古事記を読む(上巻2~3)

/神道

古事記とは

古事記は、日本最古の歴史書であり、712年に太安万侶(おおのやすまろ)が編纂し、元明天皇に献上されました。尚、原本は現存せず、幾つかの写本が伝わっています。日本神話を伝える神典の1つとして、神道を中心に日本の宗教文化・精神文化に多大な影響を与えています。

内容は、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの、神話や伝説などを含む様々な出来事が紀伝体で記載されています。日本書紀とともに「記紀」と総称されていますが、内容には一部に違いがあり、日本書紀のような勅撰の正史ではありません。

別天神五柱~神世七代

天地あめつちはじめにこりたるの時、高天原において神成りまし名は、天之御中主あめのみなかぬしの神、次に高御産巣日たかみむすびの神、次に神産巣日かむむすびの神、三柱みはしらの神は、並びて独り神と成りしてしかるに、身を隠す也

天地が初めて開かれたとき、高天原に最初に現れた神の名は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
次に現れたのは高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に現れたのは神産巣日神(かみむすひのかみ)です。この三柱の神々は、いずれも単独で出現し、すぐに姿を隠しました。

次に国わか浮脂うきあぶらの如くしてしかる久羅下那州多陀用幣流くらげなすただよへるの時、葦牙あしかびの如く、萌えがるの物に因りて神成りまし名は、宇摩志阿斯訶備比古遅うましあしかびひこぢの神、次に天之常立あまのとこたちの神、此の二柱ふたはしらの神またひとり神成りすなはち、身を隠しませり也、かみくだり五柱いつはしらの神は、別天神わけあまつかみなり

次に、国はまだ若く、脂の状態で、クラゲのように漂っている時に、葦の芽のように、地面から萌え上がるように現れた神が、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)です。
次に現れた神は、天之常立神(あめのとこたちのかみ)です。この二柱の神も、単独で現れて、すぐに姿を隠した。これら五柱の神々を別天神(ことあまつかみ)と呼びます。
次に現れた神は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)です。次に、豊雲野神(とよくもぬのかみ)が現れました。この二柱の神々もまた、単独で現れ、すぐに姿を隠しました。

次に神成り名は、国之常立くにのとこたちの神、次に豊雲野とよくものの神、此の二柱の神、また独り神成りし、すなはち身を隠す也、
次に神成り名は、
宇比地迩うひちにの神、次に妹須比智迩すひちにの神、次に角杙つぬくひの神、次に妹活杙いくくひの神、次に意富斗能地おほとのちの神、次に妹大斗乃弁おほとのべの神、次に於母陀流おもだるの神、次に妹阿夜訶志古泥あやかしこねの神、次に伊邪那岐いざなぎの神、次に妹伊邪那美いざなみの神

次に生まれた神の名は宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に須比智邇神(すひぢにのかみ)です。
次に角杙神(つのぐいのかみ)、次に活杙神(いくぐいのかみ)の二柱の神が生まれました。
次に意富斗能地神(おほとのぢのかみ)、次に大斗乃辨神(おほとのべのかみ)が生まれました。
次に、於母陀流神(おもだるのかみ)、次に阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)が生まれました。
次に生まれたのは、伊邪那岐神(以下、イザナギ)、次に妹の伊邪那美神(以下、イザナミ)が生まれました。

かみくだり国之常立くにのとこたちの神以下しもつかた伊邪那美いざなみの神の以前さきつかたよりあわせ神世七代かみのよななよなづ

先の国之常立神(くにのとこたちのかみ)から、イザナミまでを神世七代と呼びます。

伊邪那岐命と伊邪那美命

国土の修理個成

おいあまつ神の、もろもろみこともちて、のたまはく伊邪那岐いざなぎみこと伊邪那美いざなみみこと二柱の神、是の多陀用幣流ただよへるの国すぢなほし固め成せと賜ひ、天沼矛あめのぬぼこを賜りしかる言依ことよせ賜ふ也、
故二柱の神、あまつ浮橋に立たし、しかるに其の沼戈ぬぼこを指し下ろしもちて画けば塩許々袁々呂々こをろこをろ書きし、しかるに引き上ぐる時、其の矛の末しずり落ちしの塩の累つもり、嶋に成りぬる、是れ淤能碁呂おのごろ嶋なり

天の神々は、イザナギとイザナミの二柱の神にこう言い、天の沼矛を与えました。
「このまだ漂っている国土を整えて、固めて完成させなさい」
二柱の神は天の浮橋に立ち、その沼矛を海に向かって差し下ろしてかき混ぜました。すると「こをろこをろ」と塩の音が鳴り響き、矛を引き上げると、矛の先から塩が滴り落ち、それが積もって島となりました。これが、淤能碁呂島(おのごろじま)です。

二神の結婚

其の嶋においあま降りし、しかるに天の御柱みはしらを見立て、八尋殿やひろどのを見立てき、於是こにおいて其の妹伊邪那美命いざなみのみことに問ひ曰く、汝が身は如何に成る、問ひ答はく、吾が身は成り成りて成り合は不る処一処ひとところ在り、ここ伊邪那岐命いざなぎのみことのたまはく我身は成り成りて、しかるに成り余る処一処ひとところに在り、故此の吾が身成り余る処を以て、汝が身の成り合はる処を刺し塞ぎ、しかるに国土を生成つくり生む奈何いかに以おもふ、伊邪那美命いざなみのみこと答へ曰く、然り善き爾、
伊邪那岐命いざなぎみこと詔はく、然者しくあらば、吾と汝、是の天の御柱みはしらを行き廻り逢ひて、しかる美斗能麻具波比みとのまぐはひ

その島に二柱の神が天から降り立ち、まず天の御柱(あめのみはしら)を立て、続いて八尋殿(やひろどの)という大きな神殿を建てました。そのとき、イザナギがイザナミに尋ねた。
「あなたの体は、どのようにできているのか」
するとイザナミは答えた。
「私の体は、すでにでき上がっていますが、出来上がっていない場所が一つあります」
それを聞いたイザナギは言った。
「私の体もでき上がっているが、余っている場所が一つある。だから私の体の余っているところで、あなたの体の出来上がっていないところを塞ぎ、国を生み出そう」
イザナミは答えて言いました。
「それは良いことだと思います」
そこでイザナギはこう言いました。
「では、私とあなたでこの天の御柱を回って出会い、”みとのまぐわい”(美斗能麻具波比)をしましょう」

此のこころざしの如く、すなはのたまはく汝は右り廻りて逢ひ、我は左り廻りて逢はむとのたまひむすへ廻りし時、伊邪那美命いざなみみこと先に言はく、阿那邇夜志愛上袁登古袁あやによしえをとこを、此の後に伊邪那岐命いざなぎみこと言はく、阿那邇夜志愛上袁登賣袁あやによしえをとめを
おのおの言ひへしの後、其のいもたまはく曰く、女人をみなびとの先に言ふは良不よからざれど、しかくすべしとたまひ久美度邇くみどにおこしてしかるに生みし子は水蛭子ひるこにて、此の子はあし船に入れてしかるに流し去りき、次に淡嶋あはしまを生みき、是れまた子のたぐひ入れ

こうして、イザナギはイザナミに言いました。
「あなたは右から回って来なさい。私は左から回って出会おう」
二神はそのように約束して柱のまわりを回り、出会ったとき、イザナミが先にこう言いました。
「まあ、なんて素敵な男の方でしょう」
それを受けて、イザナギが後からこう言いました。
「まあ、なんて素敵な女の方でしょう」
二人がこのように言い終えた後、イザナギはイザナミに言いました。
「女が先に言葉をかけるのは、良くないことだ」
そうは言いながらも、二柱は神婚の儀式を行い、最初の子をもうけました。しかし、その子は水蛭子(ひるこ)で、葦で編んだ舟に乗せて流してしまいました。
次に淡嶋(あわしま)という島を生みましたが、これもまた正当な子には数えられませんでした。

