古事記を読む2(大国主神~天孫降臨)

/神道

大國主神

因幡の白兎

故かれ此この大国主神おほくにぬしのかみの兄弟あにおとの八十神やそかみ坐いまし、然しかるに皆の国は大国主神おほくにぬしのかみを於おいて避やらひき避やらひし所以ゆえは、其の八十神やそかみ各おのおのに稲羽いなばの八上比売やがみひめと婚よばはむと欲ねがひしの心有り、共に稲羽いなばに行かむとせし時、大穴牟遅神おほなむちのかみに於いて袋を負おほし従者つかひひとの為に率往ひきいて行きき、於是ここにおいて気多けたの前さきに到りし時、裸あかはだかの菟うさぎ伏しき也

この大国主神(おおくにぬしのかみ、以下、オオクニヌシ)には、多くの兄弟(八十神)がいました。その兄弟たちは、オオクニヌシを国から追い出そうとしていました。その理由は、兄たちが皆そろって、因幡(いなば)の八上比売(やがみひめ)という美しい姫に求婚しようと考えていたからです。
そこで、皆で因幡に向かいましたが、オオクニヌシは彼らの荷物を背負う従者のような役目のめ連れて行かれました。一行が気多(けた、今の鳥取県の辺り)に差しかかった時、そこに裸のウサギが横たわっていました。

爾ここに八十神やそかみは其その菟うさぎに謂いひしく、汝いましの将まさに為せむとすることは此この海の鹽しほを浴び、風の吹くに当たりて、而しかるに高き山の尾をの上に伏せと云ひき、故かれ其の菟は八十神の教のりの従まにまに、而るに伏して爾に其の鹽乾かるる隨まにまに、其の身の皮悉ことごと風に吹かれ見て拆さけし、故ゆえに痛く苦しく泣き伏せば最後いやはてに之これ来し、大穴牟遅神おおあなむぢのかみ其の菟を見て言ひしく、何由いかなるゆえに汝は泣き伏すや

それを見た兄弟たちは、ウサギにこう言いました。
「お前が元の姿に戻りたいなら、この海水に入って体を洗い、そのあと風に当たって高い山の尾根に横たわるといいぞ」
そこでウサギはその言葉に従って海水で体を洗い、風に吹かれるように高い山の尾根に伏しました。しかし、海水が乾くにつれて体の皮膚はどんどん裂けてしまい、ウサギは激しい痛みに耐えながら泣き伏していました。
そこに兄弟たちのあとをついてやってきオオクニヌシは、そのウサギの姿を見てこう尋ねました。
「どうしてお前は泣き伏しているのか」

菟うさぎ答へて言ひしく僕やつかれは淤岐おきの嶋に在あり、雖いへども此この地に度わたらむと欲おもへど度り無く、因故かによりて海の和邇わにを欺あざむきて言はく、吾あれは汝いましと競きほひて族うがらの多かるか小なかるか計るを欲ほる、故かれ汝なれは其その族うがら在るを隨したがへ悉ことごと率い来て、此の嶋自より気多けたの前于において至まで皆おのおのを列つらね伏せ度わたせ、爾ここに吾は其の上を踏み走り乍つつ読み度り、於是ここにおいて吾が族うがらと孰いづれの多かるかを知らむとすと、此如このごとく言へば欺あざむかえ見て、而しかるに列つらねて伏ししの時

ウサギが答えて言った。
「私は淤岐嶋(おきのしま)にいましたが、この地へ渡りたいと思っても、渡る手段がありませんでした。そこで、海にいたサメ(和邇)たちにこう言って騙したのです。
『私はあなたたちと、どちらの一族が多いかを比べたい。だから、あなたたちは一族全員を、この島から気多(けた)の前まで、一列に並んで伏してくれ。そうすれば、私はその上を踏みながら走って渡って数えるから、それでどちらが多いかわかる』
こう言ってところ、サメたちは本当に一列に並びました。

吾あれ其その上を踏み読み度わたり来たり、今将まさに地つちに下りむとせし時、吾あれ云いはく汝いましは我あれに欺あざむかえ見ぬと言ひ竟をへて、即ち伏しし最もとも端はしの和邇わに我を捕へ、我あが衣服きぬを悉ことごと剥はぎき、此こに因よりて泣き患わづらへば、先に行きし八十神之命やそかみのみこと誨をしへ告のりしことを以もちいて海の鹽しをを浴び風に当たり伏しき、故かれ教のりの如ごと為すれば、我が身悉ことごとに傷やぶれき

私はその背中の上を踏んで渡ってきましたが、最後に陸地へ降りようとした時に、こう言ってしまったのです。
『実は私は、お前たちを騙して利用したのだよ』
そう言った途端、一番端にいたサメに捕まってしまい、毛皮を剥ぎ取られたのです。それでこのように傷つき、泣いているのです。そして、先ほどの神たちは私にこう教えてくれました。
『海水に浸かり、風に当たっていればよい』
その言葉に従ったところ、体中が痛んでこんな有様になってしまいました」

於是ここにおいて大穴牟遅神おおあなむぢのかみ、其その菟うさぎに教をしへ告のたまふ、今急ぎ此この水門みとに往ゆき水を以もちて汝なが身を洗へ、即すなはち其の水門の蒲黄かまのはなを取り敷き散らして、而しかるに其の上を輾めぐり転まろべば汝なが身は本もとの如ごときに膚はだ必ず差いゆ、故かれ教をしへが如く為すれば其の身は本の如し也、此が稲羽いなばの素菟しろうさぎは也、今に於おいては菟うさぎの神と謂いふ也、故かれ其の菟うさぎ大穴牟遅神おおあなむぢのかみに白まをさく、此の八十神やそかみは必ず八上比売やがみひめを不得えじ、袋を負おほせと雖いへども汝なが命みこと之これを獲うべし

そこで、オオクニヌシはウサギにこう教えました。
「すぐにこの近くの入り江へ行きなさい。そこで体を水で洗い、すぐにその水辺に生えている蒲(がま)の穂を取って敷き、その上に転がってごらんなさい。そうすれば、お前の体は元どおりの皮膚に戻って、必ず良くなるはずだ」
ウサギはオオクニヌシの教えのとおりにしてみました。その結果、本当に体は元のとおりに回復しました。このウサギこそが、因幡の素兎(しろうさぎ)であり、今では兎(ウサギ)神として祀られています。この白ウサギは、オオクニヌシにこう言いました。
「あなたの兄たちは、決して八上比売(やがみひめ、以下、ヤカミヒメ)を手に入れることはできません。あなたは袋を背負って従者として来ていますが、本当に結ばれるのは、あなた様です」

於是ここにおいて八上比売やがみひめ八十神やそがみに答へて言ひしく、吾あれは汝等いましらの言ことを不聞きかず、将まさに大穴牟遅おほあなむちの神に嫁あはむ、故爾ここに八十神やそがみ怒りて大穴牟遅おほあなむちの神を殺さむと欲おもひて共に議はかりて、而しかるに伯伎ほうきの国の手間山てまやまの本もとに至りて云はく、赤き猪い此この山に在ある故ゆえ和礼われ共どもが追ひ下おとさば、汝なれ待ちて取れ若もし待ちて取ら不ざらば必ず将に汝いましを殺さむと云ひて、而るに火を以もちて焼き大き石いはを猪に似にせて、而るに転まろばし落としき爾ここに追ひ下り取りし時、即すなはち其その石に於おいて焼かるる所著いちしりくして、而るに死にせり

ヤカミヒメはオオクニヌシの兄たちにこう答えました。
「私は、あなた方の誰の申し出も聞き入れません。私はオオクニヌシと結婚します」
この言葉を聞いて、兄たちは激しく怒り、オオクニヌシを殺そうと相談します。そして伯耆(ほうき)の国の手間(たづま)山の麓で来て、こう言いました。
「この山に赤いイノシシがいる。だから、我々が追い落とすから、お前はそれを待ち構えて捕まえろ。もし捕まえられなければ、お前を殺すぞ」
こう言って、彼らは火で焼いた大きな石をイノシシに見せかけて山から転がし落としました。それを本物のイノシシと思ってオオクニヌシが取りに行ったところ、焼けた石に押しつぶされて死んでしまいました。

爾ここに其その御祖命みおやのみこと哭なき患わづらひて、而しかるに天あめに于おいて参上まひのぼり神産巣日之命かむむすびのみことに請こひし時、乃すなはち貝比売きさぎひめと蛤貝比売うむぎひめとを遣つかはし活いく作なら令しめて、爾すなはち貝比売きさがひひめ岐佐宜きさげ集めて、而るに蛤貝比売うみがひひめ持ち承うけて、而るに母の乳汁ちしるを塗りしかば麗うるはし壮夫をとこと成なりて、而るに出いで遊あそばし行ゆきき

すると、オオクニヌシの母神(御祖命=みおやのみこと)は激しく悲しんで天に昇り、神産巣日神(かみむすひのかみ)に助けを求めました。神産巣日神は、貝の神である𧏛貝比売(きさがいひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)を派遣しました。
𧏛貝比売が貝殻を組み合わせ、蛤貝比売がその処置を引き受け、母乳のような薬を塗ると、オオクニヌシはたちまち立派な若者となって元気に歩き出しました。

根の国訪問

於是これにおいて八十神やそかみ見み且また欺あざむき山に率あどもひ入れて、而しかるに大おほき樹きを切り伏せ矢を茹ひめて、其その木を打ち立て其の中に入いら令しめて、即すなはち其の氷目矢ひめやを打ち離ちて、而るに拷たたき殺しき也なり、爾ここに亦また其の御祖命みおやのみこと哭なき乍つつ求むれば見得ゆ、即ち其の木を拆さきて、而るに取り出いで活いけて其の子に告のたまひしく、汝いまし此この間に有あらば遂つひに八十神に滅けたるる所と為ならむ、乃すなはち違たがへ木の国の大屋毘古神おほやびこのかみの御所みところに於おいて、遣やりき爾に八十神覓まぎて追ひ臻いたりて、而るに矢刺やざししの時木の俣また自より漏くきて逃げて、而るに云いはく、須佐能男命すさのをのみことの坐いませしの所根堅州国ねのかたすくに参り向かひ、必ず其の大神おほかみに議はかる可べし也

その後、兄たちはまたオオクニヌシを騙し、山へ連れて行きました。そして、大きな木を切り倒して割り、中をくり抜いて矢を煮て、その木にオオクニヌシを入れ、氷のように固い矢で木を強く打ち割り、その力で彼を押し潰して殺そうとしました。
しかしまた、オオクニヌシの母神は泣きながら彼を探し回り、ようやく見つけ出すと、その木を割って彼を救い出し、命を取り戻させました。母神は息子にこう告げました。
「あなたがこのままここにいるならば、兄たちに殺されてしまうでしょう。いますぐ逃げなさい」
そして彼を木の国(紀伊国)の神である大屋毘古神(おおやびこのかみ)の宮に逃がしました。しかし兄たちは、再びオオクニヌシを追いかけてきて、弓矢で彼を射ようとしました。そのとき彼は、木俣(きのまた)から逃れ、言いました。
「私は、スサノオがいる根の堅州国(ねのかたすくに)に参ります。きっとあの大神が、私を助けてくれるはずです」

故かれ詔命おほせことの隨まにまにして、而しかるに須佐之男命すさのをのみことの御所みところに参到まいたれば、其その女むすめ須勢理毘売すせりびめが出いで見て目合まぐはひを為して、而るに相あひ婚よばひ還入かへりき其の父に白まをし言はく、甚いと麗うるはし神来たり爾ここに其この大神おほかみ出見いみて、而るに此この者に告のらまはく之これ葦原色許男あしはらしこをなりと謂いふ、即すなはち喚よび入れて、而るに其の蛇へみの室やに寝いね令しめき、於是ここにおいて其の妻須勢理毘売命すせりびめのみこと蛇へみ比礼ひれを以もち、其の夫つまに授さづけて云いはく、其の蛇へみ将まさに咋かまむとせば此この比礼ひれを以もちて三たび挙ふき打ちて撥をさめよ、故かれ教のりの如ごとくすれば、蛇へみ自おのずから静しづみき故平たひらぎ寝いねて之こを出いでき

