論語の話

/東洋の思想

論語とは

論語は、儒教の始祖である孔子の言行録です。孔子の弟子により書き留められ、編纂されました。内容が簡潔であるため、儒教の入門書として広く普及しており、朱子学の四書の1つとしても数えられています。

論語のことわざ

学而第一
いわく、まなびてときこれならう、よろこばしからずや。ともり、遠方えんぽうよりたる、たのしからずや。

知識を学びそれを実践する、何と楽しいことか。友人が遠くから訪ねてくる、何と楽しいことか。

ひとりや、孝弟こうていにしてかみおかすをこのものすくなし。かみおかすことをこのまずしてらんすをこのものは、いまらざるなり。くんもとつとむ。もとちてみちしょうず。孝弟こうていなるものは、じんもとるか。

親孝行で兄弟仲がよい人間が、上の者に逆らうことは滅多にない。上の者に逆らわない人間は、秩序を乱すこともない。君子は根本を大切にする。根本が定まれば、道理もそれに伴い生まれる。親兄弟を大切にすることは、仁の根本である。

巧言こうげんれいしょくすくなしじん

巧みな言葉や媚びるような表情は仁ではない。

われたびかえりみる、ひとためはかりてちゅうならざるか、朋友ほうゆうまじわりてしんならざるか、ならわざるをつたうるか。

私は一日に三度反省する、人に親切にしたか、友人に信義をつくしたか、教えは身についているか。

せんじょうくにおさむるには、ことけいしてしんあり、ようせっしてひとあいし、たみ使つかうにときもってす。

大国の政治は慎重に行い、人民の信頼を得るようにし、財政の無駄をなくし、人民の負担を軽くし、労役を課するのは農閑期に限るようにする。

ていりてはすなわこうでてはすなわていつつしみてしんあり、ひろしゅうあいしてじんしたしみ、おこないてりょくれば、すなわもっぶんまなべ。

年少者のなすべきことは、家では親によく仕え、外では目上の者を敬い、謹み深く誠実であり、誰とも分け隔てなく付き合い、徳を具えた人と親しくし、なお余力があれば学問に努めよ。

くんおもからざればすなわあらず。まなべばすなわならず。ちゅうしんしゅとし、おのれかざるものともとすることかれ。あやまちてはすなわあらたむるにはばかることかれ。

君子は重々しくないと、人から心服されない。学んだことも身につかない。忠実と信義を旨とし、自分より劣った人を友としてはいけない。過ちに気付いたら、ためらうことなく改めよ。

わりをつつしとおきをえば、たみとくあつきにせん。

親の葬儀を心を込めて行い、祖先に対する祭祀を怠らなければ、人民の徳も厚くなる。

ひとおのれらざるをうれえず、ひとらざるをうれうるなり。

人が自分を認めないことを悩まず、自分が人の長所を認めないことを悩むべきだ。

為政第二
まつりごとすにとくもってするは、たとえば北辰ほくしんところて、しゅうせいこれむかうがごとし。

国を治めるには徳によって治める。例えば、北極星は北の空にあって、他の星がその周りを運行しているようなものだ。

これみちびくにまつりごともってし、これととのうるにけいもってすれば、たみまぬかれてはじし。これみちびくにとくもってし、これととのうるにれいもってすれば、はじりてただし。

国を治めるのに法律と刑罰をもってすれば、人民は抜け道を探して恥を知らなくなる。国を治めるのに徳と礼節をもってすれば、人民は恥を知り正しい方向に向かう。

吾十五にして学に志す、三十にして立つ、四十にしてまどわず、五十にして天命を知しる、六十にして耳従みみしたう、七十にして心の欲っする所に従いてのりえず。

15歳で学問を志し、30歳で自立し、40歳で迷いが無くなり、50歳で天命を知り、60歳で人の言うことが素直に理解できるようになり、70歳で自分のやりたいことをそのままやっても道を外れなくなった。

いまこうは、やしなうをう。けんいたるまで、みなやしなうことり。けいせずんばなにもっわかたんや。

最近は親を養うことを親孝行だと思っている。犬や馬でも養われている。敬愛の心がなければ、犬や馬を養うのと何が違うのか?