大八島国の生成

於是こにおいて、二柱の神はかりてはく、今われらが生みし所の子、良からずなほよろあまつ神の所にまをすべし、即ち共に参上まいのぼあまつ神のおほせことはむといひき、しかるあまつ神のおほせこと布斗麻邇爾ふとまにに卜相うらなふをちて、しかるに之れをのたまはをみなの先に言ふに因りて、しかるに良からずまたかへり降り言を改むべし

そこで、イザナギとイザナミは話し合って言いました。
「私たちが生んだ子は良くない。やはり、天の神々の御所にこのことを申し上げるのが良いだろう」
そうして二柱は一緒に高天原に昇り、天つ神のお言葉を仰ぎました。すると、天つ神は「ふとまに」によって占い、こう告げました。
「女神が先に言葉をかけたのが原因で、うまくいかなかったのだ。もう一度地上に戻って、言葉の順序を正して儀式をやり直しなさい」

しかるが故に反り降り、更に其のあめ御柱みはしらき廻ること先の如し、是に伊邪那岐命いざなぎのみこと、先に阿那邇夜志愛袁登賣袁あやによしえをとめをと言ひ後に、妹伊邪那美命いざなみのみこと阿那邇夜志愛袁登古袁あやによしえをとこをと言ひき、此の言の如くえて、しかる御合みあひ生みし子は淡道之穗之狹別嶋あはぢのほのせわけの島

そこで二柱は地上に戻り、再び天の御柱のまわりを回り、前と同じように神婚の儀式を行いました。今度は、イザナギが先に言いました。
「なんて素敵な女の方でしょう」
そして後から、イザナミが言いました。
「なんて素敵な男の方でしょう」
このように正しい手順で言葉を交わしてから、二柱は交わり、最初に生まれたのが現在の淡路島です。

次に伊予いよ二名ふたなの島を生みき、此の島者は身一つにてしかるかほ四つ有りかほ毎に名有り、故伊予いよの国は愛比賣えひめひ、讃岐さぬきの国は飯依比古いひよりひこひ粟の国は大宜都比売おほげつひめひ、土左とさの国は建依別たけよりわけ

次に生まれたのが現在の四国です。この島は四つの地域があり、それぞれ、伊予国(いよのくに)、讃岐国(さぬきのくに)、阿波国(あわのくに)、土佐国(とさのくに)です。

次に隠岐おき三子みつこの島を生みき、またの名は天之忍許呂別あまのおしころわけ、次に筑紫の島を生みき、此の島は亦身一つにして、しかるかほ四つ有りかほ毎に名有り、故筑紫の国は白日別しらひわけひ、とよの国は豊日別とよひわけと謂ひ、の国は建日向日豊久士比泥別たけひむかひとよくしひねわけと謂ひ、熊曽くまその国は建日別たけひわけと謂ふ、次に伊伎いきの島を生みき亦の名は天比登都柱あまひとつはしらと謂ふ、次に津島つのしまを生みきまたの名は天之狭手依比売あまのさてよりひめ謂ふ、次に佐度の島を生みき次に大倭豊秋津おほやまととよあきつ島を生みき、またの名を天御虚空豊秋津根別あまみそらとよあきつねわけふ、故此の八島先に生まれし所に大八島おほやしまの国と

次に生まれたのは隠岐の三つの島で、別名を天之忍許呂別(あまのおしころわけ)といいます。
その次に生んだのは現在の九州で、この島も四つの地域があり、それぞれ、現在の北部九州、東部九州、西部九州、南部九州です。
次に生まれたのは壱岐島で、次に生まれたのが対馬です。その後に佐渡島を生み、最後に生んだのが現在の本州です。
このように、これら八つの島々を最初に生んだため、これらを総称して大八島国(おおやしまのくに)と呼びます。

しかる後かへししの時、吉備きび児島こじまを生み、またの名を建日方別たけひかたわけふ、次に小豆あづき島を生み、亦の名を大野手おほのて比賣ひめと謂ふ、次におほ島を生み亦の名を大多麻おほたま流別るわけと謂ふ、次にの島を生み亦の名を天一根あまのひとつねと謂ふ、次に知訶ちかの島を生み亦の名を天之忍男あめのおしをと謂ふ、次に両児ふたごの島を生み亦の名を天両屋あまのふたやと謂ふ

その後、イザナギとイザナミが再び地上に降りて、まず吉備児島(きびのこじま)を生み、次に小豆島(あずきしま)を生み、次に大島(おおしま)を生み、次に女島(ひめしま)を生み、次に知訶島(ちかのしま)を生み、最後に両児島(ふたごのしま)を生みました。

神々の生成

既に国を生みしをへ更に神を生みき、故生みし神の名は大事忍男おほごとおしをの神、次に石土毘古いはつちびこの神を生みき、次に石巣比賣いはすひめの神を生みき、次に大戸日別おほとひわけの神を生みき、次に天之吹上男あめのふきあけをの神を生みき、次に大屋毘古おほやびこの神を生みき、次に風木津別之忍男かざもつわけのおしをの神を生みき、次に海の神を生みき、名を大綿津見おほわたつみの神、次に水戸みなとの神を生みき、名は速秋津日子はやあきつひこの神、次に妹速秋津比賣はやあきつひめの神

国々を生み終えたあと、二柱の神はさらに多くの神々を生みました。
大事忍男神(おおごとのおしおのかみ)、石土毘古神(いわつちびこのかみ)、石巣比売神(いわすひめのかみ)、大戸日別神(おおとのひわけのかみ)、天之吹上男神(あめのふきあげおのかみ)、大屋毘古神(おおやびこのかみ)、風木津別之忍男神(かざもつわけのおしおのかみ)、海神(わたつみのかみ)、名を大綿津見神(おおわたつみのかみ)、水戸神(みなとのかみ)、名を速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)、その対をなす速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)などです。

此の速秋津日子はやあきつひこ速秋津比賣はやあきつひめの二柱の神、河海に因り持ち別けてしかるに神名は沫那芸あはなぎの神、次に沫那美あはなみの神、次に頰那芸つらなぎの神、次に頰那美つらなみの神、次に天之水分あめのみくまりの神、次に国之水分くにのみくまりの神、次に天之久比奢母智あめのくひざもちの神、次に国の久比奢母智くひざもちの神を生みき

この速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)の二柱の神は、川や海の流れに基づいて、さらに以下の神々を生んだ。
沫那藝神(あわなぎのかみ)、沫那美神(あわなみのかみ)、頰那藝神(つらなぎのかみ)、頰那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)、國之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)、國之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)などです。

次に風の神を生み名を志那都比古しなつひこの神、次に木の神を生み名は久久能智くくのちの神、次に山の神を生み名は大山津見おほやまつみの神、次に野の神を生み名は鹿屋野比賣かやのひめの神、またの名を野椎のづちの神

次に風の神である志那都比古神(しなつひこのかみ)、次に木の神である久久能智神(くくのちのかみ)、次に山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)、次に野の神である鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)を生みました。この神は別名を野椎神(のづちのかみ)といいます。

此の大山津見おほやまつみ神野椎のづちの神の二柱の神、山野やまのに因り持ち別けて、しかるに生みし神の名は天之狹土あめのさつちの神、次に国之狹土くにのさつちの神、次に天之狹霧あめのさぎりの神、次に国之狹霧くにのさぎりの神、次に天之闇戸あめのくらどの神、次に国之闇戸くにのくらどの神、次に大戸惑子おほとまとひこの神、次に大戸惑女おほとまとひめの神

この大山津見神と野椎神の二柱の神は、山と野を司っていたため、それぞれ関係する神々を生みました。
まず、天之狭土神(あまのさづちのかみ)、次に国之狭土神(くにのさづちのかみ)、次に天之狭霧神(あまのさぎりのかみ)、次に国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)、次に天之闇戸神(あまのくらどのかみ)、次に国之闇戸神(くにのくらどのかみ)、次に大戸惑子神(おおとのまどいこかみ)、次に大戸惑女神(おおとのまどいめのかみ)を生みました。