こうして、オオクニヌシは命に従って、スサノオの住む御殿に参上しました。すると、その娘の須勢理毘売命(すせりびめのみこと、以下、スセリヒメ)が出てきて、オオクニヌシと目を合わせ、互いに惹かれ合って結ばれました。彼女は屋内へ戻って父スサノオに告げました。
「とても麗しい神がいらっしゃいました」
スサノオは外に出てその神を見て、
「この者こそ、葦原の中つ国を治める神、葦原色許男(あしはらしこを)であるな」
と言い、彼を呼び入れ、蛇の部屋に寝させました。そのとき、妻となったスセリヒメは、夫に蛇避けの魔除けの布(比礼)を授けて言いました。
「もし蛇が噛みつこうとしたら、この比礼を三度振って追い払ってください」
オオクニヌシは教えの通りにすると、蛇たちはおとなしくなり、無事に一夜を過ごして部屋から出ることができました。

亦また日夜ひるよるの来たれば吳公むかてと蜂はちとの室むろに入りき、且また吳公蜂むかてはちの比礼ひれを授さづけ先さきの如ごと教をしへて、故かれ平たひらぎて之こよ出いでき、亦鳴鏑なりかぶらを大野おほのに射い入れしの中に、其その矢を採とら令しめ、故かれ其の野に入りし時即すなはち火を以もちて、其の野を廻もとほして焼きき於是ここにおいて出いづる所を不知しらざりしの間ま鼠ねすみの来て云ひしく、内は富良富良ほらほら、外は須夫須夫すぶすぶ、如此かく言ひし故ゆえに其の処ところを踏めば落ち隠り入りしの間火ほは焼き過ぎぬ、爾ここに其の鼠ねすみ、其の鳴鏑なりかぶらを咋くはへ持ち出で来て、而しかるに奉たてまつりき也なり、其の矢羽やばねは其の鼠の子等らに皆喫くらはえぬ也

また次の日の夜には、オオクニヌシはムカデと蜂の部屋に入れられました。しかしそのときも、スセリヒメは、ムカデや蜂から身を守るための魔除けの布(比礼)を授けて、以前と同じように教えました。その教えの通りにしたので、オオクニヌシは無事に部屋を出ることができました。
また別の日、スサノオは矢(鳴鏑)を広い野原に射込み、「あの矢を取って来い」と命じました。そこでオオクノヌシが野に入るとスサノオはその野に火を放ち、四方から燃やしました。出口が分からず困っていると、一匹のネズミがやって来て言いました。
「土が柔らかい場所があるよ」
その言葉を聞いてその場所を踏むと、そこに穴があり、オオクニヌシは中へ落ちて火を避けることができました。火が通り過ぎたあと、先ほどのネズミが矢を持ってきて差し出しました。しかも、その矢の羽の部分は、ネズミの子たちが食べていました。

於是ここにおいて其その妻須世理毘売すせりびめは喪具ものそなへを持ちて、而しかるに哭なきつつ来たり其の父大神おほかみは已すでに死せりと思ほし、訖つひに其の野に出いでて立たしき、爾ここに其の矢を持ちて以もちて奉たてまつりしの時家いへに率あどもひ入れて、而るに八田間やたまの大室おほむろに喚よび入れて、而るに其の頭の虱しらみを取ら令しめたまひき、故爾それゆえ其の頭を見れば呉公むかて多さはに在ありき、於是ここにおいて其の妻つま牟久むくの木の実と赤土を取り其の夫つまに授さづけき、故かれ其の木の実を咋かみ破り赤土を含ふふみて唾つはき出いづれば、其の大神呉公むかてを咋かみ破りて唾き出ると以為おもほして、而るに心に於おいて愛はしく思ほして而るに寝いねにけり

そのとき、妻のスセリヒメは、喪の道具を持って泣きながらやって来ました。彼女の父であるスサノオは、オオクノヌシがすでに死んでしまったと思い、野原まで出向いていたのです。ところが、オオクノヌシが矢を持って戻ってくると、スサノオは彼を家へ連れて入り、広い部屋に呼び入れ、自分の頭のシラミを取れと命じました。
そこで頭を見てみると、なんとそこにはムカデ(呉公)がたくさんいました。するとスセリヒメが、牟久木(むくのき)の実と赤土を持ってきて手渡しました。オオクニヌシはそれを噛み砕いて、赤土を口に含んでは一緒に吐き出しました。
スサノオはそれを見て、ムカデを噛み砕いて吐き出しているのだと勘違いし、感心して彼を気に入り、眠ってしまいました。

爾ここに其その神の髪を握り、其の室やの椽たるき毎ごとに結著ゆひつけて、而しかるに五百引石いほびきのいはにて、其の室戸やどを取り塞さへ、其の妻須世理毘売すせりびめを負をひ、即すなはち其の大神おほかみの生いく大刀たちと生いく弓矢と及また、其の天詔琴あめののりごとを取り持ちて、而るに逃げ出いでしの時、其の天詔琴あめののりごとの樹きを払ひて、而るに地つちの動とよみ鳴りし、故ゆえ其の所ところ寝いねたる大神聞き驚きて、而るに其の室やを引き仆たふしき、然しかるに椽たるきに結むすはれし髮を解ときしの間ま遠く逃げき

すると、オオクニヌシは、スサノオの髪を束ねて、寝室の棟木(むなぎ)ごとに結びつけ、
さらに大きな岩(五百引の石)で戸口を塞ぎました。そしてスセリヒメを背負い、スサノオが持っていた生(いく)の大刀、生の弓矢、天の詔琴(あまののりごと)を取り、逃げ出しました。
逃げる途中で、その天の詔琴が木に触れて音を立て、大地が揺れるほど鳴り響きました。それを聞いて、寝ていたスサノオは驚き、急いで起き上がって部屋から出ようとしましたが、髪が棟木に結ばれていたため、髪を解いているうちに、オオクニヌシは遠くへ逃げ去りました。

故爾しかるゆえ追ひ黄泉比良坂よもつひらさかに至り、遥はるけく望み大穴牟遅神おほむちのかみに呼び謂のりて曰いはく、其それ汝なが持ちしの所ところ生いく大刀たちと生いく弓矢とを以もちて、而しかるに汝なが庶まま兄弟あにおとは坂の御尾みをに追ひ伏せ、亦また河かはの瀬に追ひ撥をさめて、而るに意礼おれ大国主おほくにぬしの神と為なり、亦また宇都志国玉うつしくにたまの神と為なりて、而るに其れ我わの女むすめ須世理毘売すせりびめを嫡妻こなみと為して、而るに宇迦能うかの山の山本に於おいて底津石根そこついはねに於おいて、宮柱みやばしら布刀斯理ふとしり高天原たかあまはらに於いて、氷椽ひき多迦斯理たかしりて、而るに居をれ是奴也これやつなり、故かれ其の大刀弓を持ち、其の八十神やそかみを追ひ避やらひしの時、坂の御尾みを毎ごとに追ひ伏せ河かはの瀬毎ごとに追ひ撥をさめ始めて国を作りき也

こうして、スサノオは黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけて来て、遠くからオオクノヌシに向かって呼びかけて言いました。
「お前が今持っている生(いく)の大刀や生の弓矢を使って、お前の兄たちを、坂の尾根で打ち伏せ、川の瀬で追い払え。そして、大国主神(おおくにぬしのかみ)として、また宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)として国を治めよ。
また、わが娘のスセリヒメを妻とし、宇迦の山のふもと、底の石の根に、宮の柱を太くしっかりと立て、高天原を貫くように棟木を高々と渡して、そこに住むがよい。これがそなたの役割である」
そして、オオクノヌシはその大刀と弓を持ち、兄たちを坂ごとに追い伏せ、川ごとに追い払って、国造りを始めました。

故かれ其かの八上比売やがみひめは先に期ごし如ごとし、美刀阿多波志都みとあたはしつ、故かれ其その八上比売やがみひめは率いて来たれ雖ども、其その嫡妻こなみ須世理毘売すせりびめを畏かしこみて、而しかるに其の生まれし所ところ子は木俣このまたに刺し挾はさみて、而るに返かへりし故ゆえ其の子に名づけ木俣の神と云いひ、亦またの名は御井みいの神と謂いふ也なり、

こうして、ヤカミヒメ(八上比売)は、オオクニヌシと以前に約束していたようにやってきました。しかし、ヤカミヒメは連れられて来たものの、正妻であるスセリヒメを恐れて、自分が産んだ子を木の股(また)に挟んでそのまま帰ってしまいました。
そのため、この子の名を木俣神(きまたのかみ)といい、またの名を御井神(みいのかみ)ともいいます。

沼河比売への求婚

此この八千矛やちほこの神、将まさに高志こしの国の沼河比売ぬなかはひめと婚よばはむとして幸行みゆきしたまひしの時、其その沼河比売ぬなかはひめの家いへに到りて歌うたひて曰いはく

このオオクノヌシは、高志の国に住む沼河比売(以下、ヌナカワヒメ)を妻にしようと思い、その地へ出かけました。そして、ヌナカワヒメの家に着いたとき、このように歌いました。

夜知富許能やちほこの、迦微能美許登波かみのみことは、夜斯麻久爾やしまくに、都麻麻岐迦泥弖つままぎかねて、登富登富斯とほとほし、
故志能久邇邇こしのくにに、佐加志賣遠さかしめを、阿理登岐加志弖ありときかして、久波志賣遠くはしめを、阿理登伎許志弖ありときこして、
佐用婆比爾さよばひに、阿理多多斯ありたたし、用婆比邇よばひに、阿理加用婆勢ありかよばせ、多知賀遠母たちがをも、
伊麻陀登加受弖いまだとかずて、淤須比遠母おすひをも、伊麻陀登加泥婆いまだとかねば、遠登賣能那須夜をとめのなすや、伊多斗遠いたとを、
淤曾夫良比おそふらひ、和何多多勢禮婆わがたたせれば、比許豆良比ひこづらひ、和何多多勢禮婆わがたたせれば、阿遠夜麻邇あをやまに、
奴延波那伎奴ぬえはなきぬ、佐怒都登理さぬつとり、岐藝斯波登與牟きぎしはとよむ、爾波都登理にはつとり、迦祁波那久かけはなく、
宇禮多久母うれたくも、那久那留登理加なくなるとりか、許能登理母このとりも、宇知夜米許世泥うちやめこせね、伊斯多布夜いしたふや、
阿麻波勢豆加比あまはせづかひ、許登能加多理ことのかたり、其登母許遠婆そともこをば

「夜の霧が立ちこめる神の御殿から、私はわざわざ出かけて来た。
遠い遠い越(こし)の国の清らかな乙女よ、あなたに逢いたくて来たのだ。
美しい乙女よ、あなたに恋しくて来たのだ。
さあその袖を、私にたたんでくれ。
その着物の裾を、私に差し出してくれ。
けれど、今すぐとは言わない。
今すぐ寝ようとも思わない。
遠くにいる乙女よ、何と私は嘆いてきたことか。
遠い道のりを越えてここまでやってきたのだ。
葦の茂る山を越え、水の川を渡り、何日も歩き続けた。
(それなのに)あなたの心が私を拒むなら、この恋しさをどうしたらよいのか。
この愛しさを、どこに捨てればよいのか。
ああ、私の思いは夜の山に消え、ぬばたまの闇に包まれてしまう。
けれどあなたが私を迎えてくれるなら、きっとこの心は天にも昇るほどの幸せを感じるだろう。
あなたの心がどうか私に向いてくれますように」