温故知新おんこちしん
ふるきをたずねてあたらしきをれば、もっし。

昔のことを学んで、そこから新しい知識や見解を得る。これが教師の資格である。

げんおこない、しかのちこれしたがう。

君子は発言する前に行動し、行動した後に発言する。

くんしゅうしてせず。しょうじんしてしゅうせず。

君子は友好的であるが、依怙ひいきはしない。小人は依怙ひいきはするが、友好的でない。

まなびておもわざればすなわくらし。おもいてまなばざればすなわあやうし。

本を読んで考えなければ、理解することはできない。考えるだけで本を読まなければ、独断になってしまう。

たんおさむるは、がいあるのみ。

正統でない学問は、有害なだけである。

なんじこれるをおしえんか。これるをこれるとし、らざるをらずとす。るなり。

知るとはどういうことか教えよう。知っていることは知っていると言い、知らないことは知らないと言う。これが知るということである。

八佾第三
くんあらそところし。かならずやしゃか。ゆうじょうしてしょうし、しこうしてましむ。あらそいやくんなり。

君子は争うことをしない。争うとすれば弓の試合くらいだ。譲り合って射場に登り、終わると共に酒を飲む。これこそ君子の争いである。

たいびょうりて、事毎ことごとう。あるひといわく、たれ鄹人すうひとれいるとうか。たいびょうりて、事毎ことごとう。これきていわく、れいなり。

大廟の祭典に参加した孔子は、式について一つ一つ質問した。これを人は、礼について詳しいどころか何も知らないと言った。それを聞い孔子は、知ったかぶりしないことが礼なのだと答えた。

告朔こくさくようらんとほっす。いわく、や、なんじひつじしむ。われれいしむ。

弟子が儀式に供える羊を止めようとした。孔子は言った。お前は羊が惜しいだけだ。私は礼が廃れるのを惜しむ。

定公ていこうう、きみしん使つかい、しんきみつかうるには、これ如何いかんせん。こうこたえていわく、きみしん使つかうにれいもってし、しんきみつかうるにちゅうもってす。