次に生みし神の名は鳥之石楠船とりのいはくすふねの神、またの名は天鳥船あまのとりふねふ、次に大宜都比賣おほげつひめの神を生みき、次に火之夜芸速男ひのやげはやをの神を生み、亦の名を火之炫毘古ひのかがびこの神と謂ひ、亦の名を火之迦具土ひのかぐつちの神と謂ふ、此の子を生みしに因りて美蕃登みほとやかれて、しかるに病みしたり在り、多具理邇たぐりに生みし神の名は金山毘古かなやまびこの神、次に金山毘賣かなやまびめの神

次に生まれた神は鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)、別名を天鳥船(あめのとりふね)、続いて大宜都比売神(おおげつひめのかみ)、さらに火之夜芸速男神(ひのやぎはやおのかみ)、別名を火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)、またの名を火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生みました。
しかしこの火の神を出産した際に、イザナミの身体は火で焼かれ、重病になり床に伏してしまいました。その際に排泄されたもので以下の神々が生まれました。
金山毘古神(かなやまびこのかみ)、金山毘売神(かなやまびめのかみ)、

次にくそおいて成りし神の名は波邇夜須毘古はにやすびこの神、次に波邇夜須毘賣はにやすびめの神、次に尿ゆまりに於て成りし神の名は弥都波能売みつはのめの神、次に和久産巣日わくむすびの神、此の神の子豊宇気毘賣とようけびめの神とふ、故伊邪那美いざなみの神は火の神を生むに因りて、遂に神避かむさしき也、

波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)、波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ)、弥都波能売神(みづはのめのかみ)、和久産巣日神(わくむすひのかみ)、この神の子が、豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)です。
このようにして、イザナミは、火の神を生んだことによって亡くなってしまいました。

およ伊邪那岐いざなぎ伊邪那美いざなみ二神共に生みし所島は壹拾肆島とをつしまあまりよつしま神は参拾伍神みそはしらあまりいつはしらのかみ

おおよそイザナギとイザナミの二柱の神が、共に生んだ島は十四島、神は三十五柱です。

火神被殺

故爾しかるゆえ伊邪那岐命いざなぎみことらさく、之のうつくし我が那邇妹なにもの命かな、子の一木ひとつきふとかなすなはち御枕の方に匍匐ひ、御足の方に匍匐ひて、すなはきたる時、御涙す所に於おいて、神成り香山かぐやま畝尾うねびの木のもとし名は、泣沢女なきさわめの神、故其の神避かむさりし所の伊邪那美いざなみの神は、出雲国いずものくに伯伎国ほうきのくにとをさか比婆之ひばの山にはぶる也

そこでイザナギは言いました。「ああ、私の愛しい妻よ」と嘆き、「まるで子を交換してしまった木のようだ」と悲しみ、御枕元に這い寄り、御足元にも這い寄って泣きました。
その涙が落ちたところに、神が生まれました。香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木の根元にいる泣沢女神(なきさわめのかみ)です。
そして、死んだイザナミは、出雲国と伯伎国の境にある比婆之山(ひばのやま)に葬られました。

於是こにおい伊邪那岐命いざなぎのみこと所、御佩みはかし十拳とつかの剣を抜きて、其の子迦具土かぐつちの神のくびを斬りたまひき、ここに其の御刀みたちの前の血を著して、湯津石村ゆついはむら走就たばしりて所成れる神の名は石拆いはさくの神、次に根拆ねさくの神次に石筒之男いはつつのをの神といふ、次に御刀のもとの血を著して、また湯津石村ゆついわむら走就たばしりて所成れる神の名は甕速日みかはやひの神、次に樋速日ひはやひの神、次に建御雷之男たけみかつのをの神、亦の名を建布都たけふつの神、亦の名を豊布都とよふつの神といふ

そこでイザナギは、身に帯びていた十拳(とつか)の剣を抜いて、火の神・迦具土神(かぐつち)の首を斬りました。そのとき、剣の先についた血が湯津石村(ゆついわむら)に飛び散り、そこから生まれた神は、石拆神(いわさくのかみ)、根拆神(ねさくのかみ)、石筒之男神(いわつつのおのかみ)の三柱です。
次に、剣の根元についた血も同じく湯津石村に飛び散って、そこから生まれた神は、甕速日神(みかはやひのかみ)、樋速日神(ひはやひのかみ)、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、別名は建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ))の三柱です。

次に御刀の手上たがみに集まりて血手俣たなまたり漏出て所成れる神の名は闇淤加美くらおかみの神、次に闇御津羽くらみつはの神といふ、かみつ件石拆いはさくの神以下しもつかた闇御津羽くらみつはの神の以前并さきつかたあはせて八柱の神は御刀に因りて神れし所の者也

さらに、剣を持っていた手元から漏れ出た血からは、闇淤加美神(くらおかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)の二柱の神が生まれました。
上に述べた八柱の神々は、いずれも剣(みはかせる御刀)から生まれた神々である。

所殺さえし迦具土かぐつちの神のかしらおいて、所成れる神の名は正鹿山津見まさかやまつみの神、次に胸に於て所成れる神の名は淤縢山津見おどやまつみの神、次に腹に於て所成れる神の名は奧山津見おくやまつみの神、次にほとに於て所成れる神の名は闇山津見くらやまつみの神、次に左手に於て所成れる神の名は志芸山津見しぎやまつみの神、次に右手に於て所成れる神の名は羽山津見はやまつみの神、次に左足に於て所成れる神の名は原山津見はらやまつみの神、次に右足に於て所成れる神の名は戸山津見とやまつみの神とふ、かれ所斬らえしの刀の名は天之尾羽張あまのおはばりと謂ひて、またの名は伊都之尾羽張いつのおはばりと謂ふ

迦具土神(かぐつちのかみ)を斬ったとき、その体から次のような神々が生まれました。
頭から生まれた神は正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、胸から生まれた神は淤縢山津見神(おどやまつみのかみ)、腹から生まれた神は奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰部から生まれた神は闇山津見神(くらやまつみのかみ)、左手から生まれた神は志藝山津見神(しぎやまつみのかみ)、右手から生まれた神は羽山津見神(はやまつみのかみ)、左足から生まれた神は原山津見神(はらやまつみのかみ)、右足から生まれた神は戸山津見神(とやまつみのかみ)、このとき迦具土神を斬った剣の名は天之尾羽張(あめのおはばり)といい、またの名を伊都之尾羽張(いつのおはばり)といいます。

黄泉の国

於是こにおいて其のいも伊邪那美命いざなみのみこと相見あいみむと欲して追ひて黃泉よもつ国に往きたまひき、ここに殿のあげ戸より出て向ひしの時、伊邪那岐命いざなぎのみこと語りて詔はくの愛し我那邇妹命なにものみことよ、吾と汝との作りし所の国は未だ作りへざりき、故還るし爾に伊邪那美命いざなみのみこと答へてまおさく、悔ゆるや不速来はやくきまさず吾は黃泉戸らひをき然れどもうるはし我が那勢命なせみこと入り来しし之事恐かしこみまつる、故還りたまひてまた黃泉よもつ神と相論あひときたまはむと欲す、我を視るなかれ此のまおせし如し、すなはち其の殿の内にかへり入りしの間はなはだ久しかりて待ち難し、故左之御美豆良さのみみみづらに刺したる湯津津間ゆつつま櫛の男柱をばしら一箇ひとつ取りけて、しかるに一つ火をもしたまひき