爾其それに沼河比売ぬなかはひめ戸を開あけず、内うち自より歌うたひ曰いはく

すると、ヌナカワヒメはまだ戸を開けず、家の中から自ら歌ってこう言いました。

夜知富許能やちほこの、迦微能美許等かみのみこと、奴延久佐能ぬえくさの、賣邇志阿禮婆めにしあれば、和何許許呂わがこころ、
宇良須能登理叙うらすのとりぞ、伊麻許曾婆いまこそば、和杼理邇阿良米わどりにあらめ、能知波のちは、杼理爾阿良牟遠などりにあらむを、
伊能知波いのちは、那志勢多麻比曾なしせたまひそ、伊斯多布夜いしたふや、阿麻波世豆迦比あまはせづかひ、
許登能加多理碁登母ことのかたりごとも、許遠婆こをば、阿遠夜麻邇あをやまに、比賀迦久良婆ひがかくらば、奴婆多麻能ぬばたまの、
用波伊傳那牟よはいでなむ、阿佐比能あさひの、惠美佐加延岐弖えみさかえきて、多久豆怒能たくづのの、斯路岐多陀牟岐しろきただむき、
阿和由岐能あわゆきの、和加夜流牟泥遠わかやるむねを、曾陀多岐そだたき、多多岐麻那賀理たたきまながり、麻多麻傳多麻傳またまでたまで、
佐斯麻岐さしまき、毛毛那賀爾ももなかに、伊波那佐牟遠いはなさむを、阿夜爾あやに、那古斐支許志なこひしきし、夜知富許能やちほこの、
迦微能美許登かみのみこと、許登能迦多理碁登母ことのかたりごとも、許遠婆こをば

「夜の霧に包まれた、神の御殿からはるばるお越しになったあなた。
けれども、私の心はまだ迷っていて簡単にはあなたのもとへ行けません。
もしも今、あなたが扉を開けて入ってきてもそれはすぐには、私の本当の気持ちとはならないでしょう。
なぜなら私は、あなたの心が本当に私を愛してくれるのか知りたいのです。
夜の闇のように、心が定まらず天の影に包まれているような気持ちです。
(けれども)あなたが高く尊い山のようにしっかりとした思いでいてくださるなら、私もその思いに応えて一緒に行くでしょう。
あなたが愛の歌を歌ったように、私もこの返歌でその思いを受けとめましょう。
夜の霧に包まれた神の御殿から来たあなた、その思いのままに、どうぞお進みください。
あなたが求めたなら、私もそれに応えましょう」

故ゆえ其その夜は不合あはざりて、而しかるに明日あくるひ夜に御合まぐはひ為しき也

その夜は結婚が叶わず、翌日の夜に夫婦の契りを交わすこととなった。

又其その神の嫡后きさき須勢理毘売命すせりびめのみこと甚いと嫉妬やき為なし、故ゆえ其の日子遅ひこちの神和備弖わびて、出雲いづも自より将まさに倭やまとの国に上り坐まさむとして、而しかるに束裝よそひて立たし時、片御手かたみては御馬みむまの鞍くらに繋つなぎ、片御足かたみあし其の御鐙みあぶみに踏み入れて、而るに歌ひ曰いはく

ところが、オオクニヌシの正妻であるスセリヒメ(須勢理毘売命)は、これをひどく妬んだ。そのためオオクニヌシは、和備弖(わびて)という仮の名を使って、出雲を出発し、倭国へ向かおうとした。
旅立ちの支度を整えたとき、片手で馬の鞍をつなぎ、片足で鐙に足をかけて、次のような歌を詠んだ。

奴婆多麻能ぬばたまの、久路岐美祁斯遠くろきみけしを、麻都夫佐爾まつぶさに、登理與曾比とりよそひ、淤岐都登理おきつとり、
牟那美流登岐むなみるとき、波多多藝母はたたぎも、許禮婆布佐波受これはふさはず、幣都那美曾邇へつなみそに、奴棄宇弖ぬぎうて、
蘇邇杼理能そにどりの、阿遠岐美祁斯遠あをきみけしを、麻都夫佐邇まつぶさに、登理與曾比とりよそひ、於岐都登理おきつとり、
牟那美流登岐むなみるとき、波多多藝母はたたぎも、許母布佐波受こもふさはず、幣都那美曾邇へつなみそに、奴棄宇弖ぬきうて、
夜麻賀多爾麻岐斯やまがたにまきし、阿多泥都岐あたねつき、曾米紀賀斯流邇そめきがしるに、斯米許呂母遠しめころもを、麻都夫佐邇まつぶさに、
登理與曾比とりよそひ、淤岐都登理おきつとり、牟那美流登岐むなみるとき、波多多藝母はたたぎも、許斯與呂志こしよろし、
伊刀古夜能いとこやの、伊毛能美許等いものみこと、牟良登理能むらとりの、和賀牟禮伊那婆わがむれいなば、比氣登理能ひけとりの、
和賀比氣伊那婆わがひけいなば、那迦士登波なかじとは、那波伊布登母なはいふとも、夜麻登能やまとの、比登母登須須岐ひともとすすき、
宇那加夫斯うなかぶし、那賀那加佐麻久ながなかさまく、阿佐阿米能疑理邇あさあめのぎりに、多多牟叙たたむぞ、和加久佐能わかくさの、
都麻能美許登つまのみこと、許登能加多理碁登母ことのかたりごとも、許遠婆こをば

「ぬばたまの、黒い髪を結い上げたあの方よ、
まつぶさ(大切な)に、通い続けてきた沖へ通って、
港へ帰るその船のように、幾度も通い続けたが、
とうとう今夜は、別れを告げる夜となった、
あの丘の上に立っている、青々とした木のように、
あなたの姿は美しかった。

まつぶさに、通ってきた沖へ通って、
港に帰る船のように、幾度も通い詰めたが、
とうとう今夜は、あなたと別れて旅立つ夜だ。

山の端に、昇った月のように、薄明かりの中、別れの道を急いでいる、
寂しくて悲しい、心もすべて持っていかれるようである。

まつぶさに、通った沖へ通って、
港に戻る船のように、幾度も通い来たが、
とうとう今夜は別れだ。

いとしき人よ、その愛しい姿、
むらとり(群れの中で飛ぶ鳥)のように、
私が迎えに行ったならば、
ひけどり(引き止める人)のように、あなたが来てくれたならば、
中洲のように、波に揺れる私の心は、
山との境の、人の境のようにゆれ動いている。

うなかぶし(川の中州)に、流れる流れの中の、
朝雨の、霧のようなこの想い、我が妻の、あの美しい人
その戸を、固く閉ざしてしまったのか」

爾すなはち其その后きさき、大御酒坏おほみさかづきを取らし立ち依より指さし挙あげ、而しかるに歌ひ曰いはく

すると后のスセリヒメ(須勢理毘売命)は、大きな酒杯を取り、立って指を折りながら次のように歌った。

夜知富許能やちほこの、加微能美許登夜かみのみことや、阿賀淤富久邇奴斯あがおほくにぬし、那許曾波なこそは、遠邇伊麻世婆をにいませば、
宇知微流斯麻能うちみるしまの、佐岐耶岐加岐微流さきやきかきみる、伊蘇能佐岐淤知受いそのさきおちず、和加久佐能わかくさの、
都麻母多勢良米つまもたせらめ、阿波母與あはもよ、賣邇斯阿禮婆めにしあれば、那遠岐弖なをきて、遠波那志をはなし、那遠岐弖なをきて、
都麻波那斯つまはなし、阿夜加岐能あやかきの、布波夜賀斯多爾ふはやがしたに、牟斯夫須麻むしぶすま、爾古夜賀斯多爾にこやがしたに、
多久夫須麻たくぶすま、佐夜具賀斯多爾さやぐがしたに、阿和由岐能あわゆきの、和加夜流牟泥遠わかやるむねを、多久豆怒能たくづのの、
斯路岐多陀牟岐しろきただむき、曾陀多岐そだたき、多多岐麻那賀理たたきまながり、麻多麻傳多麻傳またまでたまで、佐斯麻岐さしまき、
毛毛那賀邇ももながに、伊遠斯那世いをしなせ、登與美岐とよみき、多弖麻都良世たてまつらせ

「八千矛の神の御命よ、わが愛しいオオクニヌシよ、
あなたはまるで鬼のように、島々の先にまで目を向けて、
岸の先にまで垣を立てて(=よその女にまで心を寄せて)、
磯の先の女にまで気を向けているではありませんか。

私という正妻を放っておいて、
ああ、それなのに私はあなたを愛しく思っております。
あなたの噂を耳にすれば、妻を放っているあなたの名を聞けば、
心が痛み、胸がふさがれます。

あやしく築いた垣根のように、ふわふわとした薄衣のように、
むしろのように、垂れ幕のように、たくさんの妻がいるけれど、
私の降る雪のように清らかな心で思う胸の中を、

たくさんの布のように白くただむき、
それを育て、たたき、たたき、真っ直ぐに織った布のように、
また巻いて、また巻いて、宝の帯のように、
百重にも長く長くあなたを思い続けております。

いとおしいあなたよ、どうか私の気持ちをわかっていただき、
どうかお受け取りくださいませ」

此この歌の如ごと、即すなはち宇伎由比うきゆひ為して、而しかるに宇那賀気理弖うながけりて、至今いままで鎭しづまり坐ます也なり、此こに謂いはく、之これ神語かむかたり也

このように歌ったことにより、神が感応し鎮まり、神の和ぎがもたらされました。それゆえ、このことを神語(かむがたり)と言います。

故かれ此この大国主おほくにぬしの神、胸形むなかたの奧津宮おきつみやの神多紀理毘売たきりひめの命みことを娶めあはせ坐まし子みこ、阿遅あぢ鉏高日子根すきたかひこねの神、次に妹いも高比売命たかひめのみこと、亦またの名は下光比売命したてるひめのみことを生みたまひき、此の阿遅鉏高日子根あぢすきたかひこねの神は今に謂いふ迦毛大御神かものおほみかみは也なり、大国主おほくにぬしの神、亦神屋楯比売命かむやたてひめのみことを娶めあはせし子みこ、事代主ことしろぬしの神を生みたまひき、亦八嶋牟遅能神やしまむぢのかみの女むすめ鳥耳とりみみの神を娶めあはせまし子みこ、鳥鳴海とりなるみの神を生みたまひき、此の神日名照額田毘道男伊許知邇ひなてりぬかたびちをいこちにの神を娶めあはせまし子みこ、国忍富くにおしとみの神を生みたまひき、此の神葦那陀迦あしなだかの神、亦の名は八河江比売やかはえひめを娶めあはせまし子みこ、速甕之多気佐波夜遅奴美はやみかのたけさはやぢぬみの神、此の神天之甕主あめのみかぬしの神の女むすめ、前玉比売さきたまひめを娶めあはせまし子みこ、甕主日子みかぬしひこの神を生みたまひき、此の神淤加美おかみの神の女むすめ、比那良志毘売ひならしびめを娶めあはせまし子みこ、多比理岐志麻流美たひりきしまるみの神を生みたまひき、此の神比比羅木之其花麻豆美ひひらぎのはなまづみの神の女むすめ、活玉前玉比売いくたまさきたまひめの神を娶めあはせまし子みこ、美呂浪みろなみの神を生みたまひき、此の神敷山主しきやまぬしの神の女むすめ、青沼馬沼押比売あをぬまぬおしひめを娶めあはせまし子みこ、布忍富鳥鳴海あをぬまぬおしひめの神を生みたまひき、此の神若尽女わかつくしめの神を娶めあはせまし子みこ、天日腹大科度美あめのひはらおほしなどみの神を娶めあはせまし、此の神天狭霧あめのさぎりの神の女むすめ、遠津待根とほつまちねの神を娶めあはせまし子みこ、遠津山岬多良斯とほつやまさきたらしの神を生みたまひき

