荘子とは
荘子(そうし)とは、紀元前4世紀頃(戦国時代)の中国の哲学者で、「荘子(そうじ)」の著者とされています。荘子の思想は、老子と合せて老荘思想と呼ばれています。
思想の特徴は、あるがままの無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うものです。老子は政治色が濃い姿勢が多々ありますが、荘子は俗世間を離れ、無為の世界に尊ぶ姿勢が強調されています。
逍遥遊篇 第一
北冥に魚あり。其の名を鯤と為す。鯤の大きさ其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為るとき其の名を鵬と為す。鵬の背、その幾千里なるを知らず。怒りて飛べば、その翼は垂天の雲の若し。是の鳥は、海の運くとき則ち将に南冥に徒らんとす。南冥とは天池なり。 |
北の果ての海に一匹の魚がおり、その名を鯤(こん)という。この魚がどれほど大きいのか、その大きさは何千里あるのか誰にも分からない。その魚が変化して鳥になると、その名を鵬(ほう)という。この鳥の背の広さもまた、何千里あるのか分からない。飛び立とうとする時には、その翼はまるで天を覆う雲のように広がる。この鳥は、海が荒れる頃になると、南の海へと移ろうとする。南の果ての海は、天の池と呼ばれる。
斉諧とは怪を志す者なり。諧の言に曰わく、鵬の南冥に徒るや、水に撃すること三千里、扶揺に搏きて上ること九万里、去るに六月の息を以てする者なりと。 |
斉諧(せいかい)は不可解なことを知っている者である。その者が言うには、「その鳥が南の果ての海に飛ぶとき、翼で海面を打つと三千里に渡って波立ち、翼を大きく羽ばたくと、九万里の高さまで舞い上がる。そして六月の風に乗って飛び去ってゆく」と。
野馬と塵埃や、生物の息を以て相吹くと、天の蒼蒼たるは、其れ正色なるか。其れ遠くして至極する所なければか。其の下を視るや、亦た是くの若くならんのみ。 |
陽炎や塵埃は、生き物の吐く息に吹かれて動いている。では、青々と広がるあの空は本当の色なのか。それとも遠く離れているからそう見えるのか。高い上空から下界を見下ろすと、やはり青く見えるであろうか。
且夫れ水の積むや厚からざれば、大舟を負するや力なし。杯水を幼堂の上に覆せば、則ち芥これが舟と為らんも、杯を置かば則ち膠せん。水浅くして舟大なればなり。風の積むや厚からざ、則ち其の大翼を負するや力なし。故に九万里にして、風斯ち下に在り、而る後乃今や風に培り、背に青天を負いて、之を夭閼する者なし。而る後今や将に南を図らんとす。 |
水が十分に深くなければ、大きな舟を浮かべることはできない。杯の水をくぼんだ床に溢すと、小さな塵は浮かぶことはできるが、杯をそこに置けば底が床についてしまう。水は浅く、舟(杯)が大きいからである。
風も十分に強くなければ、大きな翼を浮かべることはできない。九万里もの高さを昇ると、十分な風がその翼の下に集まるので、その風に乗って、青い空を背に、行く手を遮るものもなく、鵬は南の海へ渡ることができるのである。
蜩と学鳩と之を笑いて曰く、我決起して飛び、楡枋に止まるも、時に則いは至らずして地に控つのみ。奚を以て九万里に之きて南を図らんや。 |
蜩(ひぐらし)と小鳩は鵬を笑って言う、「我々は飛び上がり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の枝に止まるが、時にそこに至らず地面に落ちてしまう。どうして九万里もの上空に昇って、南の海を目指すことができようか」と。
莽蒼に適く者は、三食にして反りて腹なお果然たるも、百里に適く者は宿に糧を舂き、千里に適く者は三月糧を聚む。之の二虫又何をか知らん。小知は大知に及ばず。小年は大年に及ばず。 |
郊外の野原を行く者は、三食分の食事を持てば腹は満たされるが、百里の旅に出る者は、途中の宿で食料の準備をし、千里の旅に出る者は、三ヶ月掛けて食糧をあらかじめ蓄えておく必要がある。蜩や小鳩などの動物はどうしてこのことが分かろうか。小さな知恵は大いなる知恵には及ばず、短い寿命は長い寿命には及ばないのだ。