こうして、愛しいイザナミに会いたくて、イザナギは黄泉の国まで追いかけて行きました。御殿の戸の前まで来たとき、イザナギは言いました。
「愛しいイザナミよ、私たちが作り始めたこの国は、まだ完成していない。だから、どうか戻ってきてくれ」
それに対して、イザナミは答えました。
「なんと悔しいことでしょう。あなたがもう少し早く来てくだされば。けれども、私はすでに黄泉の食べ物を食べてしまいました。だから、もうこの世界には戻れません。愛しいあなたがここに来てしまったことが、私はとても恐ろしいのです。それでも戻りたいので、これから黄泉の神々に相談してきます。ですから、決して私の姿を見ないでください」
こう言い残して、イザナミは殿の中に戻りました。けれども、あまりにも長く待たされたために、イザナギは我慢できず、左の髪に刺していた櫛(くし)を一本折り、その先に火を灯して中を覗き見ました。

入りたまひししの時宇士多加礼許呂呂岐弖うじたかれころろぎてかしらに於ては大雷おほいかづち居りて、胸に於ては火雷ほのいかづち居りて腹に於ては黒雷くろいかづち居りて、ほとに於ては拆雷さくいかづち居りて、左手に於ては若雷わかいかづち居りて、右手に於ては土雷つちいかづち居りて、左足に於ては鳴雷なるいかづち居りて、右足に於ては伏雷ふすいかづち居りて、あはせ八雷やいかずちの神成居りき

するとそこに現れたイザナミの姿は、頭には 大雷神(おおいかづちのかみ)、胸には 火雷神(ほのいかづちのかみ)、腹には 黒雷神(くろいかづちのかみ)、陰部には 裂雷神(さくいかづちのかみ)、左手には 若雷神(わかいかづちのかみ)、右手には 土雷神(つちいかづちのかみ)、左足には 鳴雷神(なるいかづちのかみ)、右足には 伏雷神(ふしいかづちのかみ)と、八柱の雷神たちがイザナミの体に宿っていました。

於是いて伊邪那岐命いざなぎみこと見して畏りて、而るに逃げ還りたまひしの時、其の妹伊邪那美命いざなみみこと言ひしく、吾に辱しけるを見令みしむといひき

こうしてイザナギはイザナミの恐ろしい姿を見て、恐れおののきながら逃げ帰ろうとしました。そのとき、イザナミは怒って言いました。
「私の姿を見て、恥をかかせたわね」

即ち予母都志許売よもつしこめを遣し追はむ、ここ伊邪那岐命いざなぎみこと黒御縵くろみかづらを取りて投げ棄ち、乃ち蒲子えびかづら生ひ、是れをひろみしの間に逃げ行きき。なほ追ひて、また其の右の御美豆良みみづらに刺ししの湯津津間櫛ゆつつまぐし引きき、しかるに投げ棄ち、すなはたかむなひ、是れを抜きみしの間に逃げ行きき

そこで、豫母都志許賣(よもつしこめ)という黄泉の醜い女たちに命じて、イザナギを追わせました。それを見たイザナギは、持っていた黒い髪飾りを取って投げ捨てました。すると、そこから野生の葡萄(蒲子)が生えてきました。追っ手たちはそれを食べている間に、イザナギはさらに逃げました。
それでも追ってくるので、今度は右の髪のもとに挿していた櫛(湯津津間櫛)を一本折って投げました。すると、そこからタケノコ(笋)が生えてきました。追っ手たちはそれを食べている間に、イザナギはさらに逃げて行きました。

また後は其の八柱のいかづちの神に於て、千五百ちあまりいほつ黄泉よもつ軍をへて追はめき、ここ御佩みはかしの所の十拳剣とつかつるぎを抜きて、而に後手しりへてに於て布伎都都ふきつつ逃げ来たり、なほ追ひて黄泉比良よもつひら坂の坂本に到りし時、其の坂本に在りし桃子ももこ三箇を取りたまひて、待ちて撃てばことごとく逃げに迯げき也

その後、八柱の雷神たちに加え、黄泉の軍勢千五百人を従えてイザナギを追わせました。そこでイザナギは、自ら佩いていた十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜き、背後を振り返りながら必死に逃げました。
それでもなお追ってくるので、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂のふもとまで逃げてきたとき、坂の下に生えていた桃の実を三つ取って、追ってくる者たちに向かって投げつけました。すると、敵はみな逃げ返っていきました。

ここ伊邪那岐命いざなぎみこと、其の桃子ももこのたまはく、汝吾を助くる如くして、葦原中国あしはらなかつくにに於て有る所の宇都志伎うつしき青人草あをひとくさの苦し瀬に落ちて、而にわづらひていきどほりし時、助く可しとのたまひて、名をり賜はり意富加牟豆美おほかむづみみことなづけたまひき

このとき、イザナギはその桃に向かって言いました。
「おまえが私を助けてくれたように、将来、地上の世界にいる人間たちが、困難や悩みに直面して苦しんでいるとき、ぜひ助けておくれ」
そう言って、桃に意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)という神名を与えました。

最も後其のいも伊邪那美命いざなみのみことの身自ら追ひ来たり、いずくんぞここ千引ちびきいはを引きて、其の黄泉比良坂よもつひらさかきたまひき、其のいはを中に置きておのもおのもむかひ立ちて、而に事戸ことどわたせしの時、伊邪那美命いざなみみこと言したまひしく、愛くし我が那勢命なせのみことよ、此の如くたまへば汝の国の人草ひとくさを一日に千頭ちがしら絞め殺しまつらむ、爾に伊邪那岐命いざなぎみこと詔はく、愛し我が那邇妹命なにものみことよ、汝が然為しかしたまへば吾は一日に千五百産屋ちうぶやあまりいほうぶやを立たしたまはむ

最後にイザミニは自らイザナギを追ってきました。そこでイザナギは千人がかりで動かすような大岩(千引石)を引き寄せて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の道を塞ぎました。
その石を挟んで、二人は向かい合って立ち、言葉を交わしました。イザナミは言いました。
「ああ、愛しい我が夫よ、あなたがこんな仕打ちをするのなら、あなたの国の人間たちを、一日に千人ずつ死なせましょう」
それに対してイザナギは言いました。
「ああ、愛しい我が妻よ、もしおまえがそうするならば、わたしは一日に千五百の産屋(出産の家)を建てよう」

是以こをもちて一日必ず千人死にし一日必ず千五百人生まる也、故其の伊邪那美命いざなみのみことを号け黄泉津大神よもつおほかみと謂ひて、また其の追ひ斯伎斯しきしちて云ひて、しかるに道敷大神ちしきのおほかみと号く、亦其の所かえし黄泉坂よもつさかの石をば道反大神ちがへしのおほかみなづけ、亦塞坐黄泉戸大神さやりますよみとのおほかみと謂ふ、故其の所謂いはゆる黄泉比良坂よもつひらさかは今に出雲国いづものくに伊賦夜坂いふやさかと謂ふ也

このため、一日に千人が死に、千五百人が生まれるという世の理(ことわり)が生まれたのです。そのため、イザナミは黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ばれました。また、追いかけてきた神であることから道敷大神(みちしきのおおかみ)とも呼ばれます。
また、黄泉の坂を塞いだその大きな石は道返大神(ちがえしのおおかみ)または塞坐黄泉戸大神(さえますよもつどのおおかみ)とも呼ばれます。この黄泉比良坂(よもつひらさか)という場所は、現在の出雲国の伊賦夜坂(いふやざか)と言われています。

穢と神々の化生

是以こをもち伊邪那伎大神いざなぎのおほみかみ詔はく、吾は伊那志許米志許米岐いなしこめしこめききたなき国に到りて、すなはち在り祁理けり、故吾は御身おほみみそぎむとのたまひて、しかるに竺紫ちくし日向ひむかたちばな小門をど阿波岐あはき原にて、而るにみそはらひ也

こうして、イザナギは言いました。
「私は今、伊那志許米(いなしこめ)という穢れた国(黄泉の国)に行ってしまった。だからこそ、自分の身を清めるために禊(みそぎ)をしよう」
そして、筑紫の日向(つくしのひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)という場所に到り、身体を水で清めました。