こうして、オオクニヌシは胸形の奥津宮の神である多紀理毘売命を妻に迎え、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこねのかみ)と、その妹である高比売命を生みました。またの名を下光比売命と言います。
この神は、現在では迦毛大御神(かものおおみかみ)と呼ばれています。
また、オオクニヌシは神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を妻に迎え、事代主神(ことしろぬしのかみ)を生みました。
また、オオクニヌシは八嶋牟遅能神の娘である鳥耳神(とりみみのかみ)を妻に迎え、鳥鳴海神(とりなるみのかみ)を生みました。
この神は、日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてるぬかたびぢおいこちにのかみ)の娘を妻に迎え、国忍富神(くにおしとみのかみ)を生みました。
この神は、葦那陀迦神(あしなだかのかみ)、またの名を八河江比売(やかわえひめ)を妻に迎え、速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)を生みました。
この神は、天の甕主神(あまのみかぬしのかみ)の娘、前玉比売(さきたまひめ)を妻に迎え、甕主日子神(みかぬしひこのかみ)を生みました。
この神は、淤加美神(おかみのかみ)の娘、比那良志毘売(ひならしびめ)を妻に迎え、多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)を生みました。
この神は、比比羅木の其花麻豆美神(ひひらきのそのはなまづみのかみ)の娘、活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)を妻に迎え、美呂浪神(みろなみのかみ)を生みました。
この神は、敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘、青沼馬沼押比売(あおぬままぬまおしひめ)を妻に迎え、布忍富鳥鳴海神(ふのおしとみとりなるみのかみ)を生みました。
この神は、若尽女神(わかつくしのめがみ)を妻に迎え、天日腹大科度美神(あめのひばらおおしなどみのかみ)を生みました。
この神は、天狭霧神(あまのさぎりのかみ)の娘、遠津待根神(とおつまちねのかみ)を妻に迎え、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)を生みました。

右の件くだり、八嶋士奴美やしまじぬみの神自より以下しもつかた、遠津山岬帯とほつやまさきたらしの神を以前さきつかたを十七世とをよあまりななよの神と称なづく

以上、八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)から、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)までの神々を、十七代の神と称します。

二神の国造り

故かれ大国主神おほくにぬしのかみ出雲いづもの御大みだいの御前みさきに坐まし時、波の穗自より天之羅摩あめのらま船に乗りて、而しかるに鵝がの皮を内剥うちはぎに剥はぎて衣服ころもと為し帰り来たる神有り、爾すなはち其その名を問雖とへども不答こたへず、且また諸神もろかみに之これ従よる所ところ問雖とへども、皆不知しらずと白まをしき、爾すなはち多邇具久たにぐく白まをして言はく、此こは久延毘古くえびこ必ず之これを知らむ、即すなはち久延毘古くえびこを召よび問ひし時答へ白まをさく、此は神産巣日かむむすびの神の御子みこ少名毘古那すくなびこなの神なり、故爾そのゆえに神産巣日御祖かむむすびみおやの命みことに於おいて白まをし上げしば答へ告のらさく、此は実まこと我あが子みこ也なり、子みこの中に於て我あが手俣たなまた自より久岐斯くきし子みこ也なり、故かれ汝なれ葦原色許男あしはらしこをの命みことと兄弟あにおとと為なりて、而るに堅かたく其の国を作れ

あるとき、オオクニヌシが出雲の御大の御前(みおおのみまえ)に行ったとき、海辺の波の上から、天の羅摩(かがみ)の船に乗って、鵞鳥の皮を内側に剥いで作った服をまとった神が、どこからともなくやってきました。
その神に名を尋ねても何も答えず、付き従っている神々にどこから来たのかを聞いても、「分かりません」と言うばかり。
そこで多邇具久(たにぐく)が申しました。
「この神については、久延毘古(くえびこ)ならば必ず知っているでしょう」
そこで久延毘古を呼んで尋ねたところ、次のように答えました。
「この神は、神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子で、少名毘古那神(すくなびこなのかみ、以下、スクナビコ)です」
そこでオオクニヌシは、このことを神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと)に言うと、
「まさしくそれは私の子である。多くの子の中でも、とりわけ私が自分の手の間から生まれた、特別な子である。だから、オオクニヌシと兄弟となって、この国をしっかりと作り上げよ」

故かれ自爾これより大穴牟遅おほあなむちと少名毘古那すくなびこな、二柱ふたはしらの神相あひ並びて堅かたく此この国作りき

こうして以来、オオクニヌシとスクナビコの二柱の神は、並び立ってこの国を築いていきました。

然しかる後は其その少名毘古那すくなびこなの神は常世とこよの国于ここに度わたりき也なり、故かれ顕あきらけく其れ少名毘古那すくなびこなの神と白まをす所、謂いはゆる久延毘古くえびこは於今いまにおいては山田やまたの曽富騰そほどは也なり、此この神は足雖不行ゆかざれど盡ことごとく天下あめしたの事を知る神也

しかしその後、少名毘古那神は常世の国(異界)へと渡って行きました。
この少名毘古那神について知らせた神――すなわち久延毘古(くえびこ)とは、今でいう「山田に立つかかし」であり、この神は、足は動かないけれども天下のすべてのことを知っている神です。

於是これにおいて大国主おほくにぬしの神愁うれひて、而しかるに告のらさく吾われ独ひとり何いかに能よく此この国を作り得るや、孰いずれの神と吾と此の国を能よく相あひ作らむ耶や、是この時光る海に依より来しの神有り、其その神言はく我が前に能く治をさめば吾能よく共に与くみし相あひ作り成す、若もし不然しかざれば国成り難かたし、爾しかるに大国主おほくにぬしの神曰いはく、然しからば治をさめ奉まつる状かたちは奈何いかにせむ答へて言はく、吾は倭やまとの青垣あをかきの東ひむがしの山の上に于おいて、伊都岐いつき奉まつらむ此は御諸山みもろやまの上の神に坐います也

そこでオオクニヌシは悩みながら言いました。
「私一人の力でどうしてこの国を完成させることができようか。誰の神が私と一緒にこの国を造りあげてくれるだろうか」
すると、その時に海の彼方から光を放ってやって来た神が現れ、言いました。
「私を正しく祀ることができるのなら、あなたとともに国を造りあげよう。しかしそうでなければ、この国を完成させることは難しい」
それに対してオオクニヌシが尋ねました。
「それならば、あなたをお祀りするには、どのようにすればよいのか」
神は答えました。
「私は、倭(やまと)の青垣(あおがき)の東の山に祀られたい」
この神こそが、現在御諸山(三輪山)に鎮座している神(大物主神)です。

故かれ其その大年神おほとしのかみ神活須毘神かむいくすびのかみの女むすめ、伊怒比売いのひめを娶めあはせ子みこ大国御魂神おほくにみたまのかみ、次に韓神(からのかみ)、次に曽富理神そほりのかみ、次に白日神しらひのかみ、次に聖神ひじりのかみ又香用比売かよひめを娶めあはせ子みこ大香山戸臣神おほかぐやまとみのかみ、次に御年神みとしのかみを生ましき又天知迦流美豆比売あまちかるかみづひめを娶めあはせ子みこ奧津日子神おきつひこのかみ、次に奧津比売おきつひめの命みこと、亦またの名大戸比売神おほべひめのかみ、此こは以すでに諸人もろひとの拝をがむ竈かまどの神たるは也なり、次に大山咋神おほやまくひのかみ、亦の名山末之大主神やますえのおほぬしのかみ、此の神は近淡海ちかつあはうみの国の日枝山ひえのやまに坐まし、亦葛野かどのの松尾まつのをに坐まし、鳴鏑なりかぶらを用もつ神は也

この神は、神活須毘神(かむいくすびのかみ)の娘の伊怒比売(いぬひめ)を妻に迎え、生んだ子は、大国御魂神(おおくにみたまのかみ)、次に韓神(からのかみ)、次に曽富理神(そほりのかみ)、次に白日神(しらひのかみ)、次に聖神(ひじりのかみ)です。
また香用比売(かぐもちひめ)を娶って生んだ子は、大香山戸臣神(おおかぐやまとおみのかみ)、次に御年神(みとしのかみ)です。
また、天知迦流美豆比売(あましるかるみづひめ)を娶って生んだ子は、奥津日子神(おきつひこのかみ)、次に奥津比売命(おきつひめのみこと)、またの名を大戸比売神(おおべひめのかみ)です。この神は人々がかまどの神として拝む神です。
次に大山上咋神(おおやまのうえくいのかみ)、またの名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)という。この神は、近江国の日枝山や、葛野の松尾におられる鳴鏑神(なりかぶらのかみ)です。

次に庭津日神にはつひのかみ、次に阿須波神あすはのかみ、次に波比岐神はひきのかみ、次に香山戸臣神かぐやまとみのかみ、次に羽山戸神はやまとのかみ、次に庭高津日神にはたかつひのかみ、次に大土神おほつちのかみ、亦またの名土之御祖神つちのみおやのかみを生ましき、上の件くだり大年神おほとしのかみの子みこ大国御魂神おほくにみたまのかみ自より以下しもつかた、大土神おほつちのかみ以前さきつかた、并あはせて十六神とをはしらあまりむはしらのかみ

次に庭津日神(にわつひのかみ)、次に阿須波神(あすはのかみ)、次に波比岐神(はひきのかみ)、次に香山戸臣神(かぐやまとおみのかみ)、次に羽山戸神(はやまとのかみ)、次に庭高津日神(にわたかつひのかみ)、次に大土神(おおつちのかみ)、またの名を土之御祖神(つちのみおやのかみ)といいます。以上の九柱です。
よって、大年神の子として、大国御魂神から大土神まで、合計十六柱の神々が生まれました。

羽山戸はやまとの神大気都比売おほげつひめの神を娶めあはせ子みこ若山咋神わかやまくひのかみ、次に若年神わかとしのかみ、次に妹いも若沙那売神わかさなめのかみ、次に弥豆麻岐神みづまきのかみ、次に夏高津日神なつたかつひのかみ、亦またの名は夏之売神なつのめのかみ、次に秋毘売神あきびめのかみ、次に久久年神くくとしのかみ、次に久久紀若室葛根神くくきわかむろつなねのかみを生ましき、
上の件くだり羽山はやまの子みこ以下しもつかた、若室葛根わかむろつなね以前さきつかた、并あはせて八神やかみ

羽山戸神(はやまとのかみ)は、大気都比売神(おおげつひめのかみ)を妻に迎え、生んだ神々は、若山咋神(わかやまくいのかみ)、若年神(わかとしのかみ)、妹の若沙那売神(わかさなめのかみ)、彌豆麻岐神(みづまきのかみ)、夏高津日神(なつたかつひのかみ)、またの名を夏之売神(なつのめのかみ)、秋毘売神(あきびめのかみ)、久久年神(くくとしのかみ)、久久紀若室葛根神(くくきのわかむろくずねのかみ)の八柱です。
以上、羽山戸神の子として生まれた神々は、若室葛根神まであわせて八柱です。

葦原中國の平定

天菩比神

天照大御神あまてらすおほみかみの命みことを以もち、豊葦原之千秋長五百秋之水穂国とよあしはらのちあきながいほあきのみづほのくには我わが御子みこ、正勝吾勝勝まさかつあかつかち速日天忍穂耳はやひあめのおしほみみの命みことの知らす所の国なりと言因ことより賜たまひて、而しかるに天降あもらしき也なり、於是これにおいて天忍穂耳あめのおしほみみの命みこと天浮橋あめのうきはしに於おいて多多志たたして、而るに詔之のらさく豊葦原之千秋長とよあしはらのちあきなが五百秋之水穂国いほあきのみづほのくには伊多久佐夜芸弖いたくさやぎた有る那理なりと告のりて、而るに更に還かへり上のぼり天照大神あまてらすおほみかみに于おいて請まをしき