奚を以て其の然るを知るや。朝菌は晦朔を知らず、惠蛄は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に冥霊なる者あり、五百歳を以て春と為し五百歳を秋と為す。上古に大椿なる者あり、八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す。而るに彭祖は乃今久を以て特り聞こえ、衆人の之に匹ぶ、亦た悲しからずや。湯の棘に問えることも是れのみ。 |
どうしてそれを分かることができようか。朝菌(キノコ)は夜と明け方を知らず、夏蜩は春と秋を知らない。これが短い寿命の在り方である。楚の南に冥霊(めいれい)という霊獣がいるが、五百年間を春とし、五百年間を秋とするほどの長寿である。大昔には大椿(たいちん)という木があったが、八千年間を春とし、八千年間を秋とするほどの長寿であった。
ところが今や彭祖(ほうそ)が、長寿の者として知られ、人々はそれを比類なきものとして仰いでいる。なんと悲しいことか。殷の湯王が賢臣の棘(きょく)という者に問うても、これだけである。
窮髪の北に冥海ある者、天池なり。魚あり、其の広は数千里、未だ其の脩さを知る者あらず。其の名を鯤と為す。鳥あり、その名を鵬と為す。背は泰山の若く、翼は垂天の雲の若し。扶揺に搏ち羊角して上ること九万里、雲気を絶え青天を負うて然る後に南を図り、且に南冥に適かんとす。 |
遥かな北に冥海という海があるが、これは天の池と呼ばれている。そこに一匹の魚がおり、その幅は数千里に及ぶが、その長さを知る者はいない。その名を鯤(こん)という。そこには鳥もおり、その名を鵬(ほう)という。その背は泰山のように大きく、その翼は空に広がった雲のように大きい。
その鳥は大風に乗り、羽ばたくこと九万里を行き、雲を越えて青い空を進み、南の方を目指す。まさに南の海へ行こうとしている。
斥晏これを笑うて曰く、彼且に奚くに適かんとするや。我は騰踊して上るも数仞に過ぎずして下ち、蓬蒿の間に羽翔す、此れ亦飛ぶの至りなり。而るに彼且に奚くに適かんとするやと。此れ、小大との辯なり。 |
鶉(うずら)がこれを笑って言った、「あの鳥はどこに行こうとしているのか。私は飛び上がったが、僅かな高さでに上がるのがやっとで、草の茂みの中を飛び回っている。これも飛んでいることには変わりがないのに、あの鳥はどこに行くのか」と。これは、小さなものと大きなものとの違いである。
故に夫の知は、一官を効え、行は一郷を比い、徳は一君に合い、而は一国に徴ある者は、其の自ら視るも亦此くの若し。而して宋栄子は猶然として之を笑い、且世を挙げて之を誉むるも勧を加さず、世を挙げて之を非るも沮を加さず、内外の分を定め、栄辱の竟を辯ず。斯れのみ。 |
ある者の知識は一つの官職を務め、その行為は一つの郷村に及び、その徳は一人の君主に従い、その才能は一国に表れるほどであるが、その者が自分を見て満足するのは、うずらや小鳩のようなものである。
それでも、宋栄子(そうえいし)は彼らを冷笑する。世間が誉めてもそれに励むことはなく、世間が非難してもそれに落胆することはない。本質的なことと表面的なことを分け、栄誉と恥辱との違いを弁えている。これだけのことである。
彼其の世に於けるや未だ数々然たらず、然りと雖も猶お未だ樹たざるものあり。夫れ列子は風に御して行き、冷然として善し。旬有五日にして而る後反る。彼は福を致す者に於いて未だ数々然たらず、此れ行に免ると雖も、猶お待む所の者なり。若し夫れ天地の正に乗じて六気の辯に御し、以て無窮に遊ぶ者は、彼れ且たに悪をか待たんや。故に曰く、至人は己なく、神人は功なく、聖人は名なしと。 |
人が世の中において活躍する場合、様々なことを成しているが、とはいえ、それでもまだ成し遂げていないことがある。
列子は風に乗って行き、超然としてすばらしく、十五日経つと戻ってくる。彼は世俗的な幸福を求めることはしない。自分で歩くことの煩わしさから解放されているが、まだ風を頼みとしている。
もし天地の摂理に則って、自然の変化を御して、限りなく自由に振舞う者となると、その者は何を頼みとすることがあるろうか。そこで、「至人に私心はなく、神人は世俗の功を求めず、聖人は世俗の名誉を求めない」と言われる。
堯、天下を許由に譲りて曰く、日月出る而もに爵火息まず、其の光に於けるや亦た難からずや。時雨降るに猶お浸灌す、其の沢に於けるや亦に労ならずや。夫子立たば而ち天下治まる。而るに我れ酋れ之を尸る。吾れ自視るに欠然たり。請う天下を致さんと。 |