かれ御杖を投げちし所において成れる神の名は衝立船戸つきたつふなとの神、次に御帯を投げ棄ちし所に於て成れる神の名は道之長乳歯みちのながちはの神、次に御嚢みふくろを投げ棄ちし所に於て成れる神の名は時量師ときはからしの神、次に御衣を投げ棄ちし所に於て成れる神の名は和豆良比能宇斯能わづらひのうしの神、次に御褌みはかまを投げ棄ちし所に於て成れる神の名は道俣ちまたの神次に御冠みかがふりを投げ棄ちし所に於て成れる神の名は飽咋之宇斯能あきぐひのうしの

そこで、イザナギが禊をした際に、身につけていたものを一つずつ投げ捨てたところ、それぞれから神々が生まれました。
御杖(みつえ)を投げ捨てたところに生まれた神の名は衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、帯(おび)を捨てたところに生まれた神は道之長乳齒神(みちのながちはのかみ)、
嚢(ふくろ)を捨てたところに生まれた神は時量師神(ときはかしのかみ)、衣(ころも)を捨てたところに生まれた神は和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)、褌(ふんどし)を捨てたところに生まれた神は道俣神(ちまたのかみ)、冠(かんむり)を捨てたところに生まれた神は飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)です。

次に左の御手の手纒たまきを投げ棄ちし所に於て成れる神の名は奧疎おきざかるの神、
次に奧津那芸佐毘古おきつなぎさびこの神、次に奧津甲斐弁羅おきつかひべらの神、次に右の御手の手纒たまきを投げ棄ちし所に於て成れる神の名は辺疎へざかる
の神、次に辺津那芸佐毘古へつなぎさびこの神、次に辺津甲斐弁羅へつかひべらの神といふ

左手の手纒(てまき)を捨てたところに生まれた神は、奥疎神(おきざかるのかみ)、次に奥津那藝佐毘古神(おくつなぎさびこのかみ)、その次に奥津甲斐辨羅神(おくつかいべらのかみ)です。
右手の手纒を捨てたところに生まれた神は、辺疎神(へざかるのかみ)、次に辺津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、その次に辺津甲斐辨羅神(へつかいべらのかみ)です。

右の件船戸ふなとの神以下しもつかた辺津甲斐弁羅へつかひべらの神の以前さきつかた、十二神は身にけしの物を脱きし所に因りてりましき神也

右に述べた十二柱の神々は、すべてイザナギが身に着けていた物を脱ぎ捨てたことによって生まれた神々である。

於是ここにおいのたまはく、上瀬かみつせは瀬下瀬しもつせは瀬よわし、しかるに初めて中瀬なかつせおいて墮り迦豆伎かづき、而にすすぎましし時、成りさえし所の神の名は八十禍津日やそまかつひの神、次に大禍津日おほまかつひの神此の二神は其の穢繁きたなき国に到りましし所の時、汚き垢に因りて而に神に成りまさえし所の者也、次に其のまがを直して而に成りまさえし所神の名は神直毘かむなほびの神、次に大直毘おほなほびの神、次に伊豆能売いづのめ

イザナギは言った。
「上流の瀬は流れが速く、下流の瀬は流れが緩やかだ」
そして、最初に中流の瀬で禊をして身を清めるため川に入ったときに生まれた神は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おおまがつひのかみ)です。この二柱の神は、伊邪那岐命が黄泉の国という穢れに満ちた地に行ったことで、その穢れから生じた神々です。
次に、これらの禍(わざわい)を正すために生まれた神々は、神直毘神(かむなおびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能売神(いずのめのかみ)です。

次に水底においすすぎましし時、成りまさえし所の神の名は底津綿津見そこつわたつみの神、次に底筒之男命そこつつのをのみこと中に於てすすぎましし時成りまさえし所の神の名は中津綿津見なかつわたつみの神、次に中筒之男命なかつつのをのみこと水上みなかみに於てすすぎましし時成りまさえし所の神は上津綿津見うはつわたつみの神、次に上筒之男うはつつのを

さらに、川の底で禊をしたときに生まれた神は、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、底筒之男命(そこつつのおのみこと)です。
次に、川の中ほどで禊をしたときに生まれた神は、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)です。
最後に、川の上流で禊をしたときに生まれた神は、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、上筒之男命(うわつつのおのみこと)です。

此の三柱の綿津見わたつみの神は阿曇連あづみのむらじ等の祖神おやがみなりてちて伊都久いつく神也、 故阿曇連あづみのむらじ等は其の綿津見わたつみの神の子、宇都志日金拆命うつしひかなさくのみこと子孫あなすえ也、其の底筒之男命そこつつのをのみこと中筒之男命なかつつのをのみこと上筒之男命うはつつのをのみこと三柱の神は墨江之三前大神すみえのみまえのおほかみ

この三柱の綿津見神は、阿曇連(あづみのむらじ)たちの祖先神であり、伊都久神(いづくのかみ)として祀られています。
したがって、阿曇連たちは、その綿津見神の子であり、宇都志日金拆命(うつしひかなさくのみこと)の子孫です。
また、底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前大神(みまえのおおかみ)として信仰されています。

於是ここにおいて左の御目みめを洗ひましし時成りまさえし所の神の名は天照大御神あまてらすおほみかみ、次に右の御目みめを洗ひましし時、成りまさえし所の神の名は月読命つくよみのみこと、次に御鼻みはなを洗ひましし時、成りまさえし所の神の名は建速須佐之男命たけはやすさのをのみこと 

そして、イザナギが左の目を洗ったときに生まれた神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ、以下、アマテラス)、右の目を洗ったときに生まれた神の名は、月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗ったときに生まれた神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと、以下、スサノオ)です。

右のくだり、八十禍津日の神の以下、速須佐之男命はやすさのをみことの以前の十四柱の神は御身をすすぎましし所に因りりし者也

以上の十四柱の神々は、すべてイザナギが御身を清めたときに生まれた神々です。

三貴子の分治

此の時伊邪那伎命いざなぎみこと大いに歓喜びて詔はく、吾は子を生み生みて、しかるに生み終へるに於て、三柱の貴き子を得てあり、即ち其の御頸みくびの珠之の玉の緖母由良邇をもゆらに取り由良迦志ゆらかしめて、而に天照大御神あまてらすおほみかみに賜りて而に詔はく、之れ汝の命は高天原たかあまはらこれ知らしむ所事依ことよせ、而にたまひき也、故其の御頸みくびたまの名は御倉板挙みくらたなの神と

このとき、イザナギは大いに喜び、こう言った。
「私は子を生み終え、ついに三柱の尊い神々を得た」
そこで、自身の首飾りである玉の緒をゆらゆらと取り、アマテラスに授けて言いました。
「あなたは、高天原(神々の天上界)を治めなさい」
このように言って授け。その首飾りの名前を御倉板挙(みくらたなあげ)の神といいます。

次に月読命つくよみのみことのたまはく、汝のみことは夜の食をす国、これ知らしむ所事依ことよせたまひき也

次に、月読命に向かって言いました。
「あなたは、夜の食国(夜の世界)を治めなさい」
そして最後に、スサノオにはこう言いました。
「あなたは、海原(海の世界)を治めなさい」

次に建速須佐之男命たてはやすさのをのみことのたまはく、汝のみことは海原これ知らしむ所事依ことよせたまひき也、かれたまひしの命にしたがひて知らしむ所、之れをす中に速須佐之男命はやすさのをのみこと命せらるる所之れ国を不知しらしめざりて、しかる八拳やつか須心ひげむな前に于に至り伊佐知伎いさちき也、其の泣き状しは青き山枯る山の如く泣き枯れ河海はことごとく泣き乾き、是をちて悪しき神のこえ狭蝿さばへの如く皆満てりよろづの物のあやしさことごとく発ちき