オマテラスは次のように言いました。
「豊葦原の千秋長五百秋(いほあき)の水穂(みずほ)の国(日本)は、我が御子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひのあめのおしほみみのみこと)が治めるべき国です」
こう言って、天から地上へ遣わそうとされました。ところが、天忍穂耳命は、天の浮橋に立って下界を見下ろして言いました。
「この水穂の国は、何とも乱れていて、騒がしく治まっていないようです」
そう告げて、いったん高天原へ戻り、アマテラスにその旨を伝えました。

爾これに高御産巣日たかみすびの神と天照大御神あまてらすおほみかみの命みことを以もち、天安河あめのやすかはの河原かははらに於おいて八百万やほよろづの神神集かむつどひに集つどへて、而しかるに思金神おもひかねのかみに思はせて、而しかるに詔らさく此この葦原中国あしはらなかつくには我が御子みこの所知しらすところ国と言依ことよらし賜たまひしの所の国也なり、故るに以為おもへらく於おいて、此この国道は速振はやぶり荒振あらぶる国つ神等らの多さはに在あり、是ここに何いづれの神を使して、而るに将まさに言趣ことむけさせむや爾これに思金神おもひかねのかみと八百万やほよろづの神と議はかり白之まをさく、天菩比あめのほひの神是これ遣つかはす可べし、故かれ天菩比あめのほひの神を遣つかはせば乃すなはち大国主おほくにぬしの神に媚こび附つき、三年みとせに于おいて至り不復奏かへりまをさざりき

そこで、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)とアマテラスは、天安河(あまのやすかわ)の河原に八百万の神々を集めて会議を開き、思金神(おもいかねのかみ)に考えさせて、こう言いました。
「この葦原中国(あしはらのなかつくに=地上の国)は、我が御子が統治すべき国であると、言葉を受けて譲り与えた国である。
しかしながら、この国には道理を無視して勝手気ままに振る舞う荒ぶる神々が多くいる。
そこで、この国に言葉をもって事の趣旨を伝えに行かせるのに、どの神を使者として遣わすべきか」
この問いに、思金神と八百万の神々は協議し答えました。
「天菩比神(あめのほひのかみ)がよいでしょう」
そこで、この神を地上に遣わしましたが、彼はオオクニヌシに媚びへつらってしまい、三年経っても一度も報告に戻ることはありませんでした。

天若日子

是以こをもち高御産巣日たかみむすびの神天照大御神あまてらすおほみかみ、亦また諸神もろかみ等らに問とはさく、葦原中国あしはらなかつくにに遣つかはし所の天菩比あめのほひの神久しく不復奏かへりまをさざりき、亦また何いづれの神を使つかはすが之これ吉よし、爾しかるに思金神おもひかねのかみ答へ白まをさく、天津国玉あまつくにたまの神の子天若日子あめのわかひこを遣つかはす可べし、故爾しかるゆえに天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天之波波あめのはは矢とを以もちて天若日子あめのわかひこに賜たまひて、而しかるに遣つかはし、於是これにおいて天若日子あめのわかひこ、其その国に降をり到り、即すなはち大国主おほくにぬしの神の女むすめ下照比売したてるひめを娶めあはし、亦また其その国を獲とらむを慮おもひはかり八年やとせに于おいて至り、不復奏かへりまをさざりき

こうして、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)とアマテラスは再び神々に問いました。
「先に地上の国へ遣わした天菩比神(あめのほひのかみ)は、長い間戻って報告してこない。では、次には誰を遣わすのがよいだろうか」
この問いに対して、思金神(おもいかねのかみ)が答えました。
「天津国玉神(あまつくにたまのかみ)の御子である天若日子(あめのわかひこ)がよいでしょう」
そこで、天の麻迦古弓(あめのまかこゆみ)と天の波波矢(あめのははや)という神聖な弓矢を天若日子に授けて、地上へ送りました。
ところが、天若日子は地上に降りると、オオクニヌシの娘の下照比売(したてるひめ)を妻に迎え、さらに国を奪おうとする気持ちを持っていました。そして、八年が過ぎても、天界に報告を一切行わなかったのです。

故爾しかるゆえに天照大御神あまてらすおほみかみと高御産巣日たかみむすびの神、亦また諸神もろかみ等らに問ひたまはく、天若日子あめのわかひこ久しく不復奏かへりまをさざりき、又曷いづれの神を遣つかはし以もちて天若日子之あめのわかひこ淹ひさに留とどまる所由よしを問はしむや、於是これにおいて諸神もろかみと思金神おもひかねのかみ答へ白まをさく、雉きぎす名は鳴女なきめを遣つかはす可べし時に詔之のりたまはく、汝(なれ)行きて天若日子あめのわかひこに問ふべき状ありさまは汝いましを以もちて、葦原中国あしはらなかつくにに使はす所は其その国の荒振あらぶる神等を言趣ことむけ和やはすなれのは也なり、何なそ八年やとせに于おいて至り不復奏かへりごとまをさざりけるなり

そこで、アマテラスと高御産巣日神(たかみむすひのかみ)は、再び神々に問いました。
「天若日子(あめのわかひこ)は、長い間まったく報告をしてこない。では、誰を遣わして、天若日子がなぜ留まっているのかを問い正せばよいだろうか」
これに対して、神々と思金神(おもいかねのかみ)が答えました。
「雉の鳴女(きじのなきめ)がよいでしょう」
アマテラスは鳴女にこう命じました。
「お前は行って、天若日子の様子を問いなさい。お前が地上の国に送るのは、国を荒らしている神々を鎮めるためであった。それなのに、なぜ八年ものあいだ報告をしてこないのかを問い正しなさい」

故爾しかるゆえに鳴女なきめ天あめ自より降り到り、天若日子あめのわかひこの門との湯津楓ゆつかつらの上に居をりて、而しかるに天あまつ神の詔命みことのりの如ごと委曲つばらを言ひき、爾かれ天佐具売あめのさぐめ此この鳥の言ことを聞きて、而に天若日子あめのわかひこに語り言いはく、此の鳥は其その鳴く音こえ甚いと悪あしき故ゆえ射い殺す可べしと云まをし進め、即すなはち天若日子あめのわかひこ天あまつ神に賜たまはりし所ところ、天之波士弓あめのはじゆみ天之加久矢あめのかくやを持ち、其その雉きぎす射い殺しき、爾それ其の矢雉きぎすの胸自より通し、而に逆さかしまに射上いあがり天安河あまのやすかはの河原の天照大御神あまてらすおほみかみ、高木神たかぎのかみの御所みところに逮とらへられ坐ましき、是これ高木神たかぎのかみは高御産巣日神たかみむすびの別名ことななり

すると雉名鳴女(きじのなきめ)は、天から地上に降り、天若日子(あめのわかひこ)の門の前の湯津楓(神聖な楓の木)の上に留まり、アマテラスからの言葉を、丁寧に伝えました。このとき、天若日子の妻である天佐具売(あめのさぐめ)がこの鳥の声を聞いて、天若日子にこう言いました。
「この鳥の鳴き声はとても不吉です。だから、射殺してしまいなさい」
そう進言したので、天若日子は、天神から授けられていた天の波士弓(はじゆみ)と天の加久矢(かくや)を手に取り、その雉を射殺しました。
すると、その矢は雉の胸を貫いて飛び抜けてしまい、逆さに天へと昇り、天安河(あまのやすかわ)の河原にいるアマテラスと高御産巣日神の所にまで届きました。

故かれ高木たかぎの神、其その矢を取らし見めしたまへば血の其の矢羽やばねに著しるき、於是これにおいて高木たかぎの神告之のらさく此この矢は天若日子あめのわかひこ賜たまひしの所ところ矢なり、即すなはち諸神もろがみ等らに示し詔のらすは、或あるは天若日子あめのわかひこの命みことを不誤あやまたなば悪あしき神を射いしの矢と為なし之これに至らば、天若日子あめのわかひこ不中あたらじ或あるは邪よこしまなる心有あらば天若日子あめのわかひこ此この矢に於おいて、麻賀禮まかれと云いひて、而しかるに其の矢を取り、其の矢穴自より衝つき返し下おろせば天若日子あめのわかひこの寝いぬる、朝あしたの床の高胸坂たかむなさかに中あたり以もちて死しき、亦また其の雉きぎす不還かへらぬ、故於しかるにおいて今諺ことわざに曰いはく雉きぎすの頓使ひたつかひ是これ也なり

すると高木神(たかぎのかみ、以下、タカギノカミ)は、その矢を取り上げて見たところ、矢羽に血がついていました。タカギノカミは言いました。
「この矢は、天若日子に授けた矢である」
そして、集まっていた神々にその矢を示してこう言いました。
「もし天若日子が、命(みこと)に背かずに、悪しき神を射たためにこの矢が戻ってきたのならば、その矢は彼を射ることはない。だが、もし彼に邪な心があったならば、この矢が彼を討つであろう」
そう言って、その矢を再び天から地に向けて撃ち返すと、矢はまっすぐ落ちて、朝の床で寝ていた天若日子の胸のあたりのを射貫き、彼は死にました。また、使いに出された雉も戻ってこなかったことから、雉の頓使(使いに行ったきり戻らない者)という言葉が諺として残っています。

故かれ天若日子あめのわかひこの妻つま、下照比売したてるひめの哭なく声風に響とよみ天あめに到りき、於是これにおいて天あめに在ある天若日子あめのわかひこの父天津国玉神あまつくにたまのかみと其その妻子めこ聞きて、而しかるに降り来たり哭なき悲しびき、乃すなはち其処そこに於おいて喪屋もやを作りて、而に河雁かはかりを岐佐理持きさりもちとし鷺さぎを掃持ははきもちとし、翠鳥そにどりを御食人みけびととし雀すずめを碓女つきめとし、雉ききすを哭女なきめとし此この如ごとく行き定めて、而に日に八日夜やかよに八夜やよ遊ばしき也なり

すると、天若日子の妻である下照比売(したてるひめ)の泣き声が、風に乗って天まで響き渡りました。これを天で聞いた、天若日子の父・天津国玉神(あまつくにたまのかみ)と、その妻子たちは、深く悲しんで天から降りてきました。
そして、その場に喪屋(葬儀の場)を建て、河雁(かわがり)を岐佐理持(棺の取手持ち)、鷺(さぎ)を掃持(掃除役)、翡翠(かわせみ)を御食人(食事係)、雀(すずめ)を碓女(穀物を搗く女性)、雉(きじ)を哭女(葬儀で泣く役)のように、鳥たちを役割につけて儀式を整え、昼も夜も八日間ほど儀礼を続けました。

此この時阿遅志貴高日子根あぢしきたかひこの神到りて、而しかるに天若日子あめのわかひこの喪もを弔とぶらひし時、天あめ自より降り到りし天若日子あめのわかひこの父、亦また其その妻め皆哭なきて云いはく

このとき、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)がやって来て、天若日子(あめのわかひこ)の喪に参列しました。すると、天から降りてきた天若日子の父の天津国玉神(あまつくにたまのかみ)とその妻は、泣きながらこう言いました。

我子わがこは不死有しなざり祁理けり、我君わがきみは不死しなず坐まし祁理けりと云いひ手足を取り懸かけ、而しかるに哭なき悲しびき也なり、其その過あやまつ所以よしは此この二柱神ふたはしらかみの容姿かほかたちの甚いと能よく相似あひにす、故ゆえ是以これをもち過あやまちき也、於是これにおいて阿遅志貴高日子根あぢしきたかひこの神大おほきに怒り曰いはく、我われは愛うるはし友、故弔とぶらひ来し耳のみ何なぞや、吾わを穢きたなき死せる人と比ぶると云いひて、而に御佩みはかしし所の十掬とつかの剣つるぎを抜き、其の喪屋もやを切り伏せ足を以もち蹶け離はなち、此こを遣やりしは美濃国みのくに藍見河あいみかはの河上かはかみの喪山もやまの在ありは也、其の切らし所ところ、大刀おほだちを持ち名を大量おほはかりと謂いひ、亦またの名神度剣かむどのつるぎと謂ふ