尭(ぎょう)が天下を許由(きょゆう)に譲って言った、「太陽や月が出て明るいときに、松明の火をつけてもその松明が輝くことは難しい。大雨が降っている時に、田んぼに更に水を注いでも無駄である。私が政(まつりごと)を行えば、天下は治まるであろうが、ただ監督しているに過ぎず、まだ欠けているところがあるように思う。だから、あなたが天下を治めてほしい」
許由曰く、子、天下を治めて天下既に治まれり。而るに我猶お子に代わる。吾将に名を為さんとするか。名は実の賓なり。吾将に賓の為にせんとするか。鷦鷯は深林に巣くうも一枝に過ぎず、偃鼠は河に飲むも腹を満たすに過ぎず。帰休せんかな君、予れは天下を用て為す所なし。庖人、庖を治めずと雖も、尸祝は樽俎を越いて之に代わらず。 |
許由(きょゆう)が答えて言った、「あなたは天下を治めて、よく治まっている。それなのに、私が代われば、私が名声を得ることになってしまう。名とは実の従者にすぎないのに、私はどうして従者のために動こうというのか」
「鷦鷯(みそさざい)は深い林に巣を作るが、ただ一本の枝で十分であり、偃鼠(むぐらもち)は大河の水を飲んでも、ただ自分の腹を満たすだけだ。だからあなたはもうお帰りください。私は天下のために何かをするつもりはない。料理人が料理を怠ろうとも、神主が樽や俎板を連れてきて、その代わりはできない」と。
肩吾、連叔に問うて曰く、吾言を接輿に聞くに、大にして当たらず、往きて反らず、吾驚き怖る。其の言は猶お河漢にて極まりなし。大いに逕庭有りて人情に近からずと。連叔曰く、其の言は何と謂へるやと。 |
肩吾(けんご)が連叔(れんしゅく)に問いかけて言った、「私が接輿(せつよ)から聞いた話は、大袈裟で現実的ではなく、口任せに言っている感じで、私は驚き恐れた。まるで天の川のように果てがなく、とても有りそうになく、人情からもかけ離れている」と。連叔は「それはどういった話だったのか」と尋ねた。
曰く、藐きか姑射の山に神人居り。肌膚は氷雪の若く卓約たること処子の若し。五穀を食らわず、風を吸い露を飲み、雲気に乗じ飛竜を御し、四海の外に遊ぶ。其の神凝れば、物を疵癘わざらしめ、年穀を熟せしむ。吾是れを以てに狂として信ぜずと。 |
肩吾は答えて言った、「遥か遠くにある姑射(こや)の山には神人が住んでいる。肌は雪のように白く、乙女のよう滑らかだそうだ。穀物は食べず、風を吸って露を飲み、雲に乗って飛竜を従わせ、悠々と四海の外を飛んでいる。神人が精神を集中させれば、万物は変化を遂げ、一年の実りも豊作となる。こんな話は狂人の言葉としか思えず、信じることができない」と。
連叔曰く、然り、瞽者は以て文章の観に与るすべなく、聾者は以て鍾鼓の声を与ることなし。豈に唯だ形骸にのみ聾盲あらんや、夫れ知にも亦これあり。是れ其の言や猶ほ時の女のごとき也。之の人や、之の徳や、将に万物を旁あつめて以て一と為さんや。 |
連叔が言った、「そのとおりだ。目が見えない者は文を読むことはできず、耳が聞こえない者は鍾鼓の音を聞くことができないが、それは肉体的な原因によるものだけではない。知識についても見えないし聞こえないというものがある。これは今の君のようなものだ。神人の徳は、万物を集めて一つに合わせようとする。
世は乱まるをもとむるも、孰か弊弊焉として天下を以て事と為さんや。之の人は物之を傷うことなし。大浸の天に稽るとも溺れず、大旱、金石の流れ土山焦くとも熱しとせず。是其の塵垢粃康も、将に猶お尭舜を陶鋳せんとする者なり。孰ぞ肯て物を以て事と為さんや。 |
世の中は秩序を求めているが、いったい誰が、天下を自分の仕事にしようとするだろうか。そのような人は、何ものからも害を受けない。天に届くような洪水でも溺れず、干ばつや金属や石が溶けるような熱でも火傷をしない。このような人は、塵や垢などの粕(かす)からでも、尭や舜を造り出すことができる。その人がどうして俗世の事物を自分の仕事にするだろうか」と。
宋人、章甫を資とし諸越に適く。越人は髪断文身にして之を用うる所なし。尭、天下の民を治め、海内の政を平めて、往きて四子を藐き姑射の山に見、汾水の陽にて目然として其の天下を喪れたり。 |
宋の人が章甫(しょうほ)の冠を仕入れて、越の国に売りに行ったが、越の人は髪を短く切って、入れ墨をしている人たちだったので、冠などは用いることはなかった。尭は天下の民を治めて、世の中の政治を安定させて、姑射の山で四人の神人に会ったが、汾水の北で彼らと語らううちに、すっかり心を奪われて天下を忘れてしまった。
