として献じるために、これを調理していたのである。
このようにして、タケミカヅチは任務を終えて高天原に戻り、地上の国を平和に導いた次第を報告しました。

 

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