「我が子は、死んでなんかいない」「我が君は、死んでいないのだ」
そう言って、遺体の手足にすがって悲しみ嘆きました。この取り違いが起きた理由は、阿遅志貴高日子根神と天若日子の容姿が非常によく似ていたためです。これに対して、阿遅志貴高日子根神は激怒して言いました。
「私は親しい友を弔うために来ただけだ。どうして私を、穢れた死人と間違えるとは」
そう叫んで、身に帯びていた十掬の剣(とつかのつるぎ)を抜き、喪屋を切り倒し、足で蹴り倒して立ち去ってしまいました。
この出来事のあった場所は、美濃国(現在の岐阜県)の藍見川の河上にある喪山(もやま)という場所とされています。このとき彼が使った刀の名は大量(おおばかり)、またの名を神度剣(かむたちのつるぎ)といいます。

故かれ阿治志貴高日子根あぢしきたかひこねの神は忿いかりて、而しかるに飛び去りしの時、其その伊呂妹いろど高比売たかひめの命みこと、其の御名みなを思ひ顕あらはる、故ゆえ歌ひて曰いはく

そして、阿遅志貴高日子根神が怒りを抱いて飛び去ったとき、彼の異母妹である高比売命(たかひめのみこと)は、兄の正体を明かそうと思い、歌を詠みました。

阿米那流夜あめなるや、淤登多那婆多能おとたなばたの、宇那賀世流うながせる、多麻能美須麻流たまのみすまる、美須麻流邇みすまるに、
阿那陀麻波夜あなたまはや、美多邇みたに、布多和多良須ふたわたらす、阿治志貴あぢしき、多迦比古泥能迦微曾也たかひこねのかみぞや、
此この歌は夷振ひなぶり也なり

「天におられる神よ。
織女(たなばた)の川を渡って、結び合わせた珠の連なりのように、
その玉を連ねた紐のように、ああなんと尊く、
美しい谷を二つ越えて来られる。
阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)であられるぞ」
この歌は、夷(えびす)の節まわしです。

建御雷神

於是これにおいて天照大御神あまてらすおほみかみ詔之のらさく、亦また曷いづれの神遣つかはせば吉よき、爾これに思金おもひかねの神と諸神もろかみ白之まをさく、天安河あめのやすかはの河上かはかみの天石屋あめのいはやに坐ます名は伊都之尾羽張いつのおはばりの神、是これ遣つかはす可べし若もし、亦また此この神に非あらざれば其その神の子みこ、建御雷之男たてみかづちのをの神此これ遣つかは応すべし、且また其それ天尾羽張あめのおはばりの神は天安河あめのやすかはの水を逆塞さかせき上げて、而しかるに道を塞せき居をりし故ゆえ他神ひとかみ行不得ゆきえず、故かれ別わけ天迦久あめのかくの神を遣つかはし問はしむ可べし、故爾このゆえ天迦久あめのかくの神を使はし、天尾羽張あめのおはばりの神に問はしの時答へ白まをさく、恐かしこくも之これ仕つかへ奉まつらむ、然しかるに此この道に於おいては僕やつかれが子建御雷たてみかづちの神を遣つかはす可べし、乃すなはち進め貢たてまつらむ、爾ゆえに天鳥船あめのとりふねの神建御雷たてみかづちの神を副そへて、而しかるに遣つかはしき

するとアマテラスは言いました。
「では、次にどの神を送るのが良いだろうか」
これに対して、思金神(おもいかねのかみ)と八百万の神々は言いました。
「天の安河の川上にある天石屋に坐しておられる神、名を伊都之尾羽張神(いつのおはばりのかみ)と言います。この神を送るのがよいでしょう。もしこの神がふさわしくないなら、その御子である建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)を送るのが良いでしょう。
ただし、この天尾羽張神は、天の安河の流れを逆さにせき止めて、道をふさいでおられるため、他の神々は通ることができません。それ故、まず天迦久神(あめのかくのかみ)を使って、事情をお尋ねするのがよいでしょう」
こうして、天迦久神を遣わして天尾羽張神に問いただすと、天尾羽張神は答えて言いました。
「畏れ多いことでございます。ですが、この道に関しては、私の子である建御雷神(たけみかづちのかみ、以下、タケミカヅチ)をお遣わしください」
こうして、タケミカヅチが進み出されました。そして、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)を副えて、タケミカヅチを地上の国へと遣わしました。

是以こをもちて此この二神ふたかみ出雲いづもの国の伊那佐いなさの小浜をはまに降り到たりて、而しかるに十掬とかつの剣つるぎを抜き浪なみの穗に于おいて逆刺さかさし立たし、其その剣つるぎの前に趺あぐみ坐まし、其その大国主おほくにぬしの神に問ふて言ふ天照大御神あまてらすおほみかみ、高木たかぎの神の命みことを以もち問使之とはしめく、汝之なが宇志波祁流うしはける葦原中国あしはらなかつくには我が御子みこの知所しらすところ国と言依ことよせ賜たまひき、故かれ汝なが心や奈何いかなる爾それ答へ白之まをさく、僕やつかれは白不得まをさじ我子わがみこ八重言代主やへことしろぬしの神、是これ白まをす可べし然しかして鳥と遊ばし魚いをを取らむと為して、而しかるに御大之前みほのさきに往ゆき未いまだ還かへり来たらず

こうして、タケミカヅチと天鳥船神の二柱の神は、出雲の国の伊那佐の小浜に降り立ちました。
そして、十掬(とつか)の剣を抜き、波打ち際に刃を上に向けて突き立て、その剣の前に膝を折って座りました。そして、オオクニヌシにこう問いかけました。
「アマテラスと高木神の命令によって、使いとして参りました。あなたが治めているこの地上の国は、我が御子が治めるべき国として、譲り頂くよう命じられています。あなたのご意思はいかがでしょうか」
これに対し、オオクニヌシはこう答えました。
「私一人ではお答えできません。私の子の八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)が答えるべきです。しかし、彼は今、海に鳥遊(とりあそび)して魚を取っており、まだ御殿に戻っておりません」

故爾このゆえ天鳥船あめのとりふねの神を遣つかはし、八重事代主やへことしろぬしの神を徴めし来こしめて、而しかるに問とひ賜たまひしの時、其その父大神おほかみと語り言まをさく、恐之かしこくも此この国は天あまつ神の御子みこに立奉たてまつらむ、即すなはち其の船を踏み傾かたぶけて、而に天逆手あまのさかてに矣や青あを柴ふし垣かきを於おいて打ち成して、而に隠こもりき也なり

そこで、天鳥船神を遣わして、八重言代主神を呼び戻し、彼に天神の命について尋ねました。すると、言代主神は父であるオオクニヌシに言いました。
「畏れ多いことです。この国は、天つ神の御子に差し上げるべき国でございます」
そう言うや否や、彼は自分の船を蹴って傾け、天逆手(降伏のしぐさ)をして、青柴垣(あおふしがき)を打ち築き、その中に隠れてしまいました。

国譲り

故爾このゆえ其その大国主おほくにぬしの神に問はさく、今汝なが子みこ事代主ことしろぬしの神、此この如ごと白まをし訖をへり、亦また白まをす可べき子みこ乎や有る

そこでタケミカヅチは、オオクニヌシにさらに問いました。
「今、お子の事代主神は天つ神に国をお譲りする旨を申しました。ほかに、意見を述べるべきお子はおられますか」

於是こにおいて亦また白之まをさく、亦また我わが子みこ建御名方たてみなかたの神有り、此こを除おかば無あらじ也なり、此この如ごと白まをしの間ま、其その建御名方たてみなかたの神千引ちびきの石いはを手末たなすへに擎ささげて、而しかるに来き言はく誰たれか我が国に来こむ、而に忍忍をしをし此この如ごと物言ひ然しからば力競きほは為すを欲ほる、故かれ我わ先まづ其その御手みてを取るを欲ほる、故かれ其の御手みてを取ら令しめば即すなはち氷こほりに成り立つを取らせ、亦また剣つるぎの刃やいばに成らすを取らせ故爾このゆえに懼かしこみて、而に退まかり居をり爾

すると、オオクニヌシはこう答えました。
「もう一人、建御名方神(たけみなかたのかみ)という子がいます。この子以外には、意見を述べる者はおりません」
そう言っている間に、建御名方神が現れました。千人がかりで引くような巨石を片手で持ち上げながらやって来て言いました。
「誰だ、この我が国に来て、こそこそとそんなことを申すのは。よい、力比べ(ちからくらべ)をしようではないか。まず、そちらの手を取ってみよう」
そこで、建御名方神はタケミカヅチの手を掴もうとしましたが、その手は瞬時に氷となり、さらに剣の刃に変化しました。これに驚いた建御名方神は、恐れて退きました。

其その建御名方たてみなかたの神の手みてを取るを欲ほり乞こひ帰かへして、而しかるに取れば若葦わかあしを取る如ごと搤おさへ批うちて、而しかるに投げ離はなてば即すなはち逃げ去りき故かれ追ひ往ゆきて、而に科野しなのの国の州羽すはの海に迫到せめたり、将まさに殺せしの時建御名方たてみなかたの神白まをさく恐かしこみ我わを殺す莫なかれ、此この地を除おかば他処よそに不行いかず、亦また我が父大国主神おほくにぬしのかみが命みことを不違たがへず、八重事代主神やえことしろぬしのかみが言ことを不違たがへざり、此の葦原中国あしはらなかつくには天神あまつかみ御子みこが命みことに隨したがひ獻たてまつらむ

次に、タケミカヅチが建御名方神の手を取ってみると、その手はまるで若い葦をつかんで引き裂くように簡単にへし折られ、建御名方神は恐れて逃げ出しました。
タケミカヅチはそれを追いかけ、科野(信濃国)の州羽(すわ)の海まで追い詰め、まさに殺そうとしたとき、建御名方神は命乞いをしてこう言いました。
「どうか、命だけはお助けください。この地(科野)からは一歩も外へ出ません。また、父であるオオクニヌシのご命令にも、兄である事代主神の言葉にも背きません。この葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)は、天つ神の御子にお譲りいたします」

故かれ更さらに且また還かへり来たりて、其その大国主おほくにぬしの神に問はさく、汝なが子等ら事代主ことしろぬしの神、建御名方たてみなかたの神の二神ふたかみは天神あまつかみの御子みこが命みことに隨したがひ勿違たがはずと白訖まをしき、故かれ汝なが心や奈何いかなる爾こに答へて白之まをさく、僕やつかれの子等二神ふたかみ隨したがふと白まをし、僕やつかれ之これを不違たがへず、此この葦原中国あしはらなかつくには命みことに隨したがひ、既に獻まつらむ也なり

そこで、再びタケミカヅチは戻って、オオクニヌシにこう問いました。
「あなたの子、事代主神と建御名方神の二柱の神は、いずれも天つ神の御子の命に従って、異議なく従うと答えました。では、あなたご自身の気持ちはどうですか」
それに対して、オオクニヌシは答えました。
「私の子ら二柱が従うと申し上げた以上、私自身も逆らうつもりはありません。この地上の国は、すでに命に従って差し上げました。

唯ただ僕やつかれの住む所は天神あまつかみの御子みこの天津日継あまつひつぎの知しろしめし所の登陀流とだる天之御巣あめのみすに如しきて、而しかるに底津石根そこついはねに於おいて、宮柱みやはしら布斗斯理ふとしり高天原たかあまはらに於おいて、氷木ひき多迦斯理たかしりて、而に治をさめ賜たまへば僕やつかれは百不足ももたらず八十やそ坰手くまて於おいて隠こもりて、而に侍はべらむ、亦また僕やつかれの子等ら百八十神ももはしらあまりやそはしらのかみは即すなはち八重事代主やへことしろの神を神の御尾みをの前さきに為して、而に仕つかへ奉まつらせば違たがふ神は非あらざり也なり