恵子、荘子に謂いて曰く、魏王、我に大瓠の種を貽れり。我之を樹えて成り、而して五石を実たす。以て水漿を盛れば、其の堅くして自ら挙げるに能わず。之を剖きて以て瓢と為せば、則ち瓠落して容るる所なし。号然として大ならずは非ざるも、吾その無用である為に之を剖りぬ。 |
恵子が荘子に言った、「魏王が私に大きな瓢(ひょうたん)の種をくれた。私はこの種を植えると実を結んだが、その容量は五石(約百数十リットル)もあった。これに水を入れると重たすぎて持ち上げることができないし、これを割って柄杓(ひしゃく)にしても、平たい形なので水を入れることができない。確かに途方もなく大きいが、何の役にも立たないので壊してしまった」と。
荘子曰く、夫子は固より大を用うるに拙なり。宋人に善く不亀手の薬を為る者あり。世世絖をさらすを以て事と為す。客の之を聞き、其の方を百金に買わんと請う。族を聚めて謀りて曰く、我世世絖をさらすことを為すも、数金に過ぎず。今一朝にして技を百金とする、請う之を与えんと。 |
荘子が言った、「あなたは大きなものを扱うのが下手である。宋の人に手のあかぎれを治す薬を作る者がおり、綿を水でさらす仕事を代々していた者である。旅をしている男がこの話を聞いて、その綿の造り方を百金で売ってくれと言ってきたので、親族を集めて相談をした。私は代々綿をさらす仕事をしていたが、ただ数金が得られたにに過ぎなかった。それが一夜にしてこの技術が百金にもなるのだから、これを売ることにした」
客之を得て、以て呉王に説けり。越に難あり、呉王之をして将たらしむ。冬に越人と水戦し大いに越人を敗る。地を裂きて之を封ず。能く不亀手するは一なるに、或は以て封ぜられ、或はわたをさちすより免れざるは則ち用いる所の異なり。今、子に五石の瓠あり。何ぞこれ以て大樽を為して江湖に浮かべずして、其の瓠落として容るる所なきを憂うるや。則ち夫子には猶お蓬の心有りと。 |
旅の男はその作り方を教えられると、呉王に話した。やがて越と戦争が起こったので、呉王はこの男を将軍に任命した。冬に越と水上戦をした呉は、越を大いに打ち破ったので、呉王は土地を分かちて、旅の男を諸侯として封じた」
「手にあかぎれを作らない薬は同じなのに、旅の男は諸侯に封じられ、我々は綿さらしで終わってしまうのは、薬の用い方が異なるからである。今あなたは五石の大きさの瓢があるなら、これで大樽を造り、河や海に浮かべればよいのに、なぜ浅くて平たいことばかりを心配するのか。つまり、あなたの心は塞がっているのだ」と。
恵子、荘子に謂いて曰く、吾に大樹あり、人之を樗と謂う。其の大本は擁腫して縄墨に中らず、其の小枝は巻曲して規矩に中らず。之を塗に立つるも匠者顧みず。今、子の言は大にして無用、衆の同に去る所なりと。 |
恵子が荘子に言った、「私には大きな木があり、人は樗(おうち)と呼んでいるが、その幹はこぶだらけで材木にすることができず、その小枝も曲がっており定規にもならない。これを道端に置いても、大工は見向きもしない。今のあなたの話も壮大で役に立たないないから、人々はあなたの話に見向きもしないのだ」と。
荘子曰く、子は独れ狸せいを見ざるか。身を卑めて伏し、以て敖者を候い、東西に跳梁し、高下を避けず、機辟に中りて、罔罟に死す。今夫のり牛は、其の大なること垂天の雲の若し。此れ能く大なるも、而も鼠を執うること能わず。今、子に大樹ありて其の無用を患う。何ぞ之を無何有の郷、広漠の野に樹え、彷徨乎として其の側に無為にし、逍遥乎として其の下に寝臥せざる。斤斧に夭られず、物も害する者なし。用うべき所なくも、安ぞ困苦する所あらんやと。 |
荘子が言った、「あなたは狸(いたち)を見たことがないのか。狸は身を低くして隠れ、獰猛な獣をうまく避け、高い所でも低い所でも動く。しかし運が悪くて罠にかかれば、死ぬしかないのだ。あの黒牛は天に広がる雲のように大きいが、鼠を捕まえることはできない」
「今のあなたは、大木が役に立たないと憂えているが、それを何もない野原に植えて、その木の下で気ままに休息し、寝そべることをしないのか。そうすれば、斧や鉞(まさかり)で切られることもなく、何者にも害されない。役に立たなくても、どうしてそれを悩む必要があるのか」と。