こうして三柱の尊い神々が、与えられた役目に従ってその国を治めていた中で、スサノオだけは、与えられた国を治めず、手を握りしめるほどに心をかきむしり、激しく泣きわめいていた。その泣き方はあまりにも激しく、青々とした山々は枯れ山のようになり、川や海の水もすべて涸れ果てるほどだった。そのため、悪しき神々の気配はハエのように満ちあふれ、世の中のあらゆる災いや妖(あやかし)が次々と現れた。

伊邪那岐大御神いざなぎのおほみかみ詔はく、速須佐之男命はやすさのをのみこと何由なにゆえ汝をちて事依ことよせたまはゆ所の国を不治おさめざるや、而に伊佐知流爾いさちるに答へてまをししくやつかれははの国根之堅洲ねのかたす国にかへらむと欲する、故にのみ伊邪那岐大御神いざなぎのおほみかみ大いに忿怒いかりて詔はく、然者しかにあれば汝此の国に住まはじ乃ち神夜良比爾夜良比やらひにやらひ賜ひき也、故其の伊邪那岐大神いざなぎのおほみかみ淡海あふみの多賀にまします也

そこで、イザナギは、スサノオに問いただした。
「どうして、お前は自分に命じた国を治めず、そんなに泣き叫んでいるのだ」
するとスサノオは答えて言った。
「私は、母のいる根の国・黄泉の国へ行こうと思っているので、悲しくて泣いているのです」
これを聞いたイザナギは大いに怒りこう言った。
「そういうことなら、お前はもうこの国に住んではならぬ」
そして、スサノオを追放したのである。
その後、イザナギは、近江国(滋賀県)の多賀の地に鎮座した。

天照大神と須佐之男命

スサノオの昇天

故於是、速須佐之男命言「然者、請天照大御神、將罷」。乃參上天時、山川悉動、國土皆震。爾天照大御神、聞驚而詔「我那勢命之上來由者、必不善心。欲奪我國耳」。卽解御髮、纒御美豆羅而、乃於左右御美豆羅、亦於御𦆅、亦於左右御手、各纒持八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而曾毘良邇者、負千入之靫、比良邇者、附五百入之靫、亦所取佩伊都之竹鞆而、弓腹振立而、堅庭者、於向股蹈那豆美、如沫雪蹶散而、伊都之男建蹈建而待問「何故上來」

そこでスサノオは言いました。
「それならば、姉のアマテラスにお別れを告げて、天から去ろう」
天へと昇って行ったとき、山も川もことごとく揺れ動き、国土全体が震えました。これを聞いたアマテラスは驚き、不安を感じてこう言った。
「弟が天に上がってくるのは、善意からではない。私の国を奪おうとしているのだ」
するとアマテラスは、すぐさま髪をほどき、髪を左右に束ね、その束ねた髪や両腕などに、八尺の曲玉(まがたま)を五百個も連ねた美しい珠(たま)を巻きつけ、背には千本入りの矢を入れた靫(ゆぎ=矢筒)を背負い、腰には五百本入りの矢筒をつけ、腰には伊都之竹鞆(竹製の鞆)を着け、弓の弦を鳴らして構えました。
そして、堅く整った庭に立ち、足を力強く踏み鳴らし、泡雪が弾け飛ぶように白く飛び散り、堂々たる男神のように凛々しく構えて、スサノオに問いかけた。
「何のために天に上って来たのですか」

爾速須佐之男命答白「僕者無邪心、唯大御神之命以、問賜僕之哭伊佐知流之事。故、白都良久、僕欲往妣國以哭。爾大御神詔、汝者不可在此國而、神夜良比夜良比賜。故、以爲請將罷往之狀、參上耳。無異心」。爾天照大御神詔「然者、汝心之淸明、何以知」。於是、速須佐之男命答白「各宇氣比而生子」

スサノオはこう答えた。
「私は邪(よこしま)な心など持っていません。ただ、アマテラスが私の泣いていた理由を尋ねたので、母の国である根の堅洲国(ねのかたすくに)へ行きたくて泣いていたと答えたのです。それに対してアマテラスは、あなたはこの国にいてはならないと言い、私を追放したので、私は天から退こうとする前に、その挨拶のために天に参上したのです。他意はありません」
すると、アマテラスは言いました。
「では、あなたの心が清く澄んでいるということを、どうやって確かめればよいのか」
それに対してスサノオは答えました。
「それならば、お互いに誓約(うけい)の子を生んで、心の潔白を証明しましょう」

天の安の河の誓約

故爾各中置天安河而、宇氣布時、天照大御神、先乞度建速須佐之男命所佩十拳劒、打折三段而、奴那登母母由良邇、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、多紀理毘賣命、亦御名、謂奧津嶋比賣命。次市寸嶋上比賣命、亦御名、謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命。

そこで、アマテラスとスサノオは、天の安河(あまのやすのかわ)の川の中に立ち、誓約を行いました。その際、アマテラスはまず、スサノオの佩いていた十拳(とつか)の剣をもらい受け、それを三つに折って、それを奴那登母母由良邇(ぬなとももゆらに)という方法で、天の真名井(聖なる井戸)で洗い清め、それを口に含んで吹き出すと、その吹き出した霧から、以下の三柱の女神が生まれました。
多紀理毘売命(たきりびめのみこと)、別名を奥津嶋比売命(おきつしまひめのみこと)、市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、別名を狭依毘売命(さよりびめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)

速須佐之男命、乞度天照大御神所纒左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而、奴那登母母由良爾、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纒右御美豆良之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天之菩卑能命。亦乞度所纒御𦆅之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天津日子根命。又乞度所纒左御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、活津日子根命。亦乞度所纒右御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、熊野久須毘命。幷五柱。

次に、スサノオは、アマテラスが身に着けていた装飾の玉(勾玉)をそれぞれ借り受け、神聖な井戸で洗い清め、息で吹き出すようにして霧とし、そこから神々を生みました。
まず、左の髪の飾り(御美豆良)に巻かれていた八尺の勾玉の珠から生まれたのが、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)
次に、右の髪の飾りに巻かれていた珠から、天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
次に、胸の飾り(御𦆅)に巻かれていた珠から、天津日子根命(あまつひこねのみこと)
次に、左手に巻かれていた珠から、活津日子根命(いくつひこねのみこと)
最後に、右手に巻かれていた珠から、熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
このようにして、五柱の神々がスサノオから生まれました。

於是天照大御神、告速須佐之男命「是後所生五柱男子者、物實因我物所成、故、自吾子也。先所生之三柱女子者、物實因汝物所成、故、乃汝子也。」如此詔別也。

そこでアマテラスは、スサノオに向かってこう言いました。
「今生まれた五柱の男神たちは、私の勾玉などから生まれたのだから、私の子です。それに対して、先に生まれた三柱の女神たちは、あなたの剣から生まれたのだから、あなたの子です」
このようにして、神々の親の帰属をはっきりと区別したのです。

故、其先所生之神、多紀理毘賣命者、坐胸形之奧津宮。次市寸嶋比賣命者、坐胸形之中津宮。次田寸津比賣命者、坐胸形之邊津宮。此三柱神者、胸形君等之以伊都久三前大神者也。故、此後所生五柱子之中、天菩比命之子、建比良鳥命、次天津日子根命者。

最初に生まれた神々のうち、多紀理毘売命(たきりびめのみこと)は、宗像(むなかた)の沖ノ島(奥津宮)にいます。
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)は、宗像の中津宮(大島)にいます。
田寸津比売命(たぎつひめのみこと)は、宗像の辺津宮(本土)にいます。
この三柱の女神は、胸形(宗像)氏が祀る宗像三女神(むなかたさんじょしん)であり、伊都久三前大神(いつくしまの おおかみ)として尊崇されています。
次に生まれた五柱の神のうちで、天菩比命(あめのほひのみこと)の子が、建比良鳥命(たけひらとりのみこと)です。
そして、天津日子根命(あまつひこねのみこと)が続きます。