ただし、私の住む場所については、天つ神の御子が天津日継(天皇家)の御子として治める場所のように、天上の御殿のごとき立派な御殿を、地の底の岩根にまで柱を深く立て、高天原の天井に届くほど高く椽(たるき)を渡して建ててくださるのならば、私はその御殿の百足らず八十の曲り角(まがりづま)にひそかに仕えましょう。
また、私の子である百八十柱の神々も、事代主神を神の御前に仕える神として頂点とし、天つ神の御子に仕えるつもりでおります。これに背く者は、もはや神とは申せません」

如此之このごと白まをして、而しかるに出雲いづもの国の多芸志たきしの小浜をばまに於おいて、天あめの御舍みあらかを造り、而しかるに水戸神みなとのかみの孫ひこ櫛八玉神くしやたまのかみを膳夫かしはでと為し、天御饗あめのみあひを献まつりしの時禱白いのりまをして、而に櫛八玉神くしやたまのかみ鵜うと化なり、海わたの底に入いり底の波邇はにを咋くひ出いで天八十毘良迦あめのやそびらかを作りて、而に海布めの柄からを鎌かまかり燧臼ひきりうすを作り、海蓴こもの柄からを以もち燧杵ひきりきねを作りて、而に火を鑽ひきり出で云いのりまをさく

このように国を譲ることを申し述べたのち、出雲国の多芸志(たぎし)の小浜(おばま)において、天の御殿(天之御舎)を造営し、水戸神の孫である櫛八玉神(くしやたまのかみ)が、料理係(膳夫)となって、天つ神に御饗(供物)を献じました。
このとき、櫛八玉神は祈りながら申し上げ、鵜(海鳥)に姿を変えて海の底へ潜り、海底の波邇(粘土)をくわえて海上に出てきて、それを用いて天八十毘良迦(あまのやそひらか」を作り、さらに、鎌海布(海藻)の茎を使って火臼(ひうす)を作り、海蓴(海藻)の茎を使って火杵(ひきね)を作り、それらを用いて火を起こしたといいます。

是この我わが燧ひきりせむ所の火は高天原たかあまはらに於おいては、神産巣日御祖命かみむすびみおやのみことの登陀流とだる、天あまの新にひ巣すの凝烟すすの八拳やつか垂しづる摩弖まで、焼き挙あげ地つちの下は底津そこつ石根いはねに於おいて焼き凝こる

これは、私が起こした神聖な火です。その高天原においては、神産巣日(かみむすひ)の御祖命が、新たに設けられた天の巣(神殿)から立ちのぼる煙を、八拳(やつこぶし)も垂れ下げるほど燃やしあげていた。

而しかるに栲縄たくなはの千尋ちひろの縄を打ち延はへ、海人あまに釣り為なさしの口大くちおほきの尾を翼跳はね鱸すずき佐和佐さわさ和邇わに控ひき依よせ騰あげて、而しかるに打ちし竹の登遠遠登遠遠とををとををに天あめの真魚まなを献あへ咋くらひき也なり、故かれ建御雷たてみかづちの神返かへり参上まいりのぼり、葦原中国あしはらなかつくにに言向ことむけ和平やはししの状かたちを復奏かへりごとまをしき

また、地上においては、底の深い岩根で火が凝り固まり、海中で延びる縄のように千尋(ちひろ)もの長さに打ち延ばされ、それが釣りをする海人(あま)のように、大きな口と尾ひれをもつスズキ(鱸)を、サワサワと引き寄せて、竹を打つようにしてと響かせながら、神への真魚(神に供える神聖な魚)として献じるために、これを調理していたのである。
このようにして、タケミカヅチは任務を終えて高天原に戻り、地上の国を平和に導いた次第を報告しました。

邇邇藝命

天孫の誕生

爾ここに天照大御神あまてらすおほみかみ高木神たかぎのかみの命みことを以もち、太子ひつぎのみこ正勝まさかつ吾勝勝あかつかつ速日天忍穗耳はやひあめのをしほみみの命に詔のらさく、今葦原中国あしはらのなかつくにを平たひらげ訖をへて之これ白まをさく、故かれ言依ことよせに隨したがはむ降おり坐まして、而しかるに知らし賜たまへば、爾ここに其その太子ひつぎのみこ正勝まさかつ吾勝勝あかつかつ速日天忍穗耳はやひあめのをしほみみの命みこと答へ白まをさく、僕やつかれは将まさに降りむと裝束よそひしの間ま子みこ生うみ出いで、天邇岐志国あめのにきしくに邇岐志にきし天津あまつ日高日子番能ひこひこほの邇邇芸ににぎの命みことと名づく、此この子みこ降る応べし也なり、此の御子みこは高木神たかぎのかみの女むすめ、万幡豊よろづはたとよ秋津師比売あきつしひめの命みことと御合めあはしたまひ子みこ天火明あめのほあかりの命みこと、次に日子番能邇邇芸ひこほのににぎの命みことを生みき也

そのとき、アマテラスとタカギノカミ(高木神)は、太子である正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)にこう言いました。
「今、地上の国は平定されました。ですから、あなたに命じます。地上に降りて、その国を治めなさい」
すると、その太子の天忍穂耳命は答えていいました。
「私は今まさに地上へ降りようと準備していたところ、子が生まれました。その名を天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと、以下、ニニギ)と言います。この子こそ地上に降るべきでしょう」
この御子は、タカギノカミの娘である万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)との間に生まれた子で、兄に天火明命(あめのほあかりのみこと)、弟に日子番能邇邇芸命(ひこほのににぎのみこと)がいます。

是以こをもちて之これ白まをすに隨したがひ、日子番能邇邇芸ひこほのににぎの命みことに科をし詔のらさく、此この豊葦原とよあしはらの水穂みづほの国は、汝なが将まさに知しらむ国と言依ことよせ賜たまふ、故かれ命みことに隨したがひ以もちて天降あもる可べ

そこで、その申し出に従い、アマテラスとタカギノカミは次のように命じました。
「この瑞穂の国は、そなたが治めるべき国として言葉を授けました。よって、この命に従い、天より降りなさい」

爾ここに日子番能邇邇芸ひこほのににぎの命みこと、将まさに天降あもらむの時天あめの八衢やちまたに居をりて、而しかるに上かみ高天原たかあまはらに光り下しも葦原中国あしはらのなかつくにに光りしの神於是こにおいて有る、故爾ゆえに天照大御神あまてらすおほみかみ高木神たかぎのかみの命みことを以もち、天宇受売あめのうずめの神に詔のらさく、汝なれは手弱女人たをやめ有なれ雖ども伊牟迦布いむかふ神と面勝おもかつ神、故ゆえ專もはら汝なれ往ゆき、将まさに問とはむは吾あが御子みこ天降あもり為しの道は誰たれか、如此而かくて居をるぞとのらしき、故かれ問ひ賜たまひしの時答へ白まをさく、僕やつかれは国つ神名は猿田毘古さるたひこの神也なり、出いで居をる所以ゆえは天あまつ神の御子みこ天降あもり坐ますを聞きし、故ゆえに御前みまへに仕つかへ奉まつりて、而しかるに参り向かひ之し侍さもらふとまをしき

こうしてニニギが、天から地に降りようとしたとき、天と地の分かれ道、天の八衢(あまのやちまた)に一柱の神が立っていました。その神は、上は高天原に、下は地上の国に光を放つほどの存在感を持つ神でした。
そこで、アマテラスとタカギノカミは、天宇受売神(あめのうずめのかみ)に命じて言いました。
「あなたは女性であっても柔弱ではなく、面(おも)勝る神、つまり相手に勝る顔立ちの神であり、迎え神としてふさわしい者だ。だから、お前が行って尋ねなさい。我が御子が天から降ろうとしているその道に、誰がこのように立っているのかと」
そこで天宇受売神が尋ねたところ、その神は答えて言いました。
「私はこの国の神で、名を猨田毘古大神(さるたびこのかみ、以下、サルタヒコ)と言います。天つ神の御子が天から降られると聞いたので、そのお迎えのために参上し、お仕えしようとしているのです」

天孫降臨

爾かれ天児屋あめのこやねの命みこと、布刀玉ふとたまの命みこと、天宇受売あめのうずめの命みこと、伊斯許理度売いしこりどめの命みこと、玉祖たまのおやの命みこと、并あはせ五いつの伴緖とものを矣を支たすけ加へて、而しかるに天降あもらしき也なり、於是こにおいて其それ遠岐斯をきし八尺やさかの勾瓊まがたま鏡かがみ草那芸剣くさなぎのつるぎ及まで、亦また常世思金とこよのおもひかねの神手力男たぢからをの神天石門別あめのいはとわけの神を副たぐひ賜たまひて、而しかるに詔のらす者

そこで、天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとだまのみこと)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)の五柱の神々を、ニニギの随行神(おとも)として地上に降りました。
また、その際に副えて授けられたものは、八尺の勾玉(やさかのまがたま)、鏡(八咫鏡)、草那芸剣(後の草薙剣)、思金神(おもいかねのかみ)、手力男神(たぢからおのかみ)、天石門別神(あまのいわとわけのかみ)です。これらを供えて言いました。

此之この鏡は專もはら我御魂みたまと為して、而しかるに吾わが前みまへを拝をろがむ如ごと伊都岐いつき奉たまへ、次に思金おもいかねの神は前みまへ事ごとを取り持ち政まつりごとを為せよ

「この鏡は、私自身の御魂(みたま)として大切にまつるべきものだ。だから、将来、お前たち(地上の民)がこの鏡を拝むときは、私を拝むのと同じように敬い、祀りなさい。また、思金神は、これまで通りに知恵によって政治・判断を行う役目を担いなさい」

此この二柱ふたはしらの神は佐久久斯侶伊須受能宮さくくしろいすずののに拝をろがみ祭まつれ、次に登由宇気(とようけ)の神、此こは外宮とつみやの度相わたらひに坐ます神は也なり、次に天石戸別あめのいはとわけの神、亦またの名は櫛石窓くしいはまどの神と謂いひ、亦またの名は豊石窓とよいわまとの神と謂いひ此この神は御門みかどの神ぞ也なり、次に手力男たぢからをの神は佐那那さなな県あがたに坐ませ也、故其そのゆえに天児屋あめのこやねの命みことは中臣なかとみの連むらじ等らの祖おや、布刀玉ふとたまの命みことは忌部いみべの首おびと等らの祖おや、天宇受売あめのうずめの命みことは猿女さるめの君きみ等の祖おや、伊斯許理度売いしころどめの命みことは作鏡かがみつくりの連むらじ等の祖おや、玉祖たまのおやの命みことは玉祖たまのおやの連むらじ等の祖おや

この二柱の神は、佐久久斯侶(さくぐしろ)を神として拝み祭り、伊須受能宮(いすずのみや)に鎮座している。
つぎに、登由宇氣神(とゆうけのかみ)という神がいる。この神は、伊勢の外宮におられる度相神(わたしあいのかみ)です。
つぎに、天石戸別神(あまのいわとわけのかみ)、別の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、または豊石窓神(とよいわまどのかみ)です。この神は、「御門(みかど)=神の門」を守護する神です。
そして、手力男神(たぢからおのかみ)は、佐那那県(さなながた)という場所に鎮座している。
このようにして、天児屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命の五神たちは、それぞれ天孫降臨の随行神としての働いた後、各地に祀られ、神格に応じた役割を担っています。

故爾このゆえに天津日子番能邇邇芸あまつひこほのににぎの命みことに詔たまひて、而しかるに天之石位あまのいはくらを離れ天之あまの八重多那やへたな雲を押し分けて、而しかるに伊都能いつの知和岐知和岐ちわきちわき弖て於おいて、天浮橋あめのうきはしに宇岐士摩理うきじまり蘇理そり多多斯たたし弖て于竺紫ちくしの日向ひむかの高千穂たかちほの久士布流くしふる多気たけに天降あもり坐ます、故爾このゆえに天忍日命あまのおしひのみこと天津久米命あまつくめのみことの二人ふたひと天之石靫あめのいしゆきを取り負おひ、頭椎之大刀くぶつちのたちを取り佩はけ天之波士弓あめのはじゆみを取り持ち、天之真鹿児矢あめのまかごやを手挟たばさみ御前みまへに立ちまをして、而に仕つかへ奉まつる