定公が尋ねた。君子が臣下を使い、臣下が君子に仕えるにはどうすればよいか。孔子は言った。君子は臣下を礼遇し、臣下は忠誠をもって仕えることだ。

せいかず、すいいさめず、おうとがめず。

出来てものを言っても仕方がない、済んだことをめても仕方がない、過ぎたことを咎めても仕方がない。

里仁第四
いわく、じんなるをしとす。えらんでじんらずんば、いずくんぞなるをん。

人間は仁のある場所に住んだ方がよい。仁のある場所を選ばないようでは知者とは言えない。

いわく、仁者じんしゃもっひさしくやくからず。もっながらくからず。仁者じんしゃじんやすんじ、しゃじんす。

仁のない者は逆境に長く耐えられなし、恵まれた環境にも耐えられない。仁者は仁に安住することを楽しみ、知者は仁を利用しようとする。

いわく、仁者じんしゃのみひとこのみ、ひとにくむ。

ただ仁者のみが正しく人を愛し、正しく人を憎むことができる。

いわく、いやしくもじんこころざせば、しきこときなり。

もし仁を志せば、悪を行うことはない。

あしたに道を聞かばゆうべに死すとも可なり。

朝に道(真理)を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも後悔しない。

いわく、みちこころざして、あくあくしょくずるものは、いまともはかるにらざるなり

道(真理)を志す者は、粗末な衣服や食事を恥じる者とは共に道を論ずることはできない。

いわく、くんてんけるや、てきく、ばくし。ともす。

君子は主観的な好悪をも持たない。必ず義を拠り所とする。

いわく、りておこなえば、うらおおし。

何事も利益本位で行うと、多くの人から怨みを買うことになる。

いわく、くらいきをうれえず、所以ゆえんうれう。おのれきをうれえず、らるきをすをもとむるなり。

地位のないことより、自分の実力不足を嘆くべきだ。自分が世間に認められないことより、自分にそれだけの価値がないことを嘆くべきだ。

いわく、くんさとり、しょうじんさとる。

君子はまず義を考えるが、小人はまず利益を考える。

いわく、けんてはひとしからんことをおもい、けんてはうちみずかかえりみるなり。

賢者を見たら、自分もそうありたいと思い、不賢者を見たら、自分はどうだろうかと反省せよ。

いわく、父母ふぼいませば、とおあそばず。あそぶにかならほうり。

父母の存命中は遠出を避けよ、やむを得ず遠出する場合は行先を明らかにせよ。

いわく、古者いにしえげんださざるは、およばざるをずればなり。

昔の人が軽々しく発言しなかったのは、実行が伴わないのを恥じたからだ。

いわく、とくならず、かならとなりり。

徳のある人は決して孤立することはなく、必ず理解し協力する人が出てくる。

公冶長第五
こういていわく、なんじかいいずれかまされる。こたえていわく、なんえてかいのぞまん。かいいちいてもっじゅうる。いちいてもっるのみ。いわく、かざるなり。われなんじかざるなり。

孔子が子貢に言った。「お前とかいとは、どちらがすぐれていると思うか」
子貢が答えて言った。「私は回には及びません。回は一を聞いて十を知ることができますが、私は一を聞いて二を知るにすぎません」
孔子は言った。「その通りだ。私もお前も回には及ばない」

  • 一を聞いて十を知る[回也聞一以知十]
    一部分を聞いただけで、すぐにその全体を理解することができることで、非常に賢いことを表しています。
さいひるぬ。いわく、きゅうぼくからず。ふんしょうは、からず。いてかなんめん。いわく、はじわれひとけるや、げんきておこないをしんぜり。いまわれひとけるや、げんきておこないをる。いてかれをあらたむ。

さいが昼寝をしていると、孔子が言った。「腐った木は彫刻はできないし、ボロボロの壁は施しようがない。このような怠け者を叱っても仕方がない」「これまで私は、人は言う通りのことを行っていると信じてきた。しかし、言うことと行なうことが一致しているか、確かめなければ信用できない。これからは改めるようにする

いわく、われいま剛者ごうしゃず。あるひとこたえていわく、申棖しんとうあり。いわく、とうよくあり。いずくんぞごうなるをん。

孔子が言った。「私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない」
するとある人が言った。申棖という人物がいます」
孔子が言った。は欲が深く、剛者にはなれない」

こういていわく、こうぶんなにもっこれぶんうや。いわく、びんにしてがくこのみ、もんじず。ここもっこれぶんうなり。

子貢が尋ねた。「孔文子はどうして『文』という贈り名をされたのでしょうか」
孔子が答えた。「生まれつき聡明で学問を好み、目下の者に教わることを恥としなかった。だからそのような贈り名をされたのだ」

さんう、くんみちり。おのれおこなうやきょうかみつかうるやけいたみやしなうやけいたみ使つかうや

子産には君子にふさわしい四つの行いがある。第一に行動が慎重で、第二に上に敬意を払い、第三に人民に恩恵を施し、第四に人民の使い方が公正である。

いわく、はくしゅくせいは、きゅうあくおもわず。うらここもっまれなり。

伯夷と叔斉は人から受けた仕打ちを恨むことはなかったので、人に恨まれることもなかった。

子罕第九
【子罕第九】後生可畏
後生ごうせい畏るべし

自分より年若い者であっても、努力次第でどんなにも優れた人物になる可能性があるから、決して見下してはいけないと説いています。

先進第十一
【先進第十一】一日長
一日の長

他者より少し年齢が上であることを表し、それが転じて、知識や技能が他の者より少し優れていることの例えとなっています。

【先進第十一】過猶不及
過ぎたるは猶お及ばざるがごとし

何事もやり過ぎることは、やり足りないのと同じように良くないと諭しています。

顔淵第十二
【顔淵第十二】己所不欲、勿施於人
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ

自分が好まないことは、他人に対しても行ってはならないという戒めです。

子路第十三
【子路第十三】和而不同
和して同ぜず

他の人たちと協力はするが、むやみと同調はしないという意味です。

衛霊公第十五
【衛霊公第十五】過而不改、是謂過矣
過ちて改めざる、是を過ちという

過ちを改めないことが、過ちであると戒めています。

陽貨第十七
【陽貨第十七】鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん

小さな事を処理するのに、大げさな手段は必要がないということを説いています。

 

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