爾速須佐之男命、白于天照大御神「我心淸明、故、我所生子、得手弱女。因此言者、自我勝」。云而、於勝佐備、離天照大御神之營田之阿、埋其溝、亦其於聞看大嘗之殿、屎麻理散。故、雖然爲、天照大御神者、登賀米受而告「如屎、醉而吐散登許曾、我那勢之命爲如此。又離田之阿・埋溝者、地矣阿多良斯登許曾、我那勢之命爲如此」。登詔雖直、猶其惡態不止而轉。天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時、穿其服屋之頂、逆剥天斑馬剥而、所墮入時、天服織女見驚而、於梭衝陰上而死。

そのとき、スサノオはアマテラスにこう言いました。
「私の心は真っ直ぐで潔白です。だから、私が生んだ子どもも、素直で優しい子でした。だから、私の勝ちです」
と勝ち誇り、アマテラスの神聖な田の畦を壊し、溝を埋め、さらには新穀の祭りの御殿に糞をまき散らすというような冒涜的な行為を行いました。アマテラスは、怒りを表には出さず、次のように静かに言いました。
「まるで酔っ払って吐いたようなことを、私の弟がやってしまった。田の畦を壊して溝を埋めるなんて、まるで土地を乱すようなことを。それも、私の弟がやったのです」
こう言って咎めないようにしていましたが、スサノオの乱暴はとどまらず、だんだんひどくなりました。
そしてついに、アマテラスが神聖な服を織らせていた斎服殿の屋根を破り、皮を裏返しに剥いだ天の斑馬を中へ投げ入れました。それを見た織り女は驚いて、織り機の梭(おさ)で陰部を突き、亡くなってしまったのです。

天の岩戸

故於是、天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理坐也。爾高天原皆暗、葦原中國悉闇、因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蠅那須滿、萬妖悉發。是以八百萬神、於天安之河原、神集集而、高御產巢日神之子・思金神令思而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而、科伊斯許理度賣命、令作鏡、科玉祖命、令作八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命・布刀玉命、而、內拔天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波、而、令占合麻迦那波而、天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而、 於上枝、取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡、於下枝、取垂白丹寸手・青丹寸手而、此種種物者、布刀玉命・布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言禱白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲𦆅天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而、於天之石屋戸伏汙氣蹈登杼呂許志、爲神懸而、掛出胸乳、裳緖忍垂於番登也。爾高天原動而、八百萬神共咲。

こうして、アマテラスはスサノオの乱暴を恐れて、天の岩戸に身を隠してしまいました。すると、高天原は真っ暗になり、地上の世界(葦原中国)もすべてが闇に包まれました。そのため、昼も夜もなく真っ暗な状態になってしまいました。この影響で、神々の声はうるさく飛び交い、世の中は災いに満ちてしまいました。
困った八百万の神々は、天の安河原(あまのやすかわら)に集まり、高御産巣日神の子の思金神(おもいかねのかみ)に知恵を求めました。まず、常世の長鳴鳥(永遠の国の鳴鳥)を鳴かせて光を呼ぶ儀式を行い、次に、天の安河の川上から堅い石を、天金山から鉄を集めて、鍛冶の神・天津麻羅を呼び、伊斯許理度売命(いしこりどめ)に鏡を作らせ、玉祖命には勾玉の玉(八尺瓊勾玉)を作らせました。
そして、天児屋命と布刀玉命を召して祝詞を唱えさせ、真男鹿の肩骨と、神木(天の波波)で占いをさせました。天香山の立派な賢木を掘り抜いて、上の枝に勾玉を、中の枝に鏡を、下の枝に白と青の布をそれぞれ垂らし、これらを神への捧げ物(幣)として、布刀玉命が持ちました。
次に、天児屋命が祝詞を捧げ、天手力男神(力の神)は、岩戸の横に隠れて準備しました。その間に、天宇受売命(あめのうずめのみこと、以下、ウズメ)は、手に神木を持ち、頭には花を飾り、手には笹の葉を結び、神聖な舞を踊り始めました。
そして、地面を踏み鳴らして、神がかりになり、胸をはだけ、裳の紐を陰部まで垂らして踊ったのです。これを見た神々は驚き、高天原中が笑いに包まれました。

於是天照大御神、以爲怪、細開天石屋戸而、內告者「因吾隱坐而、以爲天原自闇亦葦原中國皆闇矣、何由以、天宇受賣者爲樂、亦八百萬神諸咲」。爾天宇受賣白言「益汝命而貴神坐。故、歡喜咲樂」。如此言之間、天兒屋命・布刀玉命、指出其鏡、示奉天照大御神之時、天照大御神逾思奇而、稍自戸出而臨坐之時、其所隱立之天手力男神、取其御手引出、卽布刀玉命、以尻久米繩、控度其御後方白言「從此以內、不得還入」。故、天照大御神出坐之時、高天原及葦原中國、自得照明。

そのとき、アマテラスは不審に思い、天の岩戸を少しだけ開いて内側からこう問いかけました。
「わたしが岩戸にこもったせいで、天界も闇に包まれ、地上の世界もすべて暗くなっているはずなのに、なぜウズメは楽しそうに踊り、八百万の神々までも笑っているのか」
これに対して、ウズメは答えました。
「それは、あなたよりも尊い神が現れたのではないかと思ったからです。だから皆、うれしくて笑っているのです」
そう語っている間に、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)が、鏡を差し出してアマテラスに見せると、アマテラスはそれを不思議に思い、少し戸の外に身を乗り出しました。
その瞬間、岩戸のそばに隠れていた天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が、アマテラスの手を取って外に引き出し、すかさず布刀玉命が注連縄(しりくめなわ:結界の縄)を岩戸の入り口に張ってこう言いました。
「これより内には、もうお戻りになれません」
こうしてアマテラスが岩戸から出たことにより、天界も、地上の世界も、再び明るさを取り戻しました。

於是八百萬神共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦切鬚及手足爪令拔而、神夜良比夜良比岐。

そこで、八百万の神々は相談し、スサノオに対して、千座の置戸(ちくらのおきど)という罰を科し、その髭や手足の爪を切って抜き取り、神の世界から追放したのでした。

五穀の起源

又食物乞大氣津比賣神、爾大氣都比賣、自鼻口及尻、種種味物取出而、種種作具而進時、速須佐之男命、立伺其態、爲穢汚而奉進、乃殺其大宜津比賣神。故、所殺神於身生物者、於頭生蠶、於二目生稻種、於二耳生粟、於鼻生小豆、於陰生麥、於尻生大豆。故是神產巢日御祖命、令取茲、成種。

その後、スサノオは、大気津比売神(オオゲツヒメ)に食べ物を乞いました。すると、大気津比売神は、自分の鼻・口・尻からさまざまな食物を取り出し、それらを料理してスサノオに差し出しました。
ところが、スサノオはその様子を立ち見していて、穢れていると怒り、彼女を殺してしまったのです。しかし、殺された大気津比売神の体からは、様々な穀物や生き物が生まれました。
頭からは蚕(かいこ)が、両目からは稲の種が、両耳からは粟(あわ)が、鼻からは小豆(あずき)が、陰部からは麦が、尻からは大豆が生まれたのです。
これを見て、神産巣日御祖命(カミムスビノミオヤノミコト)がそれらを取り、五穀の種としました。

八岐大蛇

故、所避追而、降出雲國之肥上河上・名鳥髮地。此時箸從其河流下、於是須佐之男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、爾問賜之「汝等者誰」。故其老夫答言「僕者國神、大山上津見神之子焉、僕名謂足上名椎、妻名謂手上名椎、女名謂櫛名田比賣」。亦問「汝哭由者何」。答白言「我之女者、自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智毎年來喫、今其可來時、故泣」。爾問「其形如何」。答白「彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾而、見其腹者、悉常血爛也」