そこで、アマテラスとタカギノカミは、ニニギに命じて、天の石座(神の座)を離れ、空に重くたなびく八重の雲を押し分けて、くっきりと分かち分かちして、天の浮橋(あめのうきはし)の上に立って、身を正し整えて、地上へと天降った。
そして、筑紫(日向国)にある、高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)に降り立ったのである。
そのとき、天忍日命(あめのおしひのみこと)と天津久米命(あまつくめのみこと)の二柱の神が、天の石靫(石でできた矢筒)を背負い、頭椎の大刀(神剣)を帯び、天の波士弓(神弓)を手に持ち、天の真鹿児矢(神矢)を両手に挟み持って、御前に立ち、ニニギを迎えた。

故かれ其その天忍日命あまのおしひのみこと此おほともこは大伴おほともの連むらじ等らの祖おや、天津久米命あまつくめのみこと此こは久米くめの直あたひ等の祖おや也なり、於是こにおいて詔之これのたまはく、此この地くには韓国からくにに向き真来まき通かよふ笠紗かささの御前みさきにて、而しかるに朝日あさひの直ただに刺さす国夕日ゆふひの日照ひでる国也なり、故ゆえに此この地くに甚いと吉よき地くにと詔のたまひ、而に於おいて底津石根そこついはね宮柱みやはしら布斗斯理ふとしり於おいて高天原たかあまはら氷椽ひき多迦斯理たかしり、而に坐ます也なり

そこで、天忍日命と天津久米命の二柱の神は、次のように言った。
「この国は、海の向こうの韓国(からくに)にまっすぐ通じる位置にあり、笠紗の御前(南方の海辺)に面していて、朝日がまっすぐに差し昇り、夕日がきれいに照らす国である。だから、ここは非常にめでたく良い土地です」
こう言って、地の底の堅い岩の根(底津石根)に、宮柱をどっしりと立て、高天原のように霊妙な氷椽(ひじき)を高く組んで、ニニギはそこに御殿を構えて住んだ。

故かれ爾ゆえに天宇受売あめのうずめの命みことに詔のたまはく、此これ御前みまへに立ち猿田毘古さるたひこの大神おほみかみに仕つかへ奉まつる所は、専もはら顕あらはし申まをしし所の汝なが送り奉まつれ、亦また其その神の御名みなは汝なが負おひ仕へ奉れ、是以こをもち猿女君さるめのきみ等ら其の猿田毘古さるたひこの男神をのかみの名を負ひ、而しかるに女をみなを猿女君さるめのきみと呼びしの事是こ也なり、

そこで、アマテラスは、天宇受賣命(アメノウズメ)にこう言いました。
「このたび、御前に立って仕えていたサルタヒコ(猨田毘古大神)は、まさにあなたが見出し、名乗らせた神である。だから、お前が彼を導いて送り届けなさい。また、サルタヒコの名は、あなたが背負って、名乗り伝えるように」

故かれ其の猿田毘古さるたひこの神阿邪訶あざかに坐ます時に為漁すなどりて、而に於おいて比良夫ひらふ貝に其の手を見咋合くひあはせられて、而に海塩うしほに沈み溺おぼる、故かれ其の底に沈み居をりの時名なづけく底度久御魂そこどくみたまと謂いひし、其の海水うみみづの都夫多都つぶたつ時名なづけく都夫多都御魂つぶたつみたまと謂いひし、其の阿和佐久あわさく時名なづけく阿和佐久御魂あわさくみたまと謂いひす

かくして、サルタヒコが阿邪訶(あざか)という地におられたとき、漁(すなど)りをしようとして、比良夫貝(ひらふがい)という貝に手を噛まれて、海に溺れてしまいました。
そのため、その沈む
ときの霊名を底度久御魂(そこどくみたま)といい、その海水が泡立ったときの霊名を都夫多都御魂(つぶたつみたま)といい、その泡が広がったときの霊名を阿和佐久御魂(あわさくみたま)といいます。

於是こにおいて猿田毘古神さるたひこのかみ送りて、而しかるに還到かへりたり乃すなはち悉ことごと鰭広物はたのひろもの鰭狭物はたのせばものを追ひ聚あつめ、以もちて問言とひたまはく、汝なは天神あまつかみの御子みこに仕つかへ奉まつる耶やの時、諸魚もろを皆仕つかへ奉まつると白まをすの中海鼠この不白まをさざりき、爾ここに天宇受売命あまのうずめのみこと海鼠こに謂のたまい云いふ、此この口くちや不答こたへざるの口なる、而に紐小刀ひもがたなを以もちて其その口を拆さけし、故於ゆえにおいて今に海鼠この口拆さくる也なり、是以こをもち御世みよの嶋の速贄はやにへを獻まつるの時、猿女君さるめのきみ等らに給たまはる也

こうして、サルタヒコを送り届けて帰ってきたとき、あらゆる種類の魚を集めて、お前たちは天神の御子(ニニギ)に仕えるかと問いました。
そのとき、すべての魚たちは「仕えます」と答えましたが、海鼠(なまこ)だけが答えませんでした。そこで、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)は海鼠に向かって「この口か、答えなかった口は」と言って、紐の小刀でその口を裂いてしまいました。そのため、今に至るまで海鼠の口は裂けているのです。
このことから、御世嶋の速贄(すばやく捧げる供物)を献上する際には、猨女君(さるめのきみ)たちにこれを賜るのです。

佐久夜毘売

於是こにおいて天津日高日子番能邇邇芸能命あまつひこひこほのににぎのみこと笠紗かささの御前みさきで於麗美人くはしおみなに遇あひき、爾ここに問ひたまふ誰たが女むすめぞ答へ白まをさく、之これ大山津見おほやまつみの神の女むすめ名は神阿多都比売かむあたつひめ、亦またの名は木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめと謂いふ、又問ひたまふ有汝之兄弟乎ながはらからやある答へ白まをさく、我姉石長比売いはながひめ在あり也なり、爾ここに詔のたまはく吾わ汝いましと目合めあはさむと欲おもふや奈何いかに答へ白まをさく、僕やつかれ不得白まをしえず僕やつかれが父大山津見おほやまつみの神の将白まをさむ

こうして、ニニギは、笠紗の御前でたいそう美しい女性に出会いました。そこで尋ねました。
「あなたはどなたですか」
すると彼女は答えて言いました。
「私は大山津見神の娘で、神阿多都比売(かむあたつひめ)と申します。別の名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ、以下、サクヤヒメ)とも申します」
さらに尋ねました。
「あなたには兄弟姉妹がいますか」
彼女は答えて言いました。
「私には姉の石長比売(いわながひめ)がいます」
そこでニニギはこう仰せられました。
「私はあなたと夫婦になりたいと思うが、どうか」
サクヤヒメは答えて言いました。
「私は自分の判断でお答えすることはできません。父の大山津見神に申し上げることとなりましょう」

故かれ其その父大山津見おほやまつみの神に遣つかはさむと乞ねがひしの時、大おほきに歓喜よろこびて、而しかるに其の姉石長比売いはながひめを副そへ百取ももとりの机代つくえしろの物を持た令しめ奉出き、故かれ爾ここに其の姉は甚いと凶醜しこめきに因より畏かしこま見えて、而に返し送り唯ただ其の弟おと木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめを留とめ一ひと宿ねに以もちて婚みとのまぐはひす

そこで大山津見神のもとに使者を送り、申し入れると、大山津見神は非常に喜び、姉の石長比売を添えて、多くの婚礼の贈り物(百取机代)を持たせて、娘たちを奉りました。しかし、姉の石長比売は非常に醜かったため、ニニギは恐れて返してしまい、妹のサクヤヒメだけを残して、一夜をともにし、夫婦となったのです。

爾ここに大山津見おほやまつみの神石長比売いはながひめを返さるるに因よりて、而しかるに大きに恥はぢ白まをし送り言まをさく我わの女むすめ二ふた並ならびに立奉たてまつる、由よしは石長比売いはながひめ使つかはしますは天神あまつかみ御子みこの命いのち、雨零ふり風吹け雖ども恒つねに石いはに如しきて、而に常に堅かたく不動坐うごきまさまじく、亦また木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめ使はしますは木花このはなに如しきて、之これ栄栄さかえさかえ坐まさむを宇気比弖うけひて自より進め貢まつりき、此これ石長比売いはながひめを返さ令しめ、而に独ひとり木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめ留とめし、故かれ天神あまつかみ御子みこの御寿みいのちは木花このはなの阿摩比能微あまひのみ坐まさむ、故かれ是こに今に于おいて至るに以もちて天皇命すめらみこと等らの御命みいのち不長ながからず也なり

そこで、大山津見神(オオヤマツミ)は、娘の石長比売を返されたことを非常に恥じて、次のような言葉をニニギに伝えました。
「私が二人の娘をともにお差し上げしたのは、理由があります。
石長比売は、天神の御子(ニニギ)の命が、雨や風にも耐えて、岩のように堅固で動じず、永遠であってほしいと思ったからです。サクヤヒメは、花のように美しく栄えてほしいと思ったからです。しかし、石長比売を返して、サクヤヒメだけを妻にされた。そのため、天神の御子の命は、木の花の泡火のように、はかなく短くなってしまいました。だからこそ、今に至るまで、天皇の命は長くはないのです」

故後しかるのち木花之佐久夜毘売このはなのさくやひめ参まいり出いで白まをさく、妾われ妊身はらみ今産む時に臨のぞみ是こ天神あまつかみの御子みこ私わたくし不可産うむべくもあらぬ、故かれ請うけひしまつらむ、爾ここに詔のたまわく佐久夜毘売さくやひめ一宿ひとね哉や妊はらむは是こ我わが子みこに非あらず必ず、国神くにつかみの子爾ここに答へ白まをさく、吾わ妊はらみの子若もし国神くにつかみの子は産み不幸さきくあらじ、若もし天神あまつかみの御子みこは幸さきはふ即すなはち無戸八尋うつやひろ殿どの作り、其その殿との内に入り土はに以もちて塗り塞ふたぎ、而しかるに方まさに産まむの時以もちて其の殿との火を著つけ、而に産めり也なり、故かれ其の火ほ盛さかり焼きし時所ところ、生みしの子みこ名火照ほでりの命みこと、次に生まれし子みこ名火須勢理ほすせりの命みこと、次に生まれし子みこ御名みな火遠理ほをりの命みこと、亦また名天津日高あまつひこ日子穂穂手見ひこほほでみの命みこと

その後、サクヤヒメは現れて申し上げました。
「私は今、妊娠しており、まさに出産の時を迎えています。この子は天神の御子であり、私の個人的な子ではありません。ですから、どうか信じて頂きたく存じます」
しかしニニギは疑い、
「サクヤヒメよ、一夜の宿で妊娠するなどというのはおかしい。それは私の子ではなく、国神の子に違いない」
サクヤヒメは答えて言いました。
「もしこの子が国神の子であれば、出産はうまくいかないでしょう。しかし、もし天神の御子であれば、必ず無事に生まれます」
そうして、戸のない八尋殿(広い産屋)を建てて中に入り、土で戸口を塗り固めて閉じ、火をつけてその中で出産しました。
火が激しく燃えさかる中で生まれた子は、第一子の火照命(ほでり)、第二子の火須勢理命(ほすせり)、第三子の火遠理命(ほおり)、別名は天津日高日子穂穂手見命(あまつひだかひほほでみ)です。

 

古事記を読む1(天地開闢~天照大神)
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古事記を読む3(山幸彦~神武東征)
火遠理命、海幸彦と山幸彦、海神の宮、神武天皇、東征、綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、開化天皇
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