スサノオは追放されたのち、出雲国の肥(ひ)の川上、鳥髪(とりかみ)という地に降り立ちました。そのとき、川の上流から箸(はし)が流れてきたのを見て、スサノオは「これは上流に人が住んでいるに違いない」と思い、上流へと遡って行きました。
すると、老夫婦と、その間に座って泣いている少女がいました。スサノオが「あなたたちは誰ですか」と尋ねると、老父が答えました。
「私はこの国の神、大山津見神(おおやまつみのかみ)の子で、名を足名椎(あしなづち)、妻は手名椎(てなづち)、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といいます」
さらにスサノオが「なぜ泣いているのか?」と尋ねると、老父はこう答えました。
「私たちの娘は、もともと八人姉妹でした。しかし、高志(こし)国から来る八つの頭と八つの尾を持つ大蛇・八岐大蛇(やまたのおろち)が、毎年一人ずつ娘を食べに来るのです。今またその来る時期なのです。だから泣いているのです」
スサノオが「その八岐大蛇とは、どのような姿をしているのか」とさらに尋ねると、老父はこう答えました。
「その大蛇の目は真っ赤なほおずきのようで、一つの体に八つの頭と八つの尾があります。その体には苔や檜・榧(かや)の木が生え、谷八つ、尾根八つを覆うほど巨大です。腹を見ると、常に血でただれています」

爾速須佐之男命、詔其老夫「是汝之女者、奉於吾哉」。答白「恐不覺御名」。爾答詔「吾者天照大御神之伊呂勢者也、故今、自天降坐也」。爾足名椎手名椎神白「然坐者恐、立奉」。爾速須佐之男命、乃於湯津爪櫛取成其童女而、刺御美豆良、告其足名椎手名椎神「汝等、釀八鹽折之酒、亦作廻垣、於其垣作八門、毎門結八佐受岐、毎其佐受岐置酒船而、毎船盛其八鹽折酒而待」

するとスサノオは、その老夫婦に言いました。
「このお前たちの娘を、私に授けてくれないか」
老父は答えました。
「恐れながら、あなた様のお名前を存じません」
スサノオは答えて言いました。
「私はアマテラスの弟である。それゆえ、今、天から降りてきたのだ」
すると足名椎・手名椎の二神は申し上げました。
「そのような尊いお方であれば、恐れ多くも、ぜひとも娘を差し上げます」
そこでスサノオは、櫛(くし)として身につける霊力を持つ湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を取り、娘をその櫛に変えて、自分の髪の御美豆良(みづら)に挿しました。そして足名椎・手名椎の二神に命じました。
「お前たちは、八度醸した強い酒(八塩折の酒)を用意し、垣(かきね)をめぐらせよ。その垣には八つの門を作り、各門に八つの酒樽(さかき)を備えよ。その酒樽ごとに、八塩折の酒を満たして、ヤマタノオロチを待ち伏せるのだ」

故、隨告而如此設備待之時、其八俣遠呂智、信如言來、乃毎船垂入己頭飮其酒、於是飮醉留伏寢。爾速須佐之男命、拔其所御佩之十拳劒、切散其蛇者、肥河變血而流。故、切其中尾時、御刀之刄毀、爾思怪以御刀之前、刺割而見者、在都牟刈之大刀、故取此大刀、思異物而、白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也。

こうしてスサノオは、老夫婦に命じた通りに設備を整え、待ち伏せていると、八岐大蛇がやってきました。そして、各々の酒樽に八つの頭を垂らして、酒を飲み、酔い、そこに伏して眠ってしまったのです。
そのとき、スサノオノミコトは、自ら佩いていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、八岐大蛇を切り裂いていきました。すると、肥河(ひのかわ)は蛇の血で真っ赤に染まり、流れ変わるほどでした。
やがて、尾の一つを斬ろうとしたとき、剣の刃が欠けてしまったのです。不思議に思い、その尾をさらに細かく裂いて見てみると、中から一振りの都牟刈の大刀が現れました。
この剣は、ただのものではないと思い、スサノオはアマテラスに献上しました。この剣こそが、後に草那藝之大刀(くさなぎのたち)と呼ばれる神剣です。

故是以、其速須佐之男命、宮可造作之地、求出雲國、爾到坐須賀、地而詔之「吾來此地、我御心須賀須賀斯而。」其地作宮坐、故其地者於今云須賀也。茲大神、初作須賀宮之時、自其地雲立騰、爾作御歌、其歌曰、

そこで、スサノオは、宮(みや)を建てるのにふさわしい場所を求めて出雲の国を探し歩き、
やがて須賀(すが)という地にたどり着きました。スサノオはこう言いました。
「私はこの地に来て、心がすがすがしく落ち着いた」
この言葉に因んで、その地は今でも「須賀」と呼ばれているのです。
このスサノオの大神が、最初に須賀宮を造られたとき、その地から雲が立ち上るのを見て、御歌(うた)を詠まれました。

夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁

幾重にも雲が立ちのぼる出雲の国に、妻を迎えるために八重の垣根を作る。その八重垣こそ、我が愛しの妻のための垣根である。

於是喚其足名椎神、告言「汝者、任我宮之首。」且負名號稻田宮主須賀之八耳神。

そこでスサノオは、足名椎の神を呼び寄せて、こう告げました。
「あなたを私の宮の長に任命します」
そして、名を稲田宮主須賀の八耳神(いなだのみやぬし すがのやつみみのかみ)と授けました。

故、其櫛名田比賣以、久美度邇起而、所生神名、謂八嶋士奴美神。又娶大山津見神之女、名神大市比賣、生子、大年神、次宇迦之御魂神。

そして、スサノオは櫛名田比売と長く夫婦として暮らし、生まれた神の名は八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)といいます。
また、山の神である大山津見神の娘の神大市比売(かむおおいちひめ)を妻として娶り、その間に生まれた子は大年神(おおとしのかみ)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

兄八嶋士奴美神、娶大山津見神之女・名木花知流比賣、生子、布波能母遲久奴須奴神。此神、娶淤迦美神之女・名日河比賣、生子、深淵之水夜禮花神。此神、娶天之都度閇知泥上神生子、淤美豆奴神。此神、娶布怒豆怒神之女・名布帝耳上神生子、天之冬衣神。此神、娶刺國大上神之女・名刺國若比賣、生子、大國主神・亦名謂大穴牟遲神・亦名謂葦原色許男神・亦名謂八千矛神・亦名謂宇都志國玉神、幷有五名。

兄・八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ)は、大山津見神の娘である木花知流比売(このはなちるひめ)を妻とし、子として布波能母遅久奴須奴神(ふはのもちくぬすぬのかみ)をもうけました。
この神は、淤迦美神(おかみのかみ)の娘・日河比売(ひかわひめ)を妻とし、子として深淵之水夜礼花神(ふかぶちのみずやれはなのかみ)をもうけました。
この神は、天之都度閇知泥神(あめのつどへちぬのかみ)の娘を妻とし、子として淤美豆奴神(おみづぬのかみ)をもうけました。
この神は、布怒豆怒神(ふぬづぬのかみ)の娘・布帝耳神(ふてみみのかみ)を妻とし、子として天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)をもうけました。
この神は、刺国大神(さしくにのおおかみ)の娘・刺国若比売(さしくにわかひめ)を妻とし、子として、大国主神(おおくにぬしのかみ)をもうけました。
この大国主神には、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)などの別名があります。

 

古事記を読む(上巻4~6)
大國主神、因幡の白兎、根の国訪問、沼河比売への求婚、国造り、葦原中國の平定、国譲り、邇邇藝命、天孫の誕生、天孫降臨
古事記を読む(上巻7~中巻1)
海幸彦と山幸彦、海神の宮、神武天皇、綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇
宗教・思